日本のロックが海外に浸透する鍵とは
──そうした日本語ロック論争の時代を経て、昨今ではたとえばサブスクの普及によって日本のシティ・ポップが海外に浸透するケースもありました。オリジナルの日本語ロックを50年以上にわたり追求してきたPANTAさんは、今の日本語ロックが海外に伝播する可能性についてどう考えていますか。
PANTA:日本語で唄うロックを海外へ発信するのは未だに大きな課題だけど、鍵となるのは訳者の存在だろうね。以前、「マラッカ」をドイツ語で直訳したこともあったけど、直訳では日本語の機微が伝わらないんだよ。細やかなニュアンスも含めて伝えられる訳じゃないといけない。翻訳もまた創作だからさ。となると、その訳者にどれだけ日本語の知識と翻訳のセンスがあるかが大事になってくる。もしかしたらフランス語に訳したほうが細いニュアンスまで伝えられるのかな? と考えもするけど、やっぱり世界共通語である英語にして伝えたい気持ちが絶えずあるからね。
──PANTAさんの歌詞は聴き手次第で如何様にも受け取れる構造になっているし、ダブル・ミーニングに仕掛けた日本語独自の言葉遊びも多いので翻訳は苦難するでしょうね。物語性が高い上に情報量も多く、ただ直訳するだけでは不完全なものになるのが容易に想像できますし。
PANTA:たとえば「せめぎ合いを横目で見ていたキミは〜」という歌詞(「夜と霧の中で」)をどうやって訳すべきか、自分でも悩むよね。言葉の響きの問題もあるし、日本語で韻を踏んでいたところが訳詞では踏めなくなるだろうし。逆に言えばそうした難題を解消できる有能な翻訳者がいれば、日本語のロックも海外で火がつくと思う。俺としてはやはり「マラッカ」──「たたきつけるようなスコールを/ものともせずに海をひき裂く/ずぶ濡れの巨体揺さぶって/20万トンタンカー」をちゃんと訳してもらえたら本当に嬉しいよね。まあ、いろいろと難しいとは思うよ。「絶景かな」というタイトルも、英語にすると“Wonderful Sight”なのか“Wonderful View”なのか悩むしさ。
──「絶景かな」はやはり“What a Wonderful World”が一番しっくりくるんじゃないですか?
PANTA:そうだね。30歳くらいの頃、60歳になったらサッチモ(ルイ・アームストロング)の「この素晴らしき世界」(「What a Wonderful World」)みたいな歌を唄えるような価値のある人間になっていたらいいなと漠然と考えていてね。「絶景かな」は『zk / 頭脳警察50 ─未来への鼓動─』のために書き下ろしたんだけど、はたと気づいたんだよ。なんだ、これは自分なりの「この素晴らしき世界」じゃないか、って。そんな奇妙なシンクロに自分でも鳥肌が立った。そうか、自分も還暦を迎えて自分なりの「この素晴らしき世界」を唄えたんだな、と思って。実はあれだけストレートに心情を吐露した歌は自分でも珍しいんだよ。とにかく今、君と見ている未来は絶景かな、っていうさ。
──ところで、サブスクの普及によりリスニング環境が激変し、昨今はギター・ソロが始まるとスキップする若いリスナーが多いという話がありますが、PANTAさんはどう感じますか。
PANTA:俺もギター・ソロは要らないと思うほうだし、あれは時間の無駄だよ(笑)。イントロは短いほうがいいと分かってはいるんだけど、なかなかビートルズみたいにいかないところが難しい。映画だって無闇に長いのはダメだよ。俺だって若い連中と同じように早送りしちゃうから。この間も作家の伊東潤さんと話していて、ラブシーンなんか見ても全部一緒なんだから早送りでいいって話になったしさ(笑)。
──PANTAさんが若い世代の感性に近かったとは(笑)。サブスクの時代になると曲単位で聴くわけで、『クリスタルナハト』のようなコンセプト・アルバムが今後生まれづらくなるでしょうね。
PANTA:もはやアルバムの時代じゃないからね。それはもう仕方がない。だからこそこれからは歌として、歌詞として、胸に響くものを作っていくしかない。そのためにも今はしっかり治療に専念させてもらって、いずれ現場復帰するまでにこの『会心の背信』をじっくり聴き込んでほしいね。