欧米のロックなら古くはブラインド・フェイスやエマーソン・レイク&パーマー、ベック・ボガート&アピスやバッド・カンパニーといった、すでに成功した大物ミュージシャンたちが集まって結成した〈スーパー・バンド〉の系譜に属するバンドと言えるだろう。外道の加納秀人(ギター&ボーカル)、WILD FLAG / BOW WOWの満園庄太郎(ベース&ボーカル)、JUDY AND MARYの五十嵐公太(ドラム&ボーカル)から成るATOMIC POODLE。結成から13年を経て初のメジャーリリースとなる『MONSTAR』を聴けば分かるように、各自がベテランと呼ぶに相応しいキャリアを積んでいるにもかかわらず枯れた境地は微塵もなく、豪快で爽快で痛快なロックを分母に置いた多彩な楽曲と三者三様のリードボーカルが大きな武器となっている。『MONSTAR』は現編成になって以降のスタジオ音源にライブ音源、さらに新曲まで収録された"ヒストリーアルバム"であり、この鉄壁の3ピースバンドの全貌を即座に知るにはうってつけの作品だ。だが彼らの真髄はライブにこそあり、コロナ禍に屈することなく果敢にライブ活動を展開しているのでぜひライブハウスへ足を運んでいただきたい。原子のプードルを名乗るこの生粋のライブバンドが原始の衝動を内包した鮮度の高いロックを、他人の意のままには決して動かない〈不良侍〉の矜恃を存分に見せつけてくれるはずだから。(interview:椎名宗之)
自分で書いた曲は自分で唄うもんだ!
──3人揃ってのインタビューは今回が初ですか?
満園:初めてじゃないですか?
五十嵐:やったことあったっけ?
加納:今までやってないかもしれないな。
満園:なんせ今までアマチュア・バンドだったから(笑)。
加納:52年音楽をやってきて、途中でアマチュア・バンドをやってたなんて知らなかったよ(笑)。
満園:ATOMIC POODLEはもう12年?
──結成は2007年9月だそうですが。
満園:最初は僕はいなくて、翌年加入したんです。あるとき加納さんから電話があって、「お前、俺とロックやろう!」と突然言われて。加納さんに声をかけてもらったのはもちろん嬉しいけど何のことだかさっぱり分からなくて、「エッ、どういうことですか!?」って訊いたら「細かいことはいいから!」って言われて。いや、細かいことが大事なんじゃないですか? と思いましたけど(笑)。
加納:その前にジョニー吉長と一緒にやってたJFKがレコ発で解散しちゃって、それで作ったのがATOMIC POODLEなんですよ。いきなり公太に電話して「タイコはお前に決まった!」と告げて(笑)。
五十嵐:加納さんは高校の大先輩なので、誘われたら断りようがなかったんですよ(笑)。もちろん光栄なことですしね。
──現編成になって12年を経て晴れてメジャー・デビューを果たすわけですね。
満園:これまで、僕がいない時期にミニ・アルバムを2枚(2008年5月発表の『ATOMIC POODLE』、2008年8月発表の『ATOMIC POODLE 2』)、アルバムを1枚(2013年9月発表の『弾丸ベイベー』)出しました。
加納:庄太郎が入るくらいまでは北海道から沖縄まで全国津々浦々をだいぶまわったね。
満園:最初のミニ・アルバムのレコ発で前のベースがいなくなっちゃって、それで僕が呼ばれたんですよ。JFKがレコ発で解散して呼ばれた公太さんと同じように(笑)。
五十嵐:僕はJFKのライブを客として観に行ってたんですよ。ジョニーさんのプレイがとにかく大好きだったから、「ジョニーがやめるからお前が叩け」と加納さんに言われて最初はすごいプレッシャーだったんです。エッ、ジョニーさんの後釜が俺ですか!? って感じで。
──加納さんの中では外道とどう棲み分けをしているんですか。
加納:僕は衣装が変わると人間が変わるし、外道とそれ以外のバンドの違いとして衣装はでかいですね。着物、獅子の被り物、鳥居の三拍子が揃うと自ずとスイッチが入って外道になる。それ以外のバンドやソロはその縛りが取れて自由な感じ。音楽性も自由だし。実は外道をやってた頃からジャズやクラシックの人たちとセッションをしたり、今で言うフュージョンの先駆けみたいなことをやってたんだけど、フュージョンが世界的にブームになるちょっと前に飽きてやめちゃったんですよ。
満園:10年早かったんですね(笑)。
──外道のイメージでロックンロール一辺倒と思われがちだけど、実は音楽的には多彩であると。
加納:僕はとにかくいろんなタイプの曲を作るし、ありとあらゆるジャンルをやってきましたからね。多彩というかジャンルレスなのかな。
五十嵐:ATOMIC POODLEに関しては、最初から加納さんに「好きにやっていい」と言われたんです。みんなで曲を出し合って、JFKとは全く違うスタイルでバンドを一から作ろうと言ってもらえて。それで当時のベーシストも僕も加納さんに唄ってもらうつもりで曲を書いたら、「自分で書いた曲は自分で唄うもんだ!」って加納さんに言われたんですよ(笑)。それで全員がリードボーカルを取るスタイルになったんです。