気合いを入れた表現なら決して古くならない
──近年は豊田道倫さんや騒音寺、夜のストレンジャーズや下山(GEZAN)といった世代の離れた若手〜中堅どころのミュージシャンとのライブ共演が活発ですよね。10月もU.F.O. CLUBでオシリペンペンズとの共演を果たしたばかりですし。
友川:オシリペンペンズとはその前にも大阪で共演して、ステージを見て感動しちゃってね。あの破れかぶれな感じが良くて、もっと壊れてもいいなと思うくらいです。音だけ聴いてると、あれはドアーズですよ。
──確かにベースレスという共通項はありますね。
友川:あのドラムとエレキだけのスカスカ感がいい。ホンットに好きですね。彼らみたいな若い世代と共演するのは刺激になりますよ。自分にはないものを全部持ってますからね。まだまだ媚びないで、へつらわないでやって欲しいなと思いながらオシリペンペンズを見ています。
──世代の離れたバンドやミュージシャンからライブ共演のオファーがやまないのは、友川さんの音楽性と創作に向き合う姿勢が今なお錆つくことなく、若い世代に絶大な影響を及ぼすくらいの普遍性があるからこそですよね。
友川:それもあるんでしょうけど、単純に私が長いこと唄い続けてきたからじゃないですかね。それで共演相手の時代にまで入ってこれた。自分はケータイも持たないし、インターネットもできない人間ですから、よく間に合ったなと思ってね。そのインターネットを介してなのか、今は口コミでお客さんが増えたりするでしょう? たとえばラジオにちょっと出ただけで動員が増えたりするわけ。
──『ナインティナインのオールナイトニッポン』で、岡村隆史さんが友川さんの音楽に感銘を受けて何度も取り上げたことは記憶に新しいですね。
友川:昔はラジオに出たって、お客さんはせいぜい5、6人増えたくらいでしたからね。それが今じゃバサッと増える。そんなこと、今の時代じゃなきゃムリですよ。
──岡村さんが「トドを殺すな」のハイテンションな物真似をするような時代だし(笑)、「生きてるって言ってみろ」の生演奏は若いリスナーにも充分すぎるほどの衝撃を与えたと思いますけどね。
友川:自分じゃよく分からないんですよ。「トドを殺すな」なんてそれまでずっと唄ってなかった歌だし、岡村さんがよくあれを探し出したなと思ってね。あのラジオのお陰でリクエストが来て、またステージで唄っているんですけど。
──大宮エリーさんがMCを務める音楽番組『アーティスト』でも「生きてるって言ってみろ」と「トドを殺すな」を披露していましたよね。
友川:番組のディレクターからその2曲をお願いされたんです。「トドを殺すな」も20代の時に作った歌だし、やっぱり若い時に書いた歌のほうがいいんですよ(笑)。
──過去のレパートリーが今の時代に再び支持されているのはなぜだと思いますか。
友川:分からない。支持されてるとは思ってないもの。たまたま岡村さんや大宮さんのアンテナに引っかかっちゃったんだなぁ。そうやって引っかかるように歌を作ってはいるんですよ。でも、ほとんどの場合は引っかかってこない(笑)。だって、昔はステージで唄ったってお客さんは10人、20人くらいしか来なかったんですよ。それじゃ単なる自己満足だと思って、2年くらい唄うのをやめていたくらいなんです。
──でも、ここ数年の再評価は、友川さんの歌に色褪せぬ魅力があることの証明とも言えるのでは?
友川:結局、言葉っていうのは昔も今もそう変わらないんですよ。こっちの生き方さえ変わっていなければ、そんなに古くならないものなんですね。私だったりお客さんだったりの感性が古くなっていなければ、今でも鑑賞に堪えるものなんです。固有名詞が古いのであれば省けばいいことだし。いつだって気合いを入れておけば、時間が経っても気合いの入ったものとして受け止められるし、私の場合はその気合いが古くなるってことはないですね。
歌で目に物見せてやるという心意気
──友川さんがしゃにむにギターをかき鳴らして振り絞るように絶叫する様は、今YouTubeで見ても圧倒的な凄みを感じますからね。それまで友川さんの存在を知らなかった若い世代でも、あの充分すぎるほどの気合いを感じ取ると思いますよ。そうやって手軽に動画を見られる時代だからこそ、世代の境界を乗り越えて友川さんの音楽が伝播していくのかもしれませんよね。
友川:確かにそうなのかもしれない。自分ではああいうふうにしか唄えないんですよ。昔は唄う前にもっと酒を呑んでいたし、音楽をやるって感覚じゃなかったんですよね。それよりも目に物見せてやろうっていう、自爆テロみたいな感じなんです。「俺も死ぬ気でやるし、誰かを巻き添えにしてやるぞ」って覚悟でステージに上がっていたから。
──その姿勢は今なお一貫していますよね。
友川:他のやり方を知らないし、できないんですよ。きちんとした音楽をやろうって気持ちもないし、できるはずもない。端っから音楽との関わり方が不純だったんでしょうね。みんなで集まって仲良く音楽をやろうなんて発想はあるはずがなかったから。昔はよくフォーク歌手が集まるコンサートがあって、そこで必ず出演者全員で同じ歌を唄う場面があったんだけど、私はそれに参加するのがイヤで呑みに出ちゃいましたよ。あと、NHKの南こうせつさんの番組でも似たようなことがあって、最後に「あの素晴しい愛をもう一度」を最後に全員で唄うことになったんだけど、それはムリだと突っぱねたんです。でもマネージャーに説得されて、口パクだけ渋々やることにしたんですけどね。誰かとセッションをやるとか一緒に唄うとか、私にはそういうのがムリなんです。
──騒音寺の「乱調秋田音頭」に飛び入りするのは大丈夫なんですね?(笑)
友川:あれは私がただ酔っぱらっていただけで、セッションとは呼ばないからね(笑)。
──単純に人と群れるのをよしとしない友川さんの性格もあるような気がしますね。友川さんが音楽を志したのは岡林信康さんの歌を赤ちょうちんで聴いたのがきっかけでしたけど、たとえば仲間との連帯を求める「友よ」みたいな歌は苦手だったんじゃないですか。
友川:苦手でしたね。「見るまえに跳べ」なんて言われても、余計なお世話だと思ったし(笑)。でも私は飯場で働いていたから、岡林さんの「山谷ブルース」と「チューリップのアップリケ」の2曲にはどうしようもなく感動したんですよ。「ラブ・ゼネレーション」とか立派な歌は、私には全然響いてこなかったけど。
──歌の嗜好も全くブレていないんですね。
友川:他の選択肢がないからブレようがないんですよ。絵の具が一色しかないから、それを使うほかないんです。
──ただ、絵の具にたとえるならば、友川さんは黒一色だけでも水の加減で濃淡を出すことで豊潤な表現を為し得ていますよね。
友川:それはまぁ、趣味で絵を描いてるのと似てるのかもしれないですね。
──唄う前に酒をあおる姿勢もブレようがありませんよね(笑)。
友川:もちろんです。気が小さいもので、レコーディングでもステージでも呑まないと唄えないんですよ。今はステージ前にかなり呑んで、ステージ中は水を飲んでいるんです。ステージが終わったらまた酒を呑むんですけどね。と言うのも、2年前に腸閉塞になって、危うく死ぬところだったんですよ。それでアルコールを一滴も呑まないコンサートを仙台で生まれて初めてやったんです。
──大事に至らなくて本当に良かったですね。
友川:まぁ、度胸をつけるために酒を呑んでステージに上がるのが昔から習慣でしたからね。譜面台で顔を隠すのも気が小さいからなんですよ。それに、未だに歌詞を見ながらじゃないとまるっきり唄えないので。三上寛も遠藤ミチロウも歌詞を見ないで唄うからエラいなぁと思ってね。まぁ、私は歌詞を覚える気なんてさらさらないですけどね(笑)。