今回の対談が初顔合わせとなった中島卓偉とSHIN。
今まで混じり合ったことのない2人ではあるが、自分で全ての責任を背負うという決心を持って臨んでいるという共通点を感じた2人の2マンライブでは、何が起こるか楽しみである。
まずは対談を読んで、互いのファンの方にも、2人を初めて知った方にも、中島卓偉、SHINというそれぞれのアーティストのことを感じとって欲しい。[interview:河西香織(新宿LOFT)]
ソロを始めたきっかけ
——お2人は今日が初対面だと思いますので、まずはそれぞれの音楽との出会いや、始めたきっかけ等をお話頂けたらと思います。
SHIN:僕がボーカリストを始めたきっかけは、J-POPのCHEMISTRYさんが入りなんですけど、それ以前に映画音楽が好きで、サントラとかをすごく昔から聴いていて。1980年代のシルヴェスター・スタローンの『ロッキー』とか、すごく大ヒットした『トップガン』とかのサントラが好きで、今の音楽はそこからすごく影響を受けていて。80年代の洋楽だったりとか。自分のボーカリストのルーツはCHEMISTRYさんなんですけど、バンド系の音楽を好きになったのは、GACKTさん入りなんですけど、今の音楽は映画音楽からの影響が強いですね。
卓偉:僕はThe BeatlesとPunkで、ほぼ洋楽しか聴いてないような状態だったんですけど、兄貴の影響もあるんでしょうけど、BOØWYは好きですね。ボーカリストとしては、ZIGGYの森重樹一さんの影響で歌おうと思いました。好きなメロディーラインとかっていうのは、やっぱりあるじゃないですか。そういうところで影響を受けて、自分で曲を書くようになったっていう感じですかね。
——ではソロを始めたきっかけや、その時の思いだったり決意を教えて下さい。
SHIN:元々僕は、ViViDっていうバンドをやってたんです。その時は有難いことにいろいろな場所に立たせて頂いたり、初めての経験ばっかりで。メジャー・デビューもしましたし、アニメのタイアップとかもやらせて頂いて、その中でバンドが解散して本当に自分が何もなくなった時に、「自分の核って何だろう?」「自分の本当にやりたいことって、本当は何なんだろう?」って立ち返った時に、「ソロなんじゃないかな」って思ったんですよ。自信はなかったんですけど、生きるか死ぬかだったらやってみるかって感じで始めて、今2年目になりました。ソロはすごい楽しいですし、人生で一番自分のやりたいことを表現出来てるのかなっていうところではあるので、ここから自分のやりたいことが表現出来るようにもう少し柔軟に活動してみたいなとも思っています。今年は特に、自分が育った畑じゃないジャンルの方たちとよく対バンをさせて頂いたり、初めてフェスに出たりするんですけど、音楽の世界って広いなって感じて。すごくいい音楽がいっぱいあったり、素敵な人たちがいっぱいいたりするんで、今回の卓偉さんとの出会いも僕はすごくそう感じるし、そういうふうなライブになったらいいなって思います。すいません、飛躍しました(笑)。
卓偉:いやいや、全然。バンドは何年くらい続けてたんですか?
SHIN:前のバンドは6年くらいなんですけど、バンド歴は10年くらいです。
卓偉:10年くらいはずっとバンドだったけど、ある時にやっぱりソロだなって思ったってことなんですね。
SHIN:そうですね。僕は人がいると自分の意志があんまり伝えられなくなっちゃうんですよ。例えばメンバーとかがいると、いい意味で意見を聞いて「じゃあ僕はこうしたい」っていう感じで、自分の意見をベースにするってことがあんまりバンドではなかったんで、ソロになってみて、意外と自分はこんなにやりたいことがあったんだなって(笑)。5人バンドだったんで、それぞれの価値観があったり曲を書いているのが僕ではなかったりしたんで、自分がやりたい曲調だったりメロディだったり、今はその世界観が全部自分で構築出来てるっていうのがすごいやりがいがあるなって思ってます。
卓偉:僕は自分のキャリアも考えた時に矛盾してるように聞こえるかもしれないんですけど、本当はバンドをやりたかったんですよね。バンドでデビューすることが目標であり夢だったんですけど、15歳とかで東京に出てきて、アルバイトをしながら東京でバンドを作ろうってやってたんですけど、いい出会いというか、運命も働かず、やっぱりどこか妥協しながらバンドをやっていて。自分が今やっているバンドで自分自身は自信を持てても、メンバーに対する思いとか、曲を書けるのが自分しかいなかったりっていうのもあって、ずっとジレンマというか、歯車が上手く回らない状態で、他のバンドのメンバーは早くデビューしようぜみたいなノリだったんですけど、そこにプロ意識とかっていうズレがあって、それで自分の責任は自分で取るべきというか、自分で曲も書いて自分で歌うというか、自分が作らないと何も始まらないっていうポジションで生きてきたので、バンドっていうとそれだけの責任も背負えないし、すぐに解散してしまうくらいだったら、デビューする必要もないしバンドでいる必要もないというか。途中で駄目だということが分かっているんだったら踏み込まないっていうところがありまして。高校も受験をしなかったのは、そういう理由で。辞められるじゃないですか、そして自分の意志じゃないところで辞めさせられもするわけですよね。だったら行かない、受験もしないっていう。だからバンドも「天才の集まりだし、才能の集まりだから、やってみよう」「どっかで爆発して解散なら、それでもいい」っていうのならやったんでしょうけど、納得もしてないのにバンドでデビューして、しかも曲を書いてない奴が途中で辞めるって言って、自分の責任じゃないところで駄目になるのはもう嫌だなっていうか、そういうポシャり方が嫌だったんですよね。それだったら、自分の責任で全部やれることで言うと、もうソロだなっていう感じで。10代の頃にバンドをやっていて、それが20歳くらいだったんですけど、そこからもう1回下積みして、デビュー出来るところまで漕ぎ着けたって感じですかね。もう20年前なんで、うろ覚えですけどね(笑)。
東京での最初のライブ
——卓偉さんは福岡県、SHINさんは長野県の出身ですが、いつ頃上京したんですか?
SHIN:卓偉さんは15歳なんですよね?
卓偉:そうそう僕はね、中学校3年で受験もせずにね。受験の日は自分だけが中学校に登校して、校長室で給食を食べなきゃいけないっていうね(笑)。「登校しなくていいっすか?」って聞いたら、「駄目だ、来い!」って言われて。それは覚えてますね。
SHIN:僕は18歳の時ですね。
卓偉:高卒で?
SHIN:はい。
卓偉:長野のどちらなんですか?
SHIN:松本市です。
卓偉:おー、いいですね! 城マニアなんで。
SHIN:あっ、そうなんですね! 国宝で松本城がありますね。
卓偉:松本城は何十回と観に行ってて、ウザイ奴なんですよ。
一同:(笑)
SHIN:松本城って、そんなに発見があります?
卓偉:国宝になって結構時間が経つけど、1600年代から残ってるし、あれだけ綺麗に残ってるのは珍しいですからね。ファンクラブ旅行で、松本城の見学を兼ねてやったりね(笑)。
——では、上京して最初に行ったライブハウスは覚えてますか?
卓偉:新宿LOFTですよ。
——小滝橋の?
卓偉:そうそう、昔の。95年のLAUGHIN’NOSEの再結成のライブだったと思います。
SHIN:僕は、忘れちゃいました…。
——では、記憶の中で一番古いライブハウスとかはどうですかね?
SHIN:…多分、原宿のアストロホールだったと思います。
——何を観たか覚えてますか?
SHIN: NoGoDさんです(笑)。
一同:へー!
卓偉:おっ、団長(NoGoDのVo)! いいね。
SHIN:お知り合いですか?
卓偉:自分で言うのはおこがましいんだけど、彼は僕のファンでいてくれて。すごい僕のこと知ってくれているんだよね。それで対談もやらせてもらったり、対バンもやったことあるよ。
SHIN:そうなんですね。実はこのことは、人生で初めて話しました(笑)。