「master+mind」が主催する年始のROCKフェスティバル【Rock is Culture 2019】にて、1月30日に開催する2マン......えんそくのVo.ぶう&Gt.Joe、MIMIZUQのVo.TAMA&Gt.AYAでのスペシャル座談会!
自らを"新人バンド"と豪語するベテラン揃いのバンド『MIMIZUQ』と、結成14年目を迎え、バンドとしてますます脂がのっている『えんそく』のガチンコ2マン。それぞれの個性が強いステージを、是非肌で感じて欲しい。[interview:河西香織(新宿LOFT)]
自分のパートに目覚めたきっかけ
——皆さんの関係性はどういう感じなんですか?
Joe:AYAさんとは以前のバンド(Mix Speaker’s,Inc.)で、えんそくと2マンをやらせて頂いたり。
AYA:そうそう。名阪も回ったし、セッションもしたし、大きなイベントの時に一緒になったりで、ちょこちょこは会ってましたね。
ぶう:TAMAさんとは、僕らにとってはテレビの中の人で。
Joe:テレビで観ていた世代なので、アルバムも買ってました。
TAMA:ありがとね。
ぶう:だからほとんど面識はないよね。
Joe:そうだね。もちろんお名前はずっと存じてましたし、CASCADE(TAMAの別バンド)が復活されて活躍されてるのも聞いていたりはするんですけど。
ぶう:あと、自分のソロで十川十三をやっていた時のライブのEND SEでCASCADEさんの曲を使用させてもらったりしてました。
TAMA:ありがとうございます。嬉しいです。
Joe:えんそくでCASCADEさんとお会いすることっていうのは全然なかったので、こういう機会を頂けて有難うございます。
——それぞれ今のパートに目覚めたきっかけは何だったんですか?
ぶう:この対談の前に少しお話をした時にちょっと聞いたんですが、僕が生まれる前にTAMAさんはもうステージに立ってたんですよ。
TAMA:そうなんですよね。自分は高校生の頃の学園祭に出た時に、ボーカルをやりまして。その時にコピーした曲が、TUBEの『シーズン・イン・ザ・サン』と…。
一同:TUBE!!
TAMA:あとEARTHSHAKERの『COME ON』と、聖飢魔Ⅱの『蝋人形の館』で。
AYA:おー、いいですね。
Joe:すごいセットリストですね。
一同:(笑)
TAMA:それで学園祭でステージに立ってみて、「バンド、やりたいな。これで食べていけたらな」って。でも俺らの周りやうちの親はそんなことは全くなくて、ポスターとかを貼ってたら、「こんなになったら、終わりやねんで」って言われてて。
一同:(笑)
AYA:TAMAさんって、ベースやったんですよね?
TAMA:そうそう、その時はボーカルをやって、その次のバンドではベースで。ボーカルをやりたかってんやけど、もう1人ボーカルをやりたい奴がいて、じゃんけんで負けて自分がベースになったんですね。ベースは1年やったんですけど、やっぱり楽器って、性質的なもので向き不向きってありますよね。「自分にはベースは向いてないんじゃないか。やっぱりボーカルをやりたいな」って思って。
——ボーカルをやりたいと思ったきっかけはあったんですか?
TAMA:楽器の人たちはみんな機材を買って揃えたりするけど、ボーカルは譜面だけ持って行けばいいじゃないですか(笑)。ライブの時はやっぱりちょっと違うけど…。楽だからですかね。
一同:(笑)
TAMA:でも楽ではなかったけど。ボーカルはボーカルなりにね。
ぶう:楽じゃないですよね。僕も今になって、ボーカルって大変だなって思いますよ。ベースかドラムがいいっすね。
Joe:ベースでしょ。
ぶう:次のバンドをやるとしたら、ベースがいい。体調管理をしなくていいじゃないですか。ツアー先とかでみんな飲んだりするじゃないですか。俺はライブの前日は飲まないようにしていて、辛いものも控えてるんですよ。スケジュール的に下手すると、辛いものを食える日ないじゃんってなって。移動の車の中でも本当は騒ぎたいんですよね。でもそうすると、会場に着いたらリハから声が出ないみたいな感じだから。最近は黙っていられるように、口にテープを貼ってるんですよ。
AYA:マジで!(笑)すごい!
TAMA:でも喉を休めるために、喋らないのが一番いいらしいですね。特にツアーとかが続くとね。
ぶう:俺がベーシストだったら、移動中もみんなをめっちゃ盛り上げるんですけどね。
一同:(笑)
TAMA:自分もベースはベースで楽しくやってたんですけどね。「弾かずに踊るベーシストだ」とかって言われててね(笑)。細かく刻まずに「ジャーン!」って感じでね。そんな感じでですね、考えたわけなんですよ。
ぶう:それは確かに向かないですね。全然リズムが来ないですもんね(笑)。
——ぶうさんはどうですか?
ぶう:僕は全然バンドとかに興味がなかったんですけど、自分はクラスによくいるお調子者みたいな立ち位置だったから、高校生の時に軽音部の奴らが、「文化祭でボーカルやって、盛り上げてよ」みたいな感じでやったんですよ。それも楽しかったんですけど、その後もバンドをやる気はなかったんですね。でも同じクラスのヴィジュアル系を好きな奴から「一緒にやろうよ」って言われてバンドを始めたら、えんそくのリーダー(ミド)との出会いもあって。そのバンドは辞めて大学に行ってたんですけど、リーダーから「やろうよ」って話があって。「楽しいことをやろうよ」みたいな感じでやってたら、なし崩し的に続いていって。だからボーカリスト、ミュージシャンとしてやり出したのは、ここ最近の感じです。えんそくを始めて10年くらいしてからですかね。
——このアーティストを目指してとかではなく、楽しいことをやろうって感じで?
ぶう:そうですね。みんなでちょっと悪いことをして盛り上がったりするようなことの延長線でバンドを始めてっていう感じで、バンドで食べていこうとかってことは全然考えてなかったんですけど。でももう辞めると他にやることもないですし、売れざるを得ないですよね。ちなみに僕が最初に文化祭でやったのは、軽音部の奴らの選出で、大槻ケンヂさんがボーカルの特撮と、COALTAR OF THE DEEPERSでした。
一同:へー!!
Joe:高校生がDEEPERS(COALTAR OF THE DEEPERS)って。
AYA:すごいよね。
TAMA:COALTAR OF THE DEEPERSは聴いてましたね。『THE VISTORS FROM DEEPSPACE』は今も持ってます。
ぶう:音楽が好きな奴らだったんですよね。僕は初めてそれを聴いた時は、「すっげーうるせー音楽だな」って思って。
一同:(笑)
TAMA:ボーカルのあどけない感じと歪んだギターとかのギャップがすごいよね。
ぶう:すっごいデスボイスがきたりするじゃないですか。当時は理解が出来なかったですね。
Joe:「これ歌って」って、言われるがままやったってこと?
ぶう:うん、そうだね。でも全然歌えてもなかったし。THE BLUE HEARTSさえ歌えないっていう感じだったんだよね。AYAさんがギターを始めたのは何歳だったんですか?
AYA:僕は17歳かな? 最初はベースやったんです。でも僕は性格が地味なんで、「これじゃ目立たんな。ギターをやろうかな」って思ったんですけど、keijiくん(ex.Mix Speaker’s,Inc.)とかUCHUSENTAI:NOIZ(=NOIZ)のMASATOとか周りに上手い人たちがいて、「これは勝てんな」って思って、「弾かへんギターリストになろう。ギターは投げる物だ」っていう入りやったんです(笑)。
一同:(笑)
ぶう:すごいですね。ギターを始める時からその心意気だったんですね。
AYA:弾かないっていう(笑)。ROUAGEのRIKAさんっていうギターリストのビデオを見せられた時に、結構衝撃を受けて。
Joe:回転されてますよね。
AYA:こういうギターリストは姫路(AYAの地元)にはいなかったんで、そういう形を目指してたんで、音楽は全然ダメでしたね(笑)。音楽を好きになったのは、最近ですね。
ぶう:一緒ですね。
一同:(笑)
Joe:AYAさんが当時一緒にバンドを始めた周りの友達が、今でも東京でみんなで会えるっていうのはすごいですよね。
AYA:僕らの世代が結構残ってて。
ぶう:姫路、強いですよね。
AYA:何気に強いです。
ぶう:姫路界隈でのMASATOさんの扱いが、俺たち的にはすごいなって。
AYA:MASATOと幼馴染みなんで、seekなんてめちゃめちゃいじめてましたよ(笑)。ただMASATOは音楽的にはずば抜けてすごかったけどね。
Joe:すごく不思議な光景で。NOIZ(=UCHUSENTAI:NOIZ)の叫さんがPsycho le Cému(AYAの別バンド)のLidaさんをすごくいじるんですけど。
AYA:あ〜! 叫さんはいじるね。
ぶう:Lidaさんも怒らないしね。
Joe:逆に今度はYURAサマ(Psycho le Cému)がMASATOさんをすごくいじったり。
ぶう:よく分からないんですよね。僕らからしたらみんな先輩ですけど、姫路界隈の人間模様は不自然に見えるよね(笑)。
AYA:(笑)みんな1回は一緒にバンドをやってるんちゃうかな。YURAサマとMASATOも一緒にやってたし、Psycho le Cémuの前に僕とYURAサマも一緒にやってたしで、いろいろとごちゃ混ぜなんで。でも僕らよりも先輩がまだ姫路は残ってるんで、姫路はなかなか強いですね(笑)。
——Joeさんはどうですか?
Joe:私は中学生くらいの時にテレビで、いわゆるロックバンドというものを知って。そのバンドはLUNA SEAだったんです。エレキギターっていう物をちゃんと意識して見たら、すごく格好よさそうだぞっていうところからなんですけど。一番最初は勘違いして、X JAPANのHEATHさんがギターだと思ってたんですよ。
一同:(笑)
Joe:本当に何にも分からなくって。もちろん今ではしっかり分かってますけど(笑)。
ぶう:中学生の時は分からないよね。
AYA:ベースとギターの差が、僕も昔はよう分かってなかったもんね。
Joe:テレビで「X JAPANです」って出てきて、HEATHさんがワーロックのギザギザのベースを持ってるのを見て、「わっ、格好いい! ギターって格好いい!」って、それを見て勝手に勘違いして。そこからギターをやってみたいなって思った時に、同級生が同じタイミングでギターを始めてたんで、そのムーブメントに乗っかって私も始めて、そこからですね。で、中学校の文化祭に出て。
AYA:中学校から文化祭があるの?
Joe:ありました。ただ学生バンドによくある、ギターが3人でベースとドラムがいて、曲によって入れ替わり立ち替わりで演奏してみたり(笑)。
ぶう:LUNA SEAをやったの?
Joe:LUNA SEAだけをやってましたね(笑)。
TAMA:最初はギターを持ってる人が多いよね。だから集まると、どうしてもトリプルギターになってしまう場合があるんですよね。
ぶう:あるあるですよね。
AYA:ドラムが少なかったですよね。
Joe:それで割り振りは、弾ける順に弾ける曲数が多いっていう(笑)。当時私は、最下層だったんで。
AYA:周りが上手かったん?
Joe:見た目の問題ですかね(笑)。
ぶう:天パーがダサいから。
Joe:そうだね。周りの同級生はみんな、面が良かったり背が高かったりして、自分はそういう感じの学生ではなかったので、ギターとかを持ったら自分がもうちょっと変わっていくんじゃないかなっていう気持ちもありつつ。結果、一番変わっちゃいましたけども(笑)。
ぶう:そうだね。ギターデビューしてモテる男になるつもりが、おばさんになっちゃった。
Joe:今じゃ、すっかり(笑)。
一同:(笑)
Joe:AYAさんの環境とは違って、その時に一緒に始めた仲間で今でもステージに立っているのは、僕くらいしかいないんで。
ぶう:やっぱりそれが、姫路と宮城(Joeの地元)の違いですね。
AYA:それでも続けるっていうのが、すごいと思うんよね。周りがおるから自分も続けなってなるけど、1人やったら辞めてるかもって思うから、すごいですよね。
Joe:しかもヴィジュアル系っていうシーンにいるのも、私しかいなかったんですよ。普通のロックギターだったりパンクだったりっていうとこでやってたりする人たちはいたんですけど、みんなもう辞めちゃって。ここまできたら辞められないなとは思ってるんですけど(笑)。もう行くとこまで行くしかないなとは。
ぶう:TAMAさんは、さっき辞める気ないって言ってましたもんね。
TAMA:まさに言ってることが共感するモノがあって、ここまできたらやり切った方がいいなって。他にやることもないし。
ぶう:そうですよね。他にやることがないですよね。
TAMA:そうそう。
Joe:人生使って築き上げたものが、これしかないんで(笑)。
TAMA:ここにきてMIMIZUQというバンドに誘ってもらって、新しい挑戦が出来たことを感謝してる今日この頃なんやけど。まだ数回しかライブをやってない新人バンドやけどね(笑)。
ぶう:新人ぶってるバンドです(笑)。
TAMA:(笑)でもライブはそれぞれキャリアがあるメンバー同士ではあるけど、こういった取材とかは今だに緊張しながらフレッシュな気分でやってますよ。
ぶう:MIMIZUQが2マンは先行をやるそうです。
AYA:先輩、いいですか?
一同:(笑)
ぶう:僕らはどっちでもいいですし。でも僕らも逆に、先に出てって「先輩が、先輩が」って言って、後でMIMIZUQが出て来て「新人です、新人です」って言うよりも、先に「新人です」っていう振りがあってから、「どうも、先輩です」って出て来た方が、ウケが取れるかもしれない(笑)。
一同:(笑)