沖縄で故・竹中労追悼20周忌の「追悼ライブ」が5月19日の命日に開かれた。竹中労と言えば、一時代を築き上げた華麗で饒舌な文体を自在に操る元祖・ルポライターにして、映画・音楽・イベントのプロデューサーとしても知られる多才多芸な人物であり、今で言うところの「マルチクリエーター」の先駆者でもあった。音楽業界的に言えば、『全日本歌謡選手権』や『いかすバンド天国』の審査員として、五木ひろしから「たま」までを発掘した目利きのあるプロデューサーでもあった。「喧嘩の竹中」と呼ばれ、筆禍・舌禍事件は数知れず。50歳にして、彫り師・凡天太郎に背中全面に刺青を託す破天荒さも。
その竹中労の追悼ライブがなぜ沖縄で開かれたのか。それは、竹中労が奄美や沖縄の島唄を独自に発掘して、当時のLPレコード30数枚にまとめ上げて全国に紹介した功績があったからだ。東京日比谷野音で『琉球フェスティバル』を開いたのも竹中労の発案・プロデュースだった。今回は知名定男が発起人となり、大工哲弘、大城美佐子、国吉源次、そして「たま」のボーカルだった知久寿焼も特別参加。革命家・思想家として琉球独立を夢想し、島唄への熱い思いをいだき続けた竹中労を偲ぶライブだった。強きをくじき弱きを助ける竹中労の言動一致のエンピツ無頼への感謝の気持ちがそうさせたのだろう。
竹中労が荼毘にふされた20年前、文京区・音羽にあった竹中事務所で20人余りの知人や作家、編集者が追悼の宴を持った。その中になぜか樹木希林の姿があった。最近、戸籍上の夫である内田裕也が強要未遂、住居不法侵入の疑いで逮捕された。50歳のスッチーが被害届を出したためだ。老いのせいと言うより、美学の欠如である。白髪のロン毛を売りにした最後のロックンローラーの悲しき末路だった。5つも6つも成人病を抱え、医者に「余命3年」と宣告されながら、最後の仕事のために力尽きるまで沖縄に通い、遺骨も沖縄の海に散骨した竹中労こそ、真のロックンローラーだったと言うべきだろう。
▲竹中労を語る会実行委員会主催、琉球新報社共催の「竹中労を偲ぶ会『語やびら島唄』」。沖縄民謡の発展に尽力した竹中労がこの世を去って20年、その命日にあたる5月19日に彼と縁ある唄者や関係者が一堂に会し、唄い、語り、改めて感謝を表し、その功績を後世へ伝えることを目的に開催された。