ニックネームである“ハメチ”の由来
MAGUMI:ところでさ、水戸君なら知ってる? なんで原島君は“ハメチ”って呼ばれとるの?
──「ザ・フーの『Bucket “T”』で唄われる“バケチ”というコーラスから転じて“ハメチハメチハメチマル”になった」というSNSの投稿を見たことがありますけど。
水戸:フー? 何それ?!
岡本:俺もその投稿を見た。ドクターズ時代の小冊子で、ハメチ本人がアンケートでそう答えてた。
水戸:嘘をついたろ?! ブロンディに続く嘘(笑)。いやいや、あれは単純に、誰かが「ハラシマ〜!」って呼ぶのを「ハメチマ〜!」って噛んだのが面白くて、それ以降、“ハメヂマ”と呼ばれてたのが縮んで“ハメチ”になっただけ。フーの曲が由来だなんて、そんな格好いい語源であるはずがない!(笑)
岡本:そうか、そんなロックっぽいエピソードなわけないか(笑)。
──とある筋によると、“ハメチマ”と噛んだのはアクシデンツのギタリストだった後藤昌彦さんの当時の彼女という説があるそうです。それはさておき、ぼくらのような下っ端は当然“ハメチ”とは呼べなかったわけで、ロフトの先代の社長だったシゲさん(故・小林茂明)やホットスタッフにいた鈴木大五さんが“ハメチ”と当然のように呼んでいたのを少し羨ましく感じたりもしました。
MAGUMI:俺らは“原島君”、“原島さん”って呼んでたけど、「面倒くさいけん“ハメチ”にしてくれよ」って言われた後に亡くなっちゃって。だから“ハメチ”と呼んだことはない。まあ、呼びづらいよね。あだ名とはいえちょっと呼び捨て感が強いから。「お前、えらい馴れ馴れしいね」って普通の人なら言われるだろうし。
岡本:市川(勝也)はずっと「お前に“ハメチ”と呼ばれる筋合いはない!」って言われてたけどね(笑)。
──延原さんは何と呼んでいたんですか。
延原:“ハメチ”だね。最初は“原島君”だったけど。
水戸:延原もハメチとはだいぶ付き合いが長いからね。俺が東京出身のミュージシャンで初めて友達になったのは延原だった。プライベーツの初期の頃から博多へ来てたし、最初は凄いすかしたイメージだったけど(笑)、何度か会ううちに意気投合してね。あるとき、プライベーツが博多でライブをやるので楽屋へ行ったら「おう、水戸君、久しぶり!」って延原がハグしてきたんよ。これが東京のやり方か! って思ったね。俺の人生初ハグ(笑)。だから博多時代からの知り合いは“ハメチ”なんだよね。博多時代を知ってるか、東京に出てきてからの付き合いかでだいぶ分かれるかもね。
──アクシデンツは新宿ロフトのオーディションを受けずにいきなり夜の部に出ているんですよね。上京して初のライブが東横劇場で、その次がもうロフト。ルースターズとの対バン3DAYSでした(1984年10月29日〜31日)。
水戸:俺たちもロフトのオーディションは受けてないよ。
──そうでしたか。アンジーのロフト・デビューは1985年7月8日、初ツアーの一環でした。
MAGUMI:俺たちなんかカセットテープを持って審査を受けて、昼の部からだった。
──ですよね。ノイズリダクションというバンドとの2マンで(1985年1月19日)。
岡本:プライベーツもロフトのオーディションは受けてないよね?
延原:うん、受けてない。
水戸:エリート揃いやね(笑)。当時は“めんたいロック”という言葉がまだ生きてたし、俺たちも“from 博多”というワードを付けるだけで一目置かれる感じがあったからね。
岡本:当時、ロフトで『LIVE 092』っていうシリーズ・ライブもあったから。[編注:092=福岡県の市外局番]
水戸:ルースターズのプロデューサーだった柏木(省三)さんがやってたイベントね。それには俺たちは呼ばれてないのよ。博多っぽくなかったから。
岡本:山口県長門市出身なので(笑)。
水戸:“似非めんたい”だから(笑)。でも自力というか、1985年以降はコンスタントにロフトの夜の部でワンマンをやれるようになった。まだ椅子は出てたけどね。
MAGUMI:アンジーはわりと早い段階でロフトで3DAYSをやったじゃん。
水戸:うん。ロフトに出だした頃から東京でも動員が急に増えていった。ロフトの3DAYSは3年やったね(1986年8月26日〜28日、1987年8月29日〜31日、1988年8月25日〜27日)。
MAGUMI:その3DAYSのどれかにロンドンタイムスが対バンで出て(1986年8月26日)、そのときに初めてアンジーと知り合ったんだよ。
水戸:そうそう。昔のロフトの楽屋のほうの階段から凄くはにかんだ人が降りてきて(笑)、「レピッシュのMAGUMIです」と挨拶されて。もちろんバンド名は雑誌で知ってたけど、こんなにはにかむ人なんだ! というのが第一印象(笑)。















