表に出せない歴史
平野:当時の特徴はやっぱり「店長の権利と義務」という規約を作ったことだね。
──気に入らない客は実力で追い出すことができる、っていうすごい規則ですね。
平野:これは相当、面白かったよ。客席のヤジに1日店長(当時、イベント主催者は"1日店長"と呼ばれていた)はケンカをして怒っていいわけ。ステージ上にはクズ屋で買ったみすぼらしい鐘があったの。トークの店だし酒も入るから、お客さんもワイワイ喋っててもいいと思ってたんだけど、みんな酒飲むでしょ? そうすると舞台上の話なんて誰も聞いてないから、怒って1日店長が帰っちゃうんだよ(笑)。で、仕方がないからそのみすぼらしい鐘を置いて、それをチンッて鳴らしたら、「みんなお喋りはやめて1日店長の話に集中してください、それでもだめなら実力で追い出しますよ」っていう合図。俺は幸福の鐘って呼んでたんだけど。
──出版記念で開店当初のプラスワンの映像が少し流れましたけど、平野さんがずーっと登壇者をディスっていじり続けてその脇で登壇者がひたすら苦笑いをしていて、これは「平野帰れコール」も起こるなと思いました。
平野:アハハハ(笑)。オタクアミーゴスのときね。
──でもなぜ時間制の箱貸しじゃなくて、お店もお客さんも参加する形にこだわったんですか?
平野:俺はね、当初エド・サリヴァン・ショーがやりかったんだよ。最初なんて30坪もない小さい店だし俺が一番偉かったから、自分の好きな人を呼んで好きなだけ話を聞いて「はい、ありがとうございました」ってやる予定だったの。だから俺はエド・サリヴァン(笑)。でもずっと一人でやってたから、毎日続くと疲れてきちゃうんだよな。ロフトラジオ(週に1回ゲストを招いて放送していた平野悠がホストのネットラジオ)と同じだよ。あれなんか2時間こっちが質問して掘り下げるんだから。ゲストのことを調べてノートにびっしりと書いて。
──そこにウィキペディアから得た間違った情報を書いてゲストに怒られたり。
平野:アハハハ(笑)。でも、びっしり書いたノートをステージ上で開くと相手が焦るんだよ。「この人、これだけ調べてきているから適当なことは答えられないぞ」って思わせるわけ。そのために細かい字でノートを埋め尽くして。
──相手に圧をかけて。
平野:そうするとね、こっちを甘く見ないでちゃんと真面目に話し出すんだよ。
──まるで吉田豪さんみたいじゃないですか。
平野:アハハハ(笑)。そのためには結局、毎日イベントが始まる前の1時間はゲストの本を斜めに読んで、質問のキーワードをたくさん探して準備するんだよ。俺なんて知識がないから、なめられたらおしまいだと思っていた。
──それを毎日やってたんですか。
平野:そう、ずーっと一人で。なぜ今日この企画をやるのか、店側から趣旨を話したりするわけ。まあ、始めの10〜20分ぐらいだけど。だから店のブッカーが女優の渡辺えりさんを呼んだときに、「こんな有名な人に質問なんてできない」って誰もホスト役をやりたがらなくて、しょうがないから何も知らない俺が慌てて調べて、当日「劇団300(さんびゃく)の渡辺さんねぇ〜」なんて話しかけたら300じゃなくて「劇団3○○(さんじゅうまる)」だったんだよ(笑)。渡辺さんにも「あんた、わたしのこと知っているの?」なんて言われちゃって。「俺は何も知らねぇよ、だから聞いてるんだよ」って、ステージ上でケンカだからね。彼女はあれから一度もうちに出てくれなくなっちゃったね(苦笑)。
椎名:予定調和じゃない時代のことを伝えたいっていう気持ちもあったんですね。
平野:まずはうちの若いブッカーとか店員に、「店側から仕掛けて、馴れ合わずに丁々発止の議論をしようよ」って言いたかったんだよね。
──パリ人肉殺人事件の佐川一政さんが出演するときに右翼から「襲撃に行く」と電話が来てて、平野さんは襲撃がいつ来るのか楽しみに待ったりとこわいものなしですが、さすがに今日はヤバイかも……っていう日はなかったんですか?
平野:だってさ、俺、元全共闘だよ?
──アハハハ(笑)。革命世代(笑)。
平野:毎回、ゲバ棒をふるってデモに行く時代なんだよ。「今日死ぬかもしれない、まあ、それでもいいか」って覚悟をしながらデモに行っていた時代を通過しているから、今さらどうってことないよ。
椎名:ヤクザの親分もこわくなかったです?
平野:つっぱってたからね。でも正直、ヤクザと右翼は緊張したな。
──「プラスワンは表に出せない歴史こそおもしろい」と言われていますが。
平野:あ〜、そりゃあ……警察がね……。
──あ! 待ってください! こわいので軽くでいいです! さわりだけ聞かせてください。
平野:AV男優ポンプ宇野のイメクラか何かのイベントで、ロフトがイメクラになってしまった日があって。風俗嬢がたくさん来てさ、店全体が連れ込み宿状態で……今だったら絶対できないイベントがたくさんあったんだよ。
──そんな毎日のモチベーションは何だったんでしょう。
平野:やっぱり、人だね。毎日、普段は会えない人と会えて、それは面白くて興奮する貴重な時代だったな。俺は今まで何を見てきたんだろう? って思ったくらい衝撃だったな。
──今でこそインターネットが普及してニッチな趣味を持つ者同士が部屋から出ずに繋がることができますけど、当時のそういった方たちにとってロフトプラスワンの存在は「待ってました!」という感じだったんですか。
平野:中森明夫さんが「この店は画期的だね」って言ってくれたり、開店した頃はテレビから新聞からあらゆるメディアが取り上げてくれたんだよな。今はトークイベントなんてもう普通でしょ、本屋だって映画館だってやってるし。昔は映画館なんて5分くらいの監督挨拶だけだったし、お客さんを含めてトークをしちゃうなんてなかったからね。