竹内電気もcabsもビークルのおかげで生まれた?!
──ビークルから受けた具体的な影響を一人ずつ聞かせてください。
サティフォ:ONIGAWARAの前にやってた竹内電気はそもそもビークルがいなければやってなかったバンドで、それくらいビークルには多大な影響を受けました。最初はヒダカさんに倣って英詞で唄ってパワーポップ調の曲をやってて、鍵盤を入れたのもビークルにシンセがいたからなんです。でもどうにも英語はできないし、ビークルほどのメロディの強度もなく、そこを演奏力でごまかして今のような形になっていったというか。まずバンドを始めるきっかけがビークルだったんですよね。
ヒダカ:そこはハイスタでしょ、普通。
サティフォ:いや、違います(きっぱり)。もちろんハイスタは好きですけど。とにかく曲がいいバンドを目指したいってことで、ビークルが常に目標としてありました。
ヒダカ:確かに竹電には山下達郎さんみたいないい曲があったね。
サティフォ:途中からその路線にも行きますが、バンドの始まりはビークルがきっかけでした。
ヒダカ:早すぎたナードマグネットみたいな感じはあったよね(笑)。
──ヨシカツさんはサザンオールスターズやビートルズといった王道に影響を受けたと聞いていたので、ビークル好きだったというのが少し意外で。決してビークルが王道じゃないという意味ではないのですが(笑)。
ヨシカツ:めちゃくちゃ好きで、ド世代なんです。メジャー期のビークルが始まったのが俺が高2のときなんで。『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』が出たのがそれくらいで、あのアルバムは高校時代にめちゃくちゃ聴いてたし、だいぶコピーもしたので収録曲の半分くらいはベースが弾けましたね。
『P.O.A. ~POP ON ARRIVAL~』(2005年5月発表)
ヒダカ:そこは『MAKING THE ROAD』でしょ、普通。
ヨシカツ:ハイスタも好きですけど、それ以上にビークルには相当な影響を受けてます。クボタ(マサヒコ)さんのベースはけっこう動くなと、この歳になって気づきました。
ヒダカ:俺のおかげでcabsが生まれたと書いておいてください(笑)。
──クノさんはcinema staffのオルタナ的イメージが強いので、ビークル好きなのがやはり意外だったのですが。
クノ:cinema staffの中で僕だけ異色というか、そもそもパンクが好きで、純然たるパンクバンドをやろうと思ってたのに気づいたらcinema staffにいた、みたいな感じなんです。僕はヨシカツと1個違いなので似た感じで、高校生のときに『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』が出て。それからLASTRUM時代の『BEST CRUSADERS』を買いに行って、DVD(『1999-2003 LASTRUM YEARS』)も買って……とハマっていきました。
ヒダカ:スタートはバンアパじゃなかったんだ?
クノ:バンアパはその後ですね。ビークルを入り口としてバンアパやアスパラを知っていきました。ヒダカさんが選曲・監修したコンピ(『COMPI CRUSADERS '68~'77 vol.37』、『COMPI CRUSADERS '78~'87 vol.38』)も買ったし、ヒダカさんが名盤を紹介する本も買いました。
『COMPI CRUSADERS '68~'77 vol.37』(2005年9月発表)
ヒダカ:あったね。ぴあから出たやつ(『ヒダカトオルのROOTS CRUSADERS MANIA~アダグジを作った名盤122~』)。
クノ:それくらい影響を受けたし、バンドスコア(『Alternative Scorebook “TABLATURE”』)も未だに持ってます。とにかく大ファンですね。あと、僕が当時買ったビークルのTシャツを実家の親父が着てます(笑)。
ヒダカ:どのデザイン?
クノ:ギターみたいなロゴのやつですね。
ヒダカ:ああ、あれはかわいいね。
サティフォ:僕はギリ4人時代のビークルのライブを一度観れたんですけど、そのときに買ったお面が4つ並んでるTシャツをいま母親が着てます(笑)。
ヨシカツ:親御さんがTシャツを着がち(笑)。
ヒダカ:ハスキンとツアーをまわったとき、ハスキンがお面デザインのパロディTシャツを作ってきたので、ウチもやんなきゃってやり返したんだよね。
──ノブさんはサティフォさんと世代的に近いですけれども。
ノブ:10代の頃にスカバンドをやってて、当時はベースを弾いてたんです。その頃からビークルの存在は知ってて、ああいう形でシンセを入れるバンドは当時いなかったので衝撃でしたね。あまりに衝撃で、気づいたら自分でもシンセサイザーを弾いてました(笑)。バンドを結成して1年くらいでデビューしたんですけど、当時からよく言われてたんですよ。ビークルのケイタイモさんとキャラが被るって。ケイタさんかSOFT BALLETの森岡(賢)さんと被ると(笑)。
ヒダカ:SOFT BALLETのファンに怒られそうだね(笑)。
──ケイタイモさんも最初はベーシストで、ビークルに誘われたときはキーボードを弾けなかったそうなので、パートの変遷も被りますね。
ノブ:経歴も近いですね。ビークルとはフェスやイベントで一緒にやることも多くて、その存在をずっと意識してました。
ヒダカ:キャラやアクションが被らないように気を留めて(笑)。
──ビークルにシンセを導入して80年代ニューウェイヴ/テクノポップのミクスチャーを試みるというユニークな発想は、ヒダカさんのYMO好きが為せる業だったんですか。
ヒダカ:WEEZER、RENTALSの流れがまずありました。当時のアメリカのインディーでアナログシンセを入れるのが流行ってたんです。THAT DOGとかね。初期WEEZER〜RENTALSのマット・シャープがアナログシンセを使ってやってたことをちゃんとやるバンドって実はいなかった。WEEZERもキーボードがいるわけじゃないし、ライブだとシンセの音をリードギターでごまかしてたし。RENTALSが『NANO-MUGEN FES.』に出たとき(2006年7月16日・17日、横浜アリーナ)、ゴッチ(後藤正文)がビークルも呼んでくれて嬉しかったんですよ。そのときに見た生のRENTALSは意外と鍵盤の比重が高くなくて、ああ、俺が間違ってたんだなと答え合わせができた思い出があります(笑)。そんなにガッツリとシンセを弾かなくても良かったんだなと。















