本人はまだ死んだことに気づいてないんじゃないか
──原島さんのデスクは一時期ロフトの事務所にありましたし、ぼくはこれまで幾度となく原島さんと一緒にトークライブのMCをやらせてもらったりして薫陶を受けたので、今も事あるごとに「原島さんならどうするだろう?」と考えてしまうことがあるんです。皆さんもふとした瞬間に原島さんを思い出すことがありますか。
水戸:まだ亡くなった実感がなくてね。東京に出てきて以降は頻繁に会ってたわけでもなく、自分の人生の要所要所で会う感じだったので、今もその距離感が続いてるっていうか。また次の要所が来たら会うんじゃないの? みたいな気持ちでいる。
杉本:最近気になったのは、熊本地震(令和8年熊本地震、2026年7月28日)が起きて、原島君の骨壷が大丈夫かな? ってことで。
水戸:4月に熊本へ行ったときに恭一とハメチの納骨堂へ行ったんだけど、なんというかオープンスタイルな所でね。普通は扉が閉まってるものだと思うんだけど、そこは開きっぱなしなんよ。
MAGUMI:棚に並べてあるだけの感じ?
杉本:うん。だからあの地震で揺れたら骨壷が混ざってしまうことはないのかな? とちょっと心配(笑)。
水戸:仮に混ざってしまったら、10分の3くらい知らないお爺さんの骨に向かって拝むことになるかもしれない(笑)。
岡本:俺は死にそうなところも死んだところも実際に見たのに、まだピンときてない。9月7日のロフトに来なかったら、ああ、本当にいなくなったんだなと実感するんだと思う。
延原:俺は近年もけっこう頻繁にハメチと会ってたけど、実感がないのはみんなと同じ。ドクターズの頃かな、ライブがあるとよく電話がかかってきてね。「達治、ハーモニカ持って来い」ってほぼ毎ステージ呼ばれてた。「『Walking the Dog』やるじぇ!」って(笑)。ハメチがスマイリーズを立ち上げてからは何かとDJで呼ばれたりもして。たぶんドクターズの後だったと思うけど、頻繁に電話をくれてた。あるとき、もの凄く思い詰めた調子で「もう音楽をやめて九州へ帰ろうと思う」と言われてね。ここはちゃんと励ましたほうがいいのかな? と当惑したんだけど、そのすぐ後に「あれは何だったんだろう?」と思うくらいけろっとしてるわけ。それもさっき話に出た「忘れるのが早い」っていう熊本県人の特性なのかな? って(笑)。
水戸:そういうとこあったね(笑)。
延原:そんなふうにずっと交流があったし、しょっちゅう遊んでたから、ハメチが亡くなってその頃のことが一昔前のものになってしまったというか、ピリオドを打たれた感覚はある。でも亡くなった実感はまだなくて、今も下北沢を歩いていればばったり会えそうな気がするよね。
MAGUMI:去年、熊本へ帰ったときに原島君が危篤と聞いてね。いつもなら連絡が来るのに何で来ないんだろう? と思っていたら、エフエム熊本の人からメールをもらって、今は家族としか会えない状況なのを知って。岡本からも電話をもらって、それ以降は訃報を聞くまであっという間だった。自分としては去年の夏にまだ元気だった原島君しか知らないから、呆然としつつも受け止めるしかなかった。
延原:「年内までもたないかもしれない」という連絡が来て気構えもしたけど、また元気になって「あのときは死ぬかと思ったじぇ」みたいなことを言いそうよね、とか岡本とも話してたんだけどね。
水戸:何回も死にかけた人だからね(笑)。どれだけ死にかけても死ななかった記憶のほうが強いから、どうもまだ死んでないんじゃないかと思えてならない。少なくとも本人はまだ死んだことに気づいてないんじゃないかと、今もずーっと思ってる。きっと俺が死んだらようやく気づくんじゃないかな? 「あッ! 俺も死んどったわ!」って(笑)。















