イチの娘だけが管理された金魚鉢の世界を理解している
──映画監督は撮影、照明、録音など各セクションからありとあらゆるジャッジを迫られるじゃないですか。そういうことには上手く対応できましたか。
藤沼:みんなうるさいんだよね。夜中でも「ここはどうしたらいいんでしょうか?」とか平気で電話してきてさ(笑)。でも撮影も照明も録音もそれぞれプロの集まりだし、みんなアーティストと言うよりも職人さんなんだよね。俺が相談したいことがあると的確に答えてくれたしさ。たとえば「この藤沼組で必殺技を出してよ。××組では出せないやつをやってみてよ」なんて言うと、「やっていいんですか!?」ってノリが良くなる(笑)。それはスタジオ・ミュージシャンとして「ここはこんなふうに弾いて」とか言われるよりも「好きにギター・ソロを弾いてみて」と言われたほうが俄然やる気が出るのと同じなんじゃないかな。あと、主演の永瀬さんが凄く自由に演技をされる方なので、基本的にライブを撮る感覚でいこうとスタッフとは話していました。絵コンテもきちんと作らなかったので、ライブ感覚を重視するとスタッフに緊張感も生じるじゃないですか。それぞれが自分の腕試しみたいになるからね。
──ということは、伸一さんとしては全体を取りまとめるバンマスみたいな役どころを求められたと?
藤沼:そうかもしれない。映画監督をやってる人たちにも事前にいろいろ聞いたんだよ。彼らが言っていたのは、スタッフに嫌われたらもうおしまいだと。そんな話を聞いて、たとえばどこかのセクションは弁当が楽しみだったりするから、「今日は車移動で中華弁当がこぼれそうになってごめん。明日は違うのにするね」とか言ってみたりして(笑)。でもそういう気遣いをするのは全然イヤじゃなかったね。
──チームで創作するという意味において、バンドと映画は似ていますか。
藤沼:全然似てないね。映画のチームはスペシャリストの集合体で、こういうテーマで行きたいとボールを投げると事前に凄く勉強してきて「こんなふうに撮るのはどうでしょう?」と的確に対応してくれるし、いろんなアイディアを出してくれる。ただ共通してるのは、パワハラみたいなことをするとモチベーションが絶対に下がるってこと。「なんだテメェ、馬鹿野郎!」なんてスタッフを怒鳴りつけてもいいものは決して生まれないし、頭ごなしに怒る×××××みたいな人は俺も音楽の現場でさんざん見てきたから(笑)。それに発奮して「ヨシ、やってやろうぜ!」とは絶対にならないし、それで良い演奏になることはないからね。
──この『GOLDFISH』では5人の群像劇という本筋とは別に、イチの一人娘であるニコ(成海花音)がある種希望の象徴として描かれていますね。
藤沼:それもまたフィクションで、実際の俺には息子がいるんだけど、女性の持つスピリチュアルというか神秘的な部分がわかりやすく伝わるかなと思って。わざとショートヘアにしたのも、学校の机に“宇宙人”と落書きされているのも学校で馴染もうとしていないことの表れで、異性の目を気にしているところもないというか。あと、ニコが空を見上げるといつも水の中にいるような感じになる。つまりこの世界もまた金魚鉢の中であるということをニコだけは気づいているのを表現したかった。本当は役名を巫女を由来とするミコにしようとしたんだけど、それじゃあまりにストレートすぎるってことでニコにしたわけ。だけど俺としては、この世界は誰かに管理されていて、自分たちは金魚鉢の中にいる金魚みたいなものなんだ、中には死神が垂らした糸に喰いついて逝ってしまったハルみたいな人もいるんだっていうのを瞬時に嗅ぎ取るキャラクターがほしくて、ニコにその役割を担ってもらった。絵を描く子ってそういう鋭い感性を持ったイメージがあるし、だから最後にガンズ(銃徒)のポスターの上に絵を描いて全部消して、金魚として旅立たせるというアイディアが思いついたんだけどね。
──その意味でも、実に多層的なテーマが盛り込まれている重厚な劇映画と言えますね。
藤沼:パンクロッカーが監督した映画じゃないみたいでしょ? 暴れん坊の藤沼じゃないみたいと書いておいてください(笑)。
──構想、撮影、編集などその都度ご苦労があったと思いますが、とりわけ心血を注いだのはどの場面でしたか。
藤沼:どうかな。それぞれ大変だったけど、俺はわからないこと、難しいことはすぐ人に訊いちゃうので。いい映画にしたいという着地点は見えていたので、その経過として今日はこの辺をクリアにしておけば着地点に近づけるなというのを絶えず考えていました。寝不足とかはあったけど、苦労らしいことを特に苦労とも思わなかった。助監督には撮影中、車の中で15分でもいいから絶対に寝てくれと言われたけどね。寝ないとジャッジが凄く甘くなるからって。
──監督としてOKを出すジャッジのポイントは厳しかったんですか。
藤沼:そうでもないよ。役者さんのクオリティが総じてかなり高かったし、どこをどう撮っても大丈夫だったから。セリフを噛んだり、何かの物が落ちて音が入ったり、スタッフが映り込んだりとか以外はどのシーンもバッチリだったし、どれも2回くらい回せばほぼOKだった。撮りこぼしもなく、スケジュール内に全部撮影を終えられたしね。
──編集の段階で切るのを迷ったりは?
藤沼:俺は意外とざくざく切るタイプでね。どの場面も思い出はあるけど、思い出と作品は別のものだから。作品はお客さんに観てもらうものだし、思い出に浸りたいなら編集前の映像を自分で見ればいいだけだし。
──全体を透徹するプロデューサー的な視点を兼ね備えていたということでしょうか。
藤沼:映画は観られないとダメなわけで、そのために奔走するプロデューサーからの意見は凄く大事。お客さんがどうすれば観てくれるのかを熟知しているわけだから。俺が好き勝手なものをつくるよりも客がどう観るかをしっかりと考えるべきなんだよ。