なぜこんなにいいライブ・アルバムが出来たんだろう?
──良いフリをありがとうございます。今回発表されたライブ・アルバム『会心の背信』は演奏も選曲もすこぶる良くて、頭脳警察のエッセンスが凝縮したまさに会心作ですね。
PANTA:マネジメントの思うツボだよね(笑)。頭脳警察のファースト・アルバムでもう少しちゃんとやりたかったことを今回のライブ・アルバムでできたのが良かったのかなと思う。
──サポート・ギタリストの澤竜次さんのプレイに引っ張られるかのようにPANTAさんとTOSHIさんのプレイもまた実にフレッシュかつエネルギッシュで、お世辞抜きで素晴らしいアンサンブルですね。
PANTA:竜次はだいぶ緊張していただろうけど、それゆえにテンションも相当高かったと思う。演奏上の不手際はもちろん自分にも多々あるけど、このライブはそれを補って余りあるって言うかさ。細かいミスなんてどうでもいい、荒削りでもいいからやりたいことをやるんだっていう感じがよく出ているよね。なぜこんなにいいライブ・アルバムが出来たんだろう? と自分でも思うよ。モニターの返りとかも良くなくて、決して環境は良くなかったからね。まあ、頭脳警察は昔からそういう逆境の中でライブをやってきたから。学園祭でPAが鳴らなかったりさ。自分としては、このライブ・アルバムを若い世代が聴いてどう感じるのかな? ということに興味がある。左寄りの思想性が強く出ちゃっているかな? っていうのが若干気になるけど。
──でも、思想性を超えた、歌詞とメロディに普遍性があることはしっかり証明できているのでは?
PANTA:放送はできないだろうけどね、未だに(笑)。
──長野市内で行なわれる予定だったライブがコロナ禍によりライブハウスが閉鎖してしまったため、急遽ライブ配信が決定したそうですね。それもわざわざ長野まで出向いたのはPANTAさんの発案だったとか。
PANTA:最初は都内のスタジオから配信する準備を進めていたんだけど、あえて現地から配信しようと提案してね。新たにライブハウスを借りて、そこで完全シークレットでライブ配信することにした。だけどロシアのウクライナに対する軍事侵攻が続くこんな時期に「世界革命戦争宣言」や「銃をとれ」といった曲を入れたライブ・アルバムを出すなんて自分でも思わなかったし、またそういう曲が他のどんな音楽よりもロックしているのが意外だった。昨日も病院へ行くクルマの中で大音量でこのライブ・アルバムを聴いていたんだけど、窓を開けて聴くと通報されること必至だからやめたほうがいいね(笑)。
──いきなり「ブルジョアジー諸君! われわれは君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ここに公然と宣戦を布告するものである!」ですからね(笑)。尋常ではない気迫、テンションが漲っているのが如実に伝わってきますし。
PANTA:無観客のスタジオ・ライブだったのが集中できて逆に良かったのかもしれない。目の前に観客がいるとどうしても雑念が入ってしまうし、少しでも迷いがあると「ブルジョアジー諸君!」なんて唄えないよ(笑)。まあ、そんなことにお構いなくTOSHIは自由にやってるけどね(笑)。まだどこにも発表していないんだけど、1970年頃、自分自身に向けて書き記した音楽をやる上での決意表明文があってさ。その当時から分かっていたんだよ。自分が頭脳警察みたいな音楽をやれば、憧れのビルボードのトップ10や大好きな海外のポップスには二度と戻ってこれなくなるんだぞ、って。それでも自分の信じた音楽をやるのか?! という決意表明をした上で「世界革命戦争宣言」をやったわけ。18歳でブルースを捨て、19歳で自分の言葉で唄う頭脳警察を作り、結成当初のオリジナル頭脳警察はこのライブ・アルバムにも入っている「雨ざらしの文明」みたいにオリエンタルかつサイケデリックな感じだった。あれは18歳のときに書いた曲でね。それから1970年、20歳になると学生運動やベトナム戦争といったいろんな動きが世界中で巻き起こり、自分もその流れに染まった。「世界革命戦争宣言」はそうした経緯の中で生まれた曲なんだよね。
──プーチンは「戦争宣言」こそしていないものの、初期の頭脳警察の楽曲群がまた今の時代と呼応しているのを個人的に感じるんです。ロシアによる軍事侵攻のニュースを見ると「誰に俺たちが裁けるのかと」という「銃をとれ」の歌詞を思わず連想してしまったり。
PANTA:ドイツの劇作家、ブレヒトの詩に曲を付けた「赤軍兵士の詩」の“赤軍”はバイエルンの革命派のことなんだけど、今の時代に“赤軍兵士”って聞くとロシアの赤軍と重なってしまうしね。70年代初頭に生まれた曲が2022年のこの時代に何やら暗示的に聴こえるのが自分でも不思議だよ。俺自身、4年前にクリミアに行ってるしさ。
──そうでしたね。日本の外務省が渡航中止勧告を呼びかけていたにもかかわらず、ヤルタ国際音楽祭に参加して。その一部は映画『zk / 頭脳警察50 ─未来への鼓動─』でも見ることができましたが。
PANTA:2014年にクリミアが併合されて、その4年後にロシア政府からの招待で行ったわけ。仕切りは一水会だったんだけどね。外務省の渡航警告はレベル3だったけど、ヤルタで音楽祭が行なわれると言われたら、そりゃ行くでしょう? だって日本の戦後の運命を決めた歴史的な場所なんだから。アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンという3首脳がそこで戦後処理の基本方針について協議してさ。ヤルタ以外にも軍港のセバストポリを訪れたり、あの旅は本当に良い経験だった。今そういう地名をニュースでたびたび見ることになって、とても複雑な思いだね。まあ、ヨーロッパは戦いの歴史なんだよ。タタール人(クリミア半島の先住少数民族)の問題もあるし、民族差別もだいぶ根深いしね。
頭脳警察と聞いて誰しもが思い浮かべる頭脳警察そのもの
──そういった世界情勢について思うところを含めて、早く新曲を発表しなければという思いはありますか。
PANTA:マネージャーからも催促されてるし、やらなきゃとは思ってる。ただ今は、自分たちのやってきた音楽のスタイルとは一体何だったんだろう? という検証を改めてしたくてね。頭脳警察は確かにパンクの始祖と言われればそうだったのかもしれないけど、1969年当時にパンク・ミュージックというジャンルはなかったからさ。そんなことよりも欧米のロックに向けて一矢を報いなければということに必死だった。海外のレコードを聴いて、どうすればこんな音を出せるんだろう? とレコーディング・スタッフを交えながら研究を重ねたのが頭脳警察のセカンド・アルバム、サード・アルバムだったね。何がロックなのか分からずに模索する中で歌詞を作っていくと、俺もTOSHIもMC5が好きだったのもあって“mother f×××er”みたいな世間的によろしくない言葉を率先して使うべきなんじゃないかと思うに至った。それで「言い訳なんて要らねえよ」の歌詞で「てめえの×ン×に聞いてみな」という言葉をあえて使ったりしてみた。「ふざけるんじゃねえよ」にも「クソッタレ馬鹿野郎」という言葉が普通に出てくるし、そういうのは当時の歌謡曲の発想にはないものだった。だけど俺たちはロックをやっているんだし、“ですます”じゃないよなと思ったしね。
──自分たちの音楽スタイルの再検証ということで言うと、『会心の背信』のミックスやマスタリング作業を経て、PANTAさん自身は頭脳警察というバンドを改めてどう捉えたんですか。
PANTA:このライブ・アルバムにおける頭脳警察が、いわゆる世間的に思われている頭脳警察なんだろうね。俺自身にはソロの『クリスタルナハト』や『マラッカ』みたいにいろんな世界が他にあるけど、これが頭脳警察と聞いて誰しもが思い浮かべる頭脳警察そのものと言うか。「コミック雑誌なんか要らない」みたいな軽快なロックンロールも入ってないからね。
──ソリッドで先鋭的な、うるさ型のロックマニアが一番追い求める頭脳警察像が『会心の背信』には凝縮していると。
PANTA:うん。確かにソリッドって言い方が一番合っているのかもしれない。
──冒頭の「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃をとれ」「ふざけるんじゃねえよ」までが異様に尖りすぎてますからね(笑)。
PANTA:俺が19歳で始めた頭脳警察はこうだったんだよ、って改めてお知らせする感じかな。頭脳警察が再結成した1990年、朝霞の米軍基地跡で朝までライブをやったんだよ。その翌日に皇居では即位の礼が行なわれたんだけど、俺たちはその日、寝ないで京都へ移動して同志社大学で初めてライブをやったんだよね。その同志社大学のライブで使ったグレコのセミアコレスポールをこの『会心の背信』でも使ってるんだよ。それは偶然じゃなくて、意識して使った。やっぱりあの音じゃないとダメだよね、ってことでね。決してキレイな音じゃないんだけど、これはストラトでもなければマーシャルでもないよなと思ってさ。頭脳警察と言えばグレコのセミアコレスポール、それもファースト・モデルってイメージが絶えずあったのもあるかな。本物は使ったことがないくせにさ(笑)。
──話を伺っていると、PANTAさんが日本語ロックの真のオリジナリティを追い求めて孤軍奮闘してきたのがよく分かりますし、その紆余曲折がすなわち日本のロックの歴史そのものだと改めて感じますね。
PANTA:その昔、フラワー(・トラベリン・バンド)とイベントで共演したとき、トリ前が俺たちでトリがフラワーでさ。そこで俺が「これから物真似猿の大行進が始まるよ!」とフラワーのことをおちょくったんだよ。そしたら演奏後に石間秀機君が「PANTA、ありゃねえだろ!」って俺たちの楽屋に怒鳴り込んできたんだけど、俺は「だってその通りじゃねえかよ。グランド・ファンクやツェッペリンをただ完コピして何が面白いんだよ!?」って言ってやった。石間君はフラワーの前にGSのビーバーズをやってた大先輩だし、大好きで仲も良かったんだけど、でもだからこそ余計に言ってやりたくてさ。石間君には「PANTA、お前はそうやって島国根性だからダメなんだよ! 世界に打って出るには英語で唄わなくちゃいけないんだよ!」って言われたけど。その後、カナダに渡ったフラワーが地元のミュージシャンとセッションをしたときに「俺たちは東洋から来たミュージシャンを楽しみにしていた。聴き飽きたブルースではなく、きみたち独自の音を聴かせてくれよ」と言われて、現地で聴いてもらえる音がないことにショックを受けたのは有名な話だよね。そんな経緯を経てフラワーなりのオリジナリティを追求した『SATORI』というアルバムが発表されたときは涙が出るほど嬉しかったね。俺たちと方法論こそ違えど、互いに認め合える部分があったからさ。