日本屈指のロック・バンド、シーナ&ロケッツがエルヴィス・コステロの前座として大阪御堂会館で初ステージを飾ったのは1978年11月23日。ボーカリストのシーナの誕生日でもある"ダブル・バースデイ"の同日、バンド主催のスペシャルライブが今年も新宿LOFTで開催される。
今年は遂に結成"47"周年目、いよいよ"Sheena year"に突入する節目の年。今回はLUCY MIRROR(ボーカル)、奈良敏博(ベース)、川嶋一秀(ドラム)、澄田健(ギター)という現編成4人によるワンマン・ライブとなり、シーナと鮎川誠が残した珠玉のレパートリーの数々と不朽不滅のロック・スピリットをまざまざと見せつけるまたとない一夜となるだろう。ライブの本数が少なかったぶん怒涛のリリースラッシュに沸いた2024年、LUCYこと鮎川家の三女・知慧子、鮎川とシーナとはサンハウス時代からの盟友である奈良、鮎川からロケッツのギターを託された澄田、マネジメントを務める鮎川家の次女・純子に2024年の活動を回顧してもらいつつ、47周年記念ライブに向けての意気込みと2025年の展望を尋ねた。(Interview:椎名宗之 / Live Photo:石澤瑤祠|上野秀樹)
バンドの楽曲や存在を今に伝えるべく、私たちだけでもできることがある
──去年のインタビューでLUCYさんが、鮎川さんとシーナさんのいないシーナ&ロケッツを続けることに迷いがあるとお話しされていましたが、今はどんな心境ですか。
LUCY:迷いは未だにありますね。私はシーナ&ロケッツで人間の死というものとずっと対峙しながら唄っているので。だけどお父さんとお母さんが残してくれた楽曲やシーナ&ロケッツの存在を今に伝えるべく、私たちだけでもできることがある。今はそう思っています。それにファンの皆さんがずっと応援してくださるので、その気持ちに応えたいですし。何よりシーナ&ロケッツの音楽を生で聴ける機会は大事ですからね。奈良さんのベースや川嶋ベリーのドラムというオリジナル・メンバーの鳴らす音は健在だし、お父さんのギターは澄田さんが弾き継いでくれてるし、そこから発せられる生の音は人の心を動かす力があると思います。
──今年は5月2日に青山月見ル君想フで行なわれた『鮎川誠 76th生誕祭 HAPPY BIRTHDAY MAKO』、8月12日に久留米ウエポンで行なわれた『福岡 久留米 サマービート'24 MAKOTO祭り!』とライブは2本のみでしたが、いろいろオファーがある中で精選したんですか。
LUCY:いや、オファーはほぼないんです(笑)。私だけゲストとかの依頼はあったんですけど、ちょっと違うなと思って。
──ライブの本数が少ないからこそ余計にバンドの良さを実感したのでは?
LUCY:そうですね。本当はもっとライブをやりたい気持ちはあるんですけど、今は一本一本を大事にやる時期なのかなと。
澄田:今年のライブは両方ともワンマンみたいなものだったので、対バンのライブとかもやりたくなりますよね。
奈良:うん、やりたいね。僕はマコちゃんとシーナの同棲時代から知ってるし、二人の部屋へ遊びに行くといつも音楽の勉強をさせてもらっていたんです。常に新しい音楽を見つけて教えてくれたし、まさか二人ともいなくなるなんて思いもしなかった。二人への恩返しの意味でもシーナ&ロケッツを続けてライブをやりたいですね。LUCYは凄いボーカリストだと思うし、やっとこの編成でバンドらしくなってきたと感じるので。
──澄田さんは当初、鮎川さんに「澄田なら弾けるやろ」とサポート・ギタリスト候補として指名を受けたと聞きました。その時どう感じたのかをあらためて聞かせてください。
澄田:2022年の暮れに純ちゃんから「大晦日、空いてる?」って電話があって。最初は物販の手伝いでもするのかな? と思ったんですけど(笑)、『NEW YEAR ROCK FESTIVAL』でギターを弾いてくれないかと唐突に言われて。まず「サンハウスじゃないよね?」って訊いたんですよ。サンハウスはリズム・ギターが必要なアンサンブルだからわかるけど、依頼されたのはロケッツだった。で、「リズムをやればいいんだね?」と純ちゃんに訊いたら「もしかしたらリードもお願いするかもしれない」と。それを聞いてびっくりして、「エッ、鮎川さんどうした?!」と混乱してしまったんですけど、電話の向こうで純ちゃんが「察してください…」と悲しそうな声で話すのを聞いて、何とも言えない気持ちになりました。それで「わかった。何でもやるから!」と答えて。あのやり取りを思い返すたびに涙が出るし、一生忘れないでしょうね。それからセットリストを送ってもらってすぐにコピーして、ギターは何を使うか、何を着るかまで考えて(笑)。僕からすればシーナ&ロケッツの一員としてステージに立てるなんて天変地異みたいな出来事で、光栄の極みでした。でも結局ライブはキャンセルになってしまい、その後は鮎川さんの体調が良くなるようにとずっと祈っていたんですけどね…。
──鮎川さんが45年間弾き続けた1969年製ギブソン・レスポール・カスタム(通称:ブラック・ビューティー)に呼ばれてしまったのも不思議な体験でしたね。
澄田:あのギターを手にして音を鳴らした時の衝撃は本当に凄かったですね。
奈良:澄田君もそれまで同じ年代のレスポールを弾いていたのに、音が桁違いだったよね。
澄田:リハがあと10分くらいで終わるって時に純ちゃんが急に持ってきて。
純子:あれもお父さんに呼ばれたような気がします。ブラック・ビューティーもメンバーの一人として、その場に立ち合わせなきゃいけないと急に思い立ったんです。
──鮎川さんのレスポール・カスタムで不滅のロケッツ・ナンバーを弾く重責みたいなものもありますよね?
澄田:やっぱりあのギターだけは特別なものですから。持ってみたのも初めてだったし、鮎川さんの生前、楽屋に置いてあったのを「ちょっと貸してください」なんて言えるわけがなかったし(笑)。
奈良:音圧が他のギターと全然違うんですよ。ギターだけど、マコちゃんがそこにいる感じ。
澄田:あのブラック・ビューティーは鮎川さんそのものですね。それは本当に思います。まず楽器としてもの凄くバランスがいい。ずっと現役の楽器としていろんな場所で使われ続けてきた百戦錬磨のギターだし、ボディの木がよく乾いていることで音が鳴りまくるんです。もちろんあのトーンを出すのは鮎川さんの癖みたいなものもあるし、一弦だけちょっと高くなっていて自分のセッティングや弦のゲージも違うけど、自然と良い音が出る。僕よりも鮎川さんのほうが背が高いのでストラップの長さも違うんだけど、妙にしっくりくるんです。だからそのままの長さで使わせてもらってます。不思議ですけどね。