「かかかかかかかか」に意味なんてない
──今回はレコーディング前に他のミュージシャンと初めてスタジオ・リハーサルを行なったそうですね。
友川:初めてやりましたよ。練習なんてキライだし、レーベルのスタッフから「練習しますか?」と電話が来た時に私は怒ったんですよ。「みんなプロなのに、なんで練習なんかするんだ!? ムダだ!」ってね。いつもはぶっつけ本番の一発録りですからね。練習なんて後ろを振り向いている感じがしてイヤで、私は常に前しか向いていないので。「犬は紫色にかみ砕かれて」の歌詞にもあったでしょう? 「振り向くからヒザがとけ始めたのだ/振り向くから胸がつぶれたのだ」って。私はああいう感じで生きていますからね。でも、今回ばかりは練習しておいて良かった。客観的に自分の曲を聴くことができたし、スタジオにいるうちにアレンジができたりしたんですよ。私は普段から客観性ゼロで、主観性しかないんですけど、周りが私に合わせてくれたので何とか形にできたんです。
──「夜遊び」の終盤で聴ける歌終わりのセッションも、聴き手に余韻を残す素晴らしい演奏ですよね。
友川:あれは実に良かった。あのパートは坂本さんがその場で考えてくれたんですよ。私はただ酒を呑んで酔っぱらってるだけでしたからね(笑)。
──「わかば」や「家出青年」のようにハードな楽曲がある一方で、河村光陽の「グッドバイ」を替え歌にした「ダダの日」のように友川さんらしいユーモアに溢れた楽曲もいいですよね。
友川:「グッドバイ」のメロディを使って唄ってみたいと突然思ったんですね。原曲の歌詞はおかしいですよ。「ご用が済んだら グッドバイバイ」だなんて、何なんですかね?
──友川さんの「遠心力でグッドバイバイ」も相当おかしいですけどね(笑)。
友川:私の歌詞もかなり出鱈目だからね(笑)。
──歌詞にはダダイスト詩人の高橋新吉の名前も出てきますが、やはりダダイズム(1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動)にはかなりの影響を受けたんですか。
友川:いや、中原中也が影響を受けた詩人の一人が高橋新吉だから、いつか歌にしようと思っていただけなんですよ。ダダイストの詩を読んでも私にはさっぱり意味が分からないし、あれを分かる人がいたら教えて欲しいくらいです。はっきり言って、知りたくもない(笑)。
──そうなんですか(笑)。いや、「順三郎畏怖」でも西脇順三郎という戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物だった詩人を取り上げていたので、てっきりお好きなのかと思ったんですけど。
友川:西脇順三郎はダダイズムって言うよりシュルレアリスム運動の旗手ですよね。英文学者でもあったから外国の洗礼を受けているけど、彼の基本は萩原朔太郎だったから(笑)。近代の詩人や文学者を歌にするのはオマージュももちろんあるんだけど、自分の中でオノマトペ(擬声語)が面白くなってきたんですよ。評論家は誰も指摘していないけど、オノマトペを日本で最初に始めたのは宮沢賢治だと私は思うんです。『風の又三郎』に「どっどどどどうど どどうど どどう」という風の音を表す擬声語があるじゃないですか。あの辺りから中也を始めいろんな詩人が賢治を絶賛して、みんな賢治の手法を真似るようになった。シュルレアリスムもそうだけど、新しい表現にはみんなすぐに飛びつくんですよ。中也の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(『サーカス』)なんてまさにそれですよね。私の歌で言えば「家出青年」の「かかかかかかかか」もそうです。その意味なんて説明できませんよ。そもそも意味なんてないんだから(笑)。
──でも、それが音だと伝わってくるものがちゃんとあるんですよね。
友川:そうなんですよ。だから意味なんて大して要らないんです。「順三郎畏怖」の「間断なく祝福せよ」なんて実にいい言葉でしょう? その前後に関係なく。まぁ、その部分は西脇順三郎の『馥郁タル火夫』からの引用ですけどね(笑)。歌はあくまでイメージの産物だから、西脇順三郎の詩としっかり対峙してみようとか、そういうことじゃないんですよ。
必ずしも真実ばかりがいいわけじゃない
──「ダダの日」や「順三郎畏怖」が文学に対するオマージュなら、『気狂いピエロ』は終わった」はジャン=リュック・ゴダールの名作に対するオマージュですね。
友川:映画も好きだからね。家で映画チャンネルをずっとつけてるし。ほとんどB級映画ばかりだけど、エミール・クストリッツァの映画みたいにたまにいいのに当たるんです。それで彼に狂っちゃって、彼の映画はほとんど見ましたから。ゴダールはあまり好きじゃないんだけど、私のマネージャーが熱狂的なファンでね。いいなと思ったのは『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』だけ。『気狂いピエロ』は5、6回見ましたね。あの映画こそ意味も何もないじゃないですか(笑)。ただ、ジャン=ポール・ベルモンドが凄く良くてね。他にもマネージャーからいろいろとゴダールのビデオを借りたけど、ほとんどダメでした。『彼女について私が知っている二、三の事柄』なんて、見ている間に疲れちゃったから。私は好き嫌いがはっきりしているんですよ。クストリッツァは全部好き。
──「『気狂いピエロ』は終わった」は、「歌は平気でウソをつく」「映画は平気でウソをつく」というフレーズがとりわけ印象に残りますね。
友川:虚構の世界である以上、歌も映画も一緒なんですよ。でも、必ずしも真実ばかりがいいわけじゃない。「生のままの真実は虚偽以上に虚偽である」というポール・ヴァレリーの言葉があるんですけど、この歌はそれと全く逆ですよね。真剣にやれば虚構のほうがずっと説得力があったりする。「これが絶対の真実だから」なんて言うのは詐欺師ですよ。
──現実のほうがよっぽどウソにまみれた世界だったりしますからね。
友川:ウソっぽい、ウソっぽい。何が日本でオリンピックですか、あなた。ちゃんちゃらおかしいでしょう? 笑っちゃうよね。震災の復興と原発の問題が先であるべきだし、順番が逆ですよ。
──「兄のレコード」はジャズに対するオマージュですか。
友川:普段からジャズばっかり聴いているんですよ。だからと言ってタモリみたいに詳しいわけでも何でもなくて、何も知らないんですけどね。でも、ジャズが流れていると単純に気持ち良くてね。
──友川さんの即興演奏スタイルは、ジャズのインプロビゼーションからの影響もあるんでしょうか。
友川:分からない。ただ、同じ曲を決められた通りにやるのは好きじゃない。ステージも毎回違うしね。それは私に合わせてくれるバンドの人たちが凄いんだと思います。「またおかしくなったな」って向こうが気づいて合わせてくれるから、大変でしょうけどね。いつも構成やアレンジをきちんと決めないでお願いしているので、そんじょそこらの人じゃ私に合わせられないですよ。でも、演奏がたとえ出鱈目でもそのほうが面白かったりするんです。
──そうやって予定調和で終わらないのが一期一会であるライブの醍醐味ですよね。
友川:ライブもレコーディングも表現としては全く同じだと私は思います。ただ、CDを聴くのは部屋だから、音のバランスは多少気にしなくちゃいけない。そのために今回は自分の音楽を死ぬほど聴いたんですけど、そんなこと初めてだったんですよ。いつもはCDができても一度だけ聴いて、あとはほとんど聴かないんです。第一、自分のCDやLPなんてろくに持ってませんしね。CDなんてまた作ればいいと思っているから。音楽は次々と作るしかないと思ってるんですよ。
──ご自身でジャズをやってみたいとは思いませんか。
友川:ないない。そういう気持ちでジャズを聴いてないから。ジャズを聴いてると疲れが取れてくるんですよね。新宿で用事がある時はちょっと早めに出かけて、いつも「DUG」にいるんです。あの店はコーヒーが美味いし、ジャズが聴けるから。しかもスピーカーの音が凄くいいんですよ。
──アルバム・タイトルに冠しただけあって、「復讐バーボン」という曲は友川さんにとって重要な位置づけなんですか。
友川:そういうわけでもないです。「何のために小説を書くのか?」と質問された太宰治が「復讐のためだ」と答えたことがあって、それが格好良くてね。彼の小説よりもその一言に感動したんですよ。その「復讐」って言葉を使いたかったんです。意味よりも語感優先なんですね。