必然めいたものを感じたコラボレーション
──森重さんと関わりを持つようになってからも、卓偉さんの中で森重さんの印象はずっと変わっていませんか。
卓偉:中3の時に渋谷公会堂で初めてZIGGYを見て以来、全く変わっていませんね。ラジオにゲスト出演して下さった時然り、ライヴを見に行かせてもらうようになってバックステージでお会いする時然り、こうして対談させて頂く時然り、森重さんの印象はずっと変わらないです。僕が初めてギターを手にしたのは13歳で、日本のバンド・ブームが終わる頃だったんですよ。その頃はCDの再発や関連書がたくさんあって、60年代から80年代にかけて活躍したバンドがどう変化してきたのかをいっぺんに見られたんですよね。デビュー当初は痩せていたのに、解散の頃はすっかり肥ってしまったヴォーカルがいたりだとか(笑)。反面教師じゃないけど、「こうはなりたくないな」と思うものが自分のロックに対する憧れだったりもしたんですよ。自分が見続けてきた森重樹一さんという人は、もちろん変化はあるんですけど、スタイルや貫き通すべき部分に一本筋が通っていたんですよね。そういうことができるロック・スターが日本にはすごく少ないと思うんです。野郎なのに、僕は森重さんのライヴの衣装やメイク、アクセサリーなんかをずっと研究していましたからね(笑)。曲もそうなんですけど、そういうファッションにも今回のツアーのメッセージが何かあるんじゃないかと思っていたので。
──そんな両者が、図らずも同時期にアコースティック・アルバムを制作していたというのも面白い偶然ですよね。
森重:ホントにね。卓偉がそういうアルバムを作っていたのを全然知らなかったし。俺はソロに専念してから2年くらい経つんだけど、一緒にやっていくメンバーを探していく中で閉塞感みたいなものが正直あって、何か新しい試みをやっていきたくてアコースティックとエレクトリックのツアーを去年からやることにしたんだよね。それに合わせて趣向の違う2枚のミニ・アルバムを作れたらいいなというのが最初の発想としてあった。同じ頃に卓偉がセルフカヴァーと書き下ろしの2作のアコースティック・アルバムを作ると聞いて、このタイミングで卓偉と俺がコラボレーションを果たすことには何か必然めいたものを感じたね。別に距離を置いているつもりは全然ないんだけど、互いのライヴに出たり、俺がSNAKE HIP SHAKESをやっていた頃に卓偉のライヴをよく見に行かせてもらったり、交流が盛んな時期が今までもいろいろあった。今は単純にまたそういうタイミングが来たのかもしれないなと思っているんだよね。
──森重さんは以前も『LOOKING FOR MY PARADAISE』(2002年4月発表)というアコースティック主体のアルバムを発表したことがありましたが、それとはまた違うアコースティック作品を作ってみたかったということでしょうか。
森重:そうだね。音楽の発信の仕方自体やアルバムに対する自分の捉え方が今後すごく変わっていくんだろうなと思うところもあってさ。世間から見れば俺はZIGGYのイメージがとにかく強いだろうし、これまでのキャリアから生じる囚われから自分自身を解放させたかった。さっき閉塞感という言葉を使ったけれど、それはどん詰まりにあるという意味じゃなくて、自分の古い考え方や固定観念を捨てられるチャンスでもあるということ。たとえば自分で詞と曲を書いて唄っていくことがバンドを始めた時からのポリシーだったんだけど、今トライしてみようと思っているのは外部の作家が作った歌を唄ってみることなんだよ。今はそういう過渡期で、『LOOKING FOR MY PARADAISE』を作った時とはまた違う趣向で『NAKED SUN』というアコースティックのミニ・アルバムを作ってみようと思った。この先、自分がどんなふうに表現者としての立場を取っていけるのかを模索しつつ、自分の存在を世間にアピールできればと考えているところだね。
──去年から行なってきたアルバム・タイトルと同じアコースティック・ツアーで新曲を披露しながら、その手応えを受けて音源化したものばかりですね。
森重:うん。一時期はずっと詞先ばかりで曲を書いていたんだけど、最近はようやくそのモードから離れて曲の形状に興味が移行し始めたと言うか。それまではまず言葉ありきでメロディという器を探すことが多かった。
卓偉:そうなんですか? 僕は今頃になって詞先になってきたんですよ。
森重:それも卓偉がいろんなことにトライしてきた結果じゃないかな。自分の芯の部分を貫くためにも、今は言葉に比重を置いているんだと思う。メロディを疎かにするという意味じゃなくてね。
卓偉:そうですね。
森重:俺の場合、考えがひとしきり浮かんできたらそれを飛び飛びで書いて、それをまとめた詞が曲のベーシックになる。何と言うか、テーブルに向かって言葉を引き出すような観念的なことじゃなくて、何気なく出てくる言葉を詞にしたかったし、そういうことを唄いたかったんだよ。ZIGGYの最初のフル・アルバムに入っている曲が生まれた背景がまさにそんな感じだったからね。と言うのも、「I'M GETTIN' BLUE」にしても「6月はRAINY BLUES」にしても、すごく詞先感が強かったんだよ。とてもシンプルだったしさ。「I'M GETTIN' BLUE」の「♪どしゃぶりの雨が〜」というフレーズが出てきた時は6畳もないような狭いワンルームに住んでいたんだけど(笑)、そんな暮らしの中から何気なく出てきた言葉だったし、それが形になって今も唄い継がれている。そういう言葉を決して求めていたわけじゃないんだけど、お酒をやめた3年前からそんなシンプルな言葉がぽろぽろこぼれてくるようになったんだよね。それを書き連ねたものがここ数年の「SOUL 3部作」として結実して、自分が唄いたい言葉がフォーカスされた感じなんだよ。卓偉はコンポーザーとしての資質も強いシンガーだし、今は自分の中にあるいろんな側面を形にしたい時期なのかなと思うよね。