スマイリー原島の誕生日を祝福するイベント『SMILEY'S CONNECTION スマイリー原島 BIRTHDAY FESTIVAL 6days ~ハメチ a-GOGO CARNIVAL!!~』が、来たる9月2日(水)から誕生日当日の9月7日(月)にかけて下北沢SHELTER、下北沢CLUB Que、下北沢BASEMENTBAR、下北沢RHAPSODY、下北沢CLUB251、新宿LOFTにて6日間連続で行なわれる。
バンドマンとして、ラジオDJとして、また数多くのイベントや音楽制作のプロデューサーとして活躍してきたスマイリー原島こと原島宏和だが、その死後に各地でのお別れ会やライブイベントが複数回行なわれ、ラジオの特番が組まれ、長年にわたり原島がMCを務めた『FUJI ROCK FESTIVAL』では今年、池畑潤二率いるROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRAと豪華ゲスト陣による特別企画"THANKS, SMILEY HARASHIMA"も行なわれた。その上、原島の生誕を祝う6日間のイベントに親交の深かった多彩なバンドやバンドマンが大挙出演するというのだから、世代も音楽的嗜好もメジャーもマイナーも問わず全方位から彼がいかに愛されていたのかが窺える。
怒涛の祝宴6連発開催を前に、原島のアクシデンツ在籍時からの盟友である水戸華之介(ex.アンジー)、岡本雅彦(ex.アンジー)、延原達治(ザ・プライベーツ)、MAGUMI(レピッシュ)、杉本恭一(レピッシュ)に、人と人の縁を繋ぐ橋渡し役として誰からも愛されたスマイリー原島の人となり、知られざるエピソードの数々を縦横無尽に語り合ってもらった。(Photo:大参久人 / Interview:椎名宗之)
アパートが火事になったのは博多時代のファイナルにして集大成
──原島さんとの出会いは、皆さんもれなくアクシデンツ時代ですか。
水戸:われわれはもちろん。延原も?
延原:そう。
水戸:博多に来たときだよね?
延原:プライベーツがスターレーン(福岡市博多区にあった多目的ホール)でライブをやったのが最初。岡本と一緒に行った。
岡本:そうだっけ?[編注:岡本はアンジー加入前、初期のプライベーツに在籍]
延原:そのときの原島君は、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドみたいに髪の横に筋が入ってて(笑)。
水戸:一番イキってた頃だ。東京から来たバンドは全部敵と見なしてた時代(笑)。
──この中で原島さんとの付き合いが最も古いのは?
水戸:たぶん俺やね。俺がハメチ(原島の愛称)と出会ったとき、岡本は博多におったんやっけ?
岡本:いや、俺はまだ東京におった。スターレーンでハメチに会ったのはあまり覚えてなくて、『嘆きのばんび』(1986年2月、アンジーが博多時代に発表した記念すべきファースト・アルバム)のレコーディングで俺がコーラスしたときに初めて会った記憶がある。
水戸:そんな後になるっけ? じゃあ圧倒的に俺が一番古いわ。博多行ってバンド始めた翌年に会ってるから、1982年か。岡本が入る前のアンジーで、ワンマンライブの打ち上げをしてたときに見ず知らずの男が急にやってきて、大騒ぎして帰っていった。だから「あの人は何だろう?」がまず最初。その1週間後くらいかな、当時、リハで使ってた所……手前がカウンターバーで、奥にリハスタがあるという変わった場所があって、そこのカウンターにハメチが座ってた。われわれがリハに行ったときで、リハ代がちょっと足りなくてね。みんな現金の持ち合わせがなくて。「マスター、ごめん。次来たときに持ってくるわ」みたいな話をしてたら、こないだうるさかった人が「俺が出してやる」って金を貸してくれた。それで「あの人は何だろう?」が「あの人はいい人かもしれない」に変わった(笑)。
──原島さんと水戸さんといえば、原島さんの外出中に住んでいたアパートから火が出て、それを水戸さんが電話で知らせたという有名なエピソードがありますよね。「あんたんとこが火事でぼりぼり燃えとるばい!」と連絡したという(笑)。
水戸:それに至るまで相当なアクシデントがあったんだけどね。火事はもうファイナル・イベントで集大成(笑)。その昔、博多の冨士映劇という古い映画館があって、そこでモダンドールズの佐谷(光敏)君とハメチが主導した『ロックンロール・サーカス』というアマチュア・バンドのシリーズ・イベントにアンジーが誘われたんだけど、企画がいざ動いても2人は何もしないわけ。そのイベントにはジューク・レコードの松本(康)さんが噛んでたから、「イベントの事務所としてうちのレコード店を使っていいよ」と全面的に協力してくれることになって、ジュークに集まることにしてたんだけど、俺と(中谷の)ブースカしか来ない。それで仕方なく松本さんを入れた3人で雑務を進めてるときに、ハメチが顔だけ出して騒いで帰っていく。もちろん雑務はやらないで(笑)。そのイベントを続ける中でハメチとだんだん親しくなった。
──MAGUMIさんと恭一さんが原島さんと知り合うのは、そのだいぶ後ですよね。
MAGUMI:うん。ぜんぜん後。
杉本:あれやろ? 大宮フリークスの対バン。
MAGUMI:そう。1985年か6年か。デビュー前だったと思う。
──同郷(熊本県)の先輩として原島さんのことはご存知だったんですか。
杉本:『宝島』の連載か何かで、原島君のアパートが火事になった話は知っとった(笑)。
水戸:ああ、博多の集大成を(笑)。その火事の後に、ハメチ救済を目的としたイベントを天神ビブレでやったんよ。そこで手描きのTシャツを公式グッズかのように売ったりして(笑)。
岡本:アクシデンツもアンジーも東京へ行くっていうことで、みんなの要らんもんをバザーみたいに売りさばいて。
水戸:そうそう。しかもハメチが持ってきたのは焼け残ったものしかなくて、「くっさー!」って(笑)。火事で燃えたものって見た目は綺麗でも、化学物質が充満するからもの凄く臭いんよ。焼却炉の臭いをもっと酷くした感じ。















