常に既存の在り方や手法に刃向かう反逆者
──卓偉さんがアコースティック・アルバムを作ろうとしたのも、森重さんと同じく変化を恐れず新しいことに取り組んでいきたかったからこそですよね。
卓偉:デビューしてからの10年はロック・スタイル、バンド・スタイルにこだわってきたんですけど、たまにアコースティック・スタイルでライヴをやると、それがフォーキーに捉えられてしまうという葛藤があったんですよ。ZIGGYや森重さんのソロを聴いて、アコースティックで唄っても決してフォークにはならないことを僕は学んだんです。ジョン・レノンだって、ビートルズでアコギを歪ませていろんな曲を録っていましたから。だから、アコースティック・ギター=フォークという捉え方にすごく抵抗があったんですよね。別にアンチ・フォークでも何でもないんですけど、エレキをアコギに持ち替えただけで軟弱に思われたり、ボブ・ディランのようにフォークをエレキに持ち替えただけで非難を受けるようなジレンマが10年間ずっとあったんです。すごく盛り上がったライヴなのに、最後にアンコールでアコギを持って唄ったら「最後は激しい曲で盛り上がって締め括ってほしかったです」と言われるようなことがあって、ちょっと息苦しくなってしまったんですよね。それで、自分の理想とする音楽の伝え方って一体何なんだろう? と思って。同じ曲でもアコギじゃなくてエレキを使えば「良かった」と言われるわけだから、アコギを使うことの意義って一体何なんだろう? とすごく悩んだことがあったんです。そのうちアコギ=フォーキーと思われるのがイヤで、アコギを封印した時期もあったくらいなんですよ。バラードもエレキやピアノで弾いてみたりして。でも、作曲は全部アコギでやっているんですよね。ヘヴィなリフでもアコギを変換してエレキで弾くんですけど、アコギで弾いた感じのほうが断然良かったりすることもあるんですよ。アコギにしか出せない音やグルーヴが間違いなくあるので。
森重:それは絶対にあるよね。
卓偉:その気持ちは溜め込んじゃいけないと思って、ここ3年ずっと独りでアコギ・ツアーをやり続けているんです。そこで自分が一番伝えたいポイントは、独りでもちゃんとロックができる、アコギでもしっかりロックができるということなんですよ。アコギで弾いても決してバラードじゃなくて、聴き手を昂揚させられるロックンロールなんだよと主張したかったんですよね。その思いが高まって作ったのが『アコギタクイ』の2枚なんです。さっき『LOOKING FOR MY PARADAISE』の話が出ましたけど、僕はあのアルバムを聴いて、アコースティックでもこんなに温かくて、こんなにロックンロールなアルバムを森重さんなら作ってくれるんだなと当時思ったんですよ。それに、ZIGGYにもアコースティックだけどロックを感じる曲がいっぱいあるじゃないですか。やっぱりそうだよな、アコギでも充分ロックできるよな、だったらその気持ちを無理に抑えることはないよな、と思って。だからこそ、今敢えて「アコギ縛り」でアルバムを作ってみてもいいんじゃないかと思ったんですよ。1枚はアコギ主体のセルフカヴァー・アルバム、もう1枚は全編書き下ろしで、エレキを入れつつベーシックは全部アコギを使った変則的アルバム。そこにコラボレーション曲も入れてみたらどうだろう? ということで今回のアルバムに行き着いたわけなんです。
──森重さんの『NAKED SUN』も卓偉さんの『アコギタクイ』も、スーサイド・ツインズの『SILVER MISSILES AND NIGHTINGALES』やジョニー・サンダースの『HURT ME』、あるいはローリング・ストーンズの『STRIPPED』のようにロックを分母に置いたアコースティック・アルバムに通ずる感触がありますよね。
森重:うん、あると思う。今回の『アコギタクイ』に入っている「FCUK YOU」とかを聴いても、卓偉の意図するところがよく分かったよ。すごくパーカッシヴだし、ブラッシングするあの感じも含めて、音の切れ方がアコギならではって言うかさ。
卓偉:「FCUK YOU」は全部アコギでやっているんですけど、あのニュアンスはエレキじゃ絶対に出ないんですよ。
森重:出ないよね。俺はあの曲を聴かせてもらって、中島卓偉のロックに対するいい意味でのこだわりを感じた。俺さ、ロックを言い訳にする人たちが苦手なんだよね。ロックと言えば何とかなると思っている人たちがいっぱいいるじゃない? だけど、俺が中島卓偉を尊敬している最たる点は、ロックであることを解体しようとしているところなんだよ。トラディショナルなものだから無視するのではなく、ロックに対するリスペクトがあるからこそ可能性を見いだすために解体しようとしている。だから既存の在り方や手法に刃向かっているし、彼は常に反逆者でありパンクだなと俺は思う。俺が一番共感しているのはそういう部分で、中島卓偉の作る曲が純粋に好きだし、もの作りに向かう彼のスタンスがすごく好きなんだよね。
卓偉:ありがとうございます。有り難すぎる言葉ですね。
森重:ただ、アコースティックがフォーキーになる、ならないという話は、俺はまたちょっと違う視点があってね。俺が中学生の時に初めてギターを習ったのは、家の前にあったアパートの1階に住んでいた人だったんだよ。ひょろっとした体型で長髪に髭面、ナス型のサングラスをして、いつもフェンダーのギター・ケースを抱えて出歩いているプロのミュージシャンでね。その人自身は部屋にジミヘンやドゥービー・ブラザーズのポスターを貼っているようなロック好きだったんだけど、実は音つばめっていうフォーク・グループのギタリストだったわけ。俺も最初はギターを独学で弾いていたんだけど一向に上手くならないから、その人に教えてもらうことにしたんだよ。音楽を表現する上でのひとつのスタイルとして、当時の日本人にとってフォークはマストだったわけ。いくらロックが好きでもフォークのスタイルでバンドをやっていた人たちが俺の周りにもけっこういて、そういう人たちの考え方や表現との向き合い方にはチャレンジャー的なものを感じたんだよね。初期のRCサクセションもアコースティック編成でありながら危険な匂いを感じたしさ。音楽の表現って、自分が何らかのカテゴライズに乗っかってしまった瞬間に腐敗が始まるんだよ。俺もよく腐りがちなんだけどね。キャリアが長くなればなるほど予定調和な部分に落とし込みたくなる自分がいて、「これじゃダメだ!」って七転八倒しながらやっているけど。そこで自分の表現を改革するための手段としてアコギがあったり、テクノロジーを使う部分があったりしてもいいんだと思う。俺自身はフォーキーでもロッキーでもいいし(笑)、とにかく人とは違うエネルギーが発散できるものを自分が手に取ればいいと思ってる。