ヒダカの泣ける歌声はエモの権化
──各自、思い入れのある作品や楽曲は?
ヒダカ:僕はないですね。
──当人は言いづらいでしょう(笑)。
ノブ:僕は『BEST CRUSADERS』ですね。18、19くらいの頃、北浦和KYARAというライブハウスに通ってたんですけど、バーカウンターの後ろにバーッとCDが並んでて、そこに『BEST CRUSADERS』があったんです。当時、むっちゃ流れててビークルの存在を知りました。
ヒダカ:店員の私物だったんだね。
ノブ:そうですね。
ヒダカ:石毛(輝)か(松本)誠治?
ノブ:ちょっと覚えてないですけど、当時のKYARAにはHAWAIIAN6とかメロコアのバンドもよく来てて、あの当時の思い出と共に『BEST CRUSADERS』があったというか。何度も聴いて「シンセ、めっちゃええな!」と思って。
ヒダカ:あんな地味なジャケットなのにね(笑)。
『BEST CRUSADERS』(2003年8月発表)
サティフォ:僕はやっぱり高校の頃に聴いてたインディー期ですね。『FORESIGHTS』、『SEXCITE!』を死ぬほど聴いてました。
ヒダカ:“サイト”シリーズ。
『FORESIGHTS』(2001年5月発表)
サティフォ:はい。メジャー期はツアーに一度呼んでもらえたのもあって、『popdod』がやっぱり思い出深いです。ツアーの移動中に車の中でよく聴いてましたね。
『popdod』(2008年6月発表)
ヒダカ:竹内電気のデビュー直後だったっけ?
サティフォ:そうですね。BabeStarからアルバム(『OK!!』)を出した直後の2008年でした。
ヒダカ:とにかく誰も喋らなかったよね。
サティフォ:喋ってないですね。もうビークルのことが好きすぎて。
ヒダカ:なんか暗くて冴えない奴らが来たぞ! って嬉しくなっちゃった(笑)。俺たちもぜんぜん冴えてなかったから。
──40代前半のノブさんとサティフォさんが共にLASTRUM時代の作品に愛着があるというのは何だか象徴的ですね。
ヒダカ:普通、そこからメジャーへ行くと離れちゃう人も多いのに、有難い限りですね。
サティフォ:メジャーへ行っても曲のクオリティはぜんぜん変わってなかったし、僕はとにかくヒダカさんの声が大好きだったんです。なんか泣けるんですよね。エモの権化っていうか。
ヒダカ:磯部(正文)さんの真似ですよ(笑)。ハスキンのおかげです。ハスキンの初期のシングルとかを意識してビークルに取り入れたところはありますね。もともと渋谷系を通ってきた世代なので、小山田(圭吾)君やオザケン(小沢健二)みたいに唄いたかったけど、あんな声は出なかった。
──ちょっと話が逸れますが、『極東最前線』に提供した「海の原」を契機に、ハスキンが英語詞中心のスタイルから日本語の歌詞を取り入れるようになったのをヒダカさんはどう感じていたんですか。
ヒダカ:本人たちのデシジョンならぜんぜんいいんじゃないかと思いました。バンアパもそうですけど。もっと多くの人たちに届ける上で日本語で唄うという理由がちゃんとあったんだろうし。俺はそもそも多くの人たちに届ける気がなかったので。今もぜんぜんないですけど(笑)。
──それなのに、ビークルのコピーバンドをやりたいという人たちがこんなにいて。
ヒダカ:みんな気が狂ってますよ(笑)。まあ、同じ人種が集まったってことですよね(笑)。
サティフォ:ヒダカさんの声はネオアコみたいなオケにもめっちゃ合ってるなと思って聴いてましたけどね。
ヒダカ:ネオ・アコースティックへの挑戦ってことで、GALLOWのようなユニットを頑張ってやったりしましたね。(カトウ)タロウの声で高い所を足すみたいな発想で。
──ヨシカツさんの一番お気に入りの作品はやはり『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』ですか。
ヨシカツ:そうですね。リアルタイムだったので思い出にも残ってますし。
ヒダカ:あれはジャケもいいしね。強いピンク色を基調として謎の生き物が写ってて。
──今のヨシカツさんの髪の毛もピンクですね(笑)。
ヨシカツ:はい。あのジャケから抽出してこうなりました(笑)。
ヒダカ:俺の影響?(笑)















