デフォルメしたドラマとして描くことで訴えたいことが鮮明になる
──劇映画という虚構の世界だからこそ、逆に真意やリアリティを膨らませることができると思うんです。イチとハルとアニマルが歩道橋で語らうシーンで、ハルが「イチは俺に“バーカ”って言わないよな」と話しますが、あの微妙な距離感や関係性はドキュメンタリーでは出せないだろうし、その意味でも虚構の世界だからこその雄弁が成立するというか。
藤沼:フィクションならだいぶデフォルメできるからね。晩年のハルはアルコールと女に依存するようになって人としてダメになるわけだけど、マリのファンはあんな描き方をして怒るかもしれない。だけどああいうデフォルメしたドラマとして描くことで俺が訴えたかったことが鮮明になるんだと思う。それは脚本家の港(岳彦)さんと何度も話し合ったんだよ。俺が「実際のマリはこんなに酷くなかったですよ」と言っても、「いや、ドラマとしてはこれくらい誇張したほうが絶対にいいんだ。そうじゃないとドラマとして成立しないんだから」って言われて、ああ、そうだなと俺も思って。
──ちょっと話が逸れますが、伸一さんとマリさんの関係性は実際のところはどうだったんですか。同じギタリストとは言え、プレイヤーとしてのタイプも評価の受け方も真逆と言っても過言じゃないと思いますが。
藤沼:デビュー当時の亜無亜危異はマリがスポークスマン的役割としてどこでも喋って、茂はボーカルで目立つと。俺とコバンと寺岡(信芳)は後ろのほうにいた目立たない感じだったけど、役割としては音楽をしっかりやればバランスが取れるだろうと考えた。それで俺はレゲエやファンク、ブルースといったパンク以外のジャンルを聴きまくっているうちにJAGATARAのOTOやEBBYに「こんな音楽もあるよ」といろいろ教わって、FOOLSのメンバーなんかと仲良くなったりして…そうこうしてるうちに俺のギタリストとしての腕がメキメキと上がってきて、徐々にバランスが悪くなってきた。マリはマリで、それまで通りバンドのスポークスマンでいてくれたら良かったんだけど。
──ストーンズで言えば、キース・リチャーズとブライアン・ジョーンズの関係性に似ていたのかもしれませんね。
藤沼:うん。あるいは俺たちが寄せちゃったのかもしれないけどね。
──どちらが良い悪いではなく、変化を受け入れられる人と受け入れられない人の違いという言い方もできるのではないかと思いますが。
藤沼:俺はもともと変化を受け入れやすいタイプなんだよね。セックス・ピストルズは実はマルコム・マクラーレンの操り人形であって偽物だったんだってことで、ジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドを始めるわけじゃない? あれは俺、やられたー! って思ったわけ。当時はみんなピストルズのほうが絶対にいいと心酔してたけど、あんなのは嘘っぱちだとか、ゴロッと何もかも変えられることに俺は凄いドキドキして、嬉しくなっちゃうほうだった。そうやって変化し続ける存在のほうが俺は好きだったし、周囲とは子どもの頃から1対9で少数派だったね。ジミヘンも短い生涯の中で音楽的にいろんなチャレンジをして変化し続けたでしょ? 俺はああいうのが好きだったな。レッチリが出てきたときも興奮したもんね。新しもの好きって言われたらそれまでなのかもしれないけど。
──1997年当時、『ディンゴ』のようなデジロックを大胆に導入したアルバムを作る発想は伸一さん以外にいなかったでしょうしね。
藤沼:もちろんそういう新しい発想が嫌いな人、昔ながらのものを好きな人は絶対いるだろうけど、ビートルズだってずっと変化し続けたわけだからね。最後までリーゼントに革ジャンのままだったら今日ここまで聴き継がれることはなかったはずだしさ。
──5人の友情は変わらないはずなのに関係性は歳を重ねて変わっていき、パンクロックの在り方も時代の流れと共に変わっていく。それでも万物流転、何ものも絶えず変転してやまないというパンクの本質は変わらない。不変なれど普遍、普遍ゆえの不変という、まるで禅問答のような問いが『GOLDFISH』には通底しているようにも感じます。
藤沼:パンクロックをやる前に、俺たちも人間だから。金魚ではなく鮒に戻ったときにどんな泳ぎができるんだろう? と思うし、金魚鉢を出てみれば八百屋さんや魚屋さんと同じ境地になれるのかもしれないし、IT関係の人とも同じなのかもしれないけど、金魚というカテゴライズをされた途端、その様式美に凄く囚われてしまう。良い悪いは別としてね。それは以前、町田(康)とも話したんだけどさ。エンターテイメントという様式美に感化されていると、あるとき死神が見えたりするかもね、なんて話して。じゃあその死神の役をやってよってお願いしたらOKをもらったんだけど(笑)。
──町田さんの怪演は本当に不気味ですね。まるで屍を養分にして生きているような役で。
藤沼:町田が死神を演じることだけは、俺は最初から譲らなかった。ああいう大事な役は映画の世界だと最初から決まってるものらしくて、なおかつ彼らの想定する死神も黒いパーカーを頭から被って顔も見えないという如何にもな感じだったんだけど、俺はそんなの絶対にイヤでさ。死神なんだから逆に白のマオカラーで、それを着た町田で行くぞとずっと決めてた。町田は普段からあんな感じで絶対ハマると思ってたから。あいつとはミラクルヤングで一緒にやってたし、それ以前からいろいろと交流があったしね。