監督・田口トモロヲ、脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英という俊英が揃い、峯田和伸と若葉竜也のW主演、さらに吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗、中島セナ、大森南朋、中村獅童らが共演し、題材は1970年代後半に巻き起こった日本初のパンク/ニューウェイヴのムーヴメントである東京ロッカーズを起点とした1980年代半ばまでのインディーズ黎明期。その内容、豪華キャストと制作陣で公開前から大きな話題を呼んでいた映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の原作本がこのたび復刻された。
著者は、映画の中で峯田和伸が演じたユーイチのモデルであり、主にフォトグラファーとして東京ロッカーズの立役者となった地引雄一。日本のインディーズ・レーベルの先駆者としてテレグラフレコードを主宰し、オートモッド、チャンス・オペレーション、NON BAND、EP-4、招き猫カゲキ団(ゼルダの小嶋さちほ、高橋佐代子によるユニット)といった先鋭的かつ斬新な音楽性を打ち出すバンドを数多く輩出したことで知られる。
インディーズという言葉がまだ日本に浸透していない時代に暗中模索のなか新興レーベル事業に奔走した記録をまとめた著作『ストリート・キングダム』と今回の映画化、また、日本のパンク/ニューウェイヴの先駆者たちが一堂に集結するイベント『DRIVE FROM 80s』の開催という一連の流れについて、御年76歳の地引は何を思うのか。そして希望の喪失と無力感が社会全体を覆う現代を生きる若い世代へ向けて発する最後のメッセージとは何なのか。千葉県にある地引の自宅で話を聞いた。(Interview:椎名宗之)
田口トモロヲ監督の劇映画は良質な青春音楽物語
──田口トモロヲ監督の『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』を鑑賞して、率直なところどう感じましたか。
地引:試写会を含めてまだ2回しか観ていないけど、凄くよくできていると思う。内容に関しては、シナリオを見てあまりに事実と違いすぎる部分は直してもらった。自分としては、物語が映像になったらどう見えるのかというイメージがなかなか湧いてこなかったんだよね。それまで企画書やシナリオといった文章を読み込むだけだったから。映画では「売れるために音楽をやっていない」「売れたいわけじゃない」とか理屈っぽいことを話しているシーンが多いけど、実際のところは頭の中でそう考えていても口にして言い合うことはあまりなかった。そういう生き方が各々自然と表れていた感じだったし、そもそも“D.I.Y.”なんて言葉を使ったこともなかった。
──“インディーズ”という言葉自体が浸透する前の時代ですからね。
地引:うん。そうやって言葉で表現するしかない部分が映画にはどうしてもあるのでどうなるかなと思ったんだけど、物語を映像として見るとわりと自然に受け入れることができた。トモロヲ君も言っていたけど、良質な青春音楽映画だね。
──自身の体験が劇映画として大きなスクリーンに投写されるのを見るのは、照れくさい部分もありますか。
地引:不思議な感覚だね。撮影現場にも7回ほど行って、役者の人たちの芝居も見たんだけど、映像を見るとまた印象が違うというか。物語の前編はほぼ記憶にあるもの、多少の映画的アレンジは加えてあるけど事実とさほど変わらない描き方で、それを映像として見ると不思議な感じがして、自分ではどう捉えていいのかわからない。あの頃の記憶が蘇ってくるし、展開していく物語に対して感じるものもあるし、そういうのがごっちゃになってよくわからなくなる。なぜか自然と涙が流れてきた場面もあったしね。『DRIVE TO 80s』辺りの後半以降は物語性が強くなっていくので、いち観客として客観視できて、純粋にいい映画だなと感じたけど。
──地引さんが撮影した当時の写真が随所に挿入され、各バンドの演奏シーンはそのモデルとなったバンドの実際のライブ音源が使われていて、虚構と現実が綯い交ぜになっているので、ご本人としては余計に混乱するでしょうね。
地引:今までさんざん見てきた自分の写真を、当時を知らない観客の人たちが見たらどう感じるんだろう? と思うね。
▲1979年9月2日に行なわれた『DRIVE TO 80s』最終日(撮影:地引雄一)
──SNSの反応を見る限り、当時を知る人たちはもちろんですが、当時を知る由もない若い世代が感銘を受けている投稿をちらほら見受けますが。
地引:それは僕も感じている。公開直後はあの時代を知る人たちの声が多かったけど、ここ数週間はパンクに特に興味もないような若い人たちの感想がだんだんと増えてきた。「とても面白かった」という反応が多いし、その世代のほうが当時を知らないぶん先入観なく素直な見方ができるのかもしれない。当時を知る人たちはどうしても「実際の◯◯はあんな感じじゃなかった」みたいなことを言いたがるからね。
──そもそもがドキュメンタリーではなく、劇映画ですからね。本人に忠実であることを目的としたものまね映画じゃないんだし。
地引:そうだね。バンド名も役名もわざわざ変えているわけで。その部分はトモロヲ君もだいぶこだわっていたし。実は最初は僕の名前だけ本名の「地引雄一」だったんだよ。だけど僕だけ本名なのはおかしいということで、撮影が始まって数日経ってから「響ユーイチ」という役名がついた。
──テレグラフレコードはそのままでしたね。
地引:ロフトもそうだったでしょう。屋根裏や京大西部講堂も同じ。人物名やバンド名は変えようってことになったみたい。
──トモロヲさんから『ストリート・キングダム』を映画化したいと打診されたときはどう感じましたか。
地引:夢のような話で、最初は実現できればいいねというくらいの気持ちだった。途中でコロナ禍になって頓挫するかと思いきや、構想から10年以上を費やして完成に漕ぎ着けたのはトモロヲ君の執念だね。トモロヲ君とは、テレグラフが復活した2012年にガガーリンの『地球は馬鹿だった』という未発表ライブ集を出した縁があった。トモロヲ君から電話をもらって、別のレーベルから出す予定で進めていたんだけどうまく行かなくなっちゃったみたいで、テレグラフが復活したのなら出してもらえないかということでね。それで80年代のライブカセットを20本くらい全部聴いた上で選曲した。そのCDの発売記念ライブをロフトでやって(2012年3月9日)、その打ち上げで「『ストリート・キングダム』を映画にしたい」という話をトモロヲ君から初めて聞いた。その後、KERAがロフトで生誕50周年とナゴムレコード30周年の記念ライブを4日間やったとき(2013年12月7日、8日、14日、15日)に撮影を頼まれて、そこでもトモロヲ君と会って「以前話した映画の件はぜひやりたいので」と聞いたんだけど、そのときに初めて本気なんだなと思った(笑)。それからしばらく経って、2015年に浅草の喫茶店でトモロヲ君と会って映画が本格的に動き出すことを伝えられた。脚本は宮藤官九郎君に、音楽は大友良英君に頼みたいという話も出ていたね。
















