「カーッとなるのも早いけど忘れるのも早い」のは熊本県人の気質?
──コピーライターの才能も突出していたと思うんです。ジューク・レコードの松本さんに「これからロックは“年功逆列”で行きます」と宣言したり、スマイリーズという自身の事務所を“コミュニケーション・ファクトリー”と位置付けたり、「音楽はベンチャーではなくアドベンチャーであれ」という持論だったり、大江慎也さんも好んでいた「音楽に必要なのは子どもの目と大人の知恵だ」という言葉だったり。
水戸:“年功逆列”の話でいくと、俺はハメチの2個下で、岡本は3個下で、当時の博多の上下関係では“です・ます調”で話さなきゃいけなかったんだけど、ハメチは歳の差なんて関係なくすんなりと俺たちを受け入れてくれた。俺とハメチが一緒にいた時代の博多が、一番上下関係のうるさくなかった時期だったんじゃないかな。度量が大きいところを見せようとしてそうしたわけじゃなく、ナチュラルに受け入れられる度量がハメチにはあった。「お前はそういう文化なんやね」とスッと受け入れられる柔軟さというか、強みのようなものがあったのかなと思う。
──たとえば延原さんの立場なら、水戸さんや原島さんを介して九州のバンドマンを紹介してもらうことが多かったのではないかと思うんです。福岡と東京のパイプを繋ぐ役割というか。
水戸:まあでも、延原は俺たちよりもモダンドールズのほうが先だったよね。
延原:そうだね。
杉本:水戸君も原島君も上と下を繋ぐ人であるのは間違いないよね。
水戸:自然と上と下を繋ぐんだよね。無理なくそれをやる。
延原:どこでも騒いでるしね(笑)。
水戸:ただ、ハメチは意外と反省するんよ。反省はするんだけど、すぐに忘れる。
──それはさっき話に出た、「カーッとなるのも早いけど忘れるのも早い」という熊本県人の気質ですか?(笑)
杉本:いやいや、全熊本人が忘れっぽいわけじゃない(笑)。でも、どんな環境でもすぐに馴染めるのは原島君の凄いところだと思う。
岡本:初めての店でも1秒で落ち着くから(笑)。
杉本:原島君が宿無しだった時代が何年かあって、スカンクの(宮崎)洋一が住んでた四畳半一間の部屋に転がり込んだことがあった。足を伸ばせないほど物が置いてあった家なのに、2カ月も住んでたっていうんだから凄いよ。
水戸:それも1秒で落ち着く男だから(笑)。あと、俺らみたいな下のもんの意見を柔軟に受け入れるぶん、自分より上の人たちに対してもフラットに行けるところがあった。昔、博多に多夢というライブハウスがあって、そこのマスターだった菅(忠雄)さんっていう人が名うての曲者でね。みんな気を遣うようなタイプだったのに、ハメチは例外的に菅さんに対してグイグイ突っ込んでた。菅さんはだいぶ身体の大きな人だったから「怒ってもいいけどボディプレスはやめてね!」なんてハメチがおどけて(笑)。その姿を見て、ああ、目上の人にもツッコミを入れていいんだなと思った。
──確かに原島さんはサンハウスやロケッツのメンバー、直系の先輩だった陣内孝則さんにも物怖じせずに渡り合うところがありましたね。
杉本:その辺は水戸君がけっこう受け継いでるよね? 名古屋E.L.L.のシゲさん(平野茂平)をイジれるのは水戸君くらいじゃない?
水戸:かもしれない。シゲさんと初めて会ったときからフラットな感じだったのはハメチの影響なのかも。















