日本のバランスを取ってきたミュージシャン
──その尽きせぬ闘いの武器として音楽があるということですか。
K:武器と言うよりもある種の方法論ですね。ホントは武器になればいいんだろうけど、実際の戦争の時には使い物にならないから。でも、武器にはならないかもしれないけど、人間の精神を強力に解放させるものにはなると思います。『外道』という曲の中で、当時の俺は一体何を言いたかったのか。あるいは、『にっぽん讃歌』の中で何が言いたかったのか。今唄っても、未だにブレていないですもん、やっぱり。だから田原総一朗が俺を追っかけに来たのも判るし、いろんな物書きが俺を超えるものを書けるのかって言えば、書けないでしょう? それくらい究極のものだと思うんですよ。人間にとって凄い大事なことが外道の歌の中にはある。だからこそ今もファンが増え続けているし、だからこそ俺は外道を続けなくちゃいけない。たとえメンバーが替わってもね。まぁ、もともとメンバーのことなんて考えずに始めたからね、外道は(笑)。
──『外道』の中で唄われていることは、とどのつまり“ノー・フューチャー”ですよね。USパンクよりも数年早いし、あの時代にあれだけの歌を唄っていたことが驚異だと思うんです。
K:当時の日本にはまだパンクがなかったですからね。フォークが四畳半の生活を、グループ・サウンズが女の子のことを唄っていた時代に、「外道は行く、未来のない明日へ/絶望という名の旗を掲げ/破壊といういけにえをたっぷり供えて/永遠の安らぎにいざなう」だから(笑)。つまり、これからどうやって生きていくのかという俺の生き方のメッセージだったわけです。最初のメンバーを切ったのも、そういうふうに生きたくなかったから。しょうがないよね、生きる道が変わってしまったんだから。いろんな道があるんだし、みんな好きな道を選べばいいんですよ。畑を耕したくなったらその道を行けばいいし、そういうことなんですよね。
──考えてみると、外道のような先鋭的かつ扇情的な歌をよくメジャーのレコード会社から出せたなと思いますよね(笑)。
K:まぁ、放送禁止になった曲は多いですけどね(笑)。でも、民放がこぞって「外道は怖い」と避けていた中で、NHKは放送禁止になった曲以外を盛んに取り上げてくれたんですよ。そういう両極端な部分があって、日本は凄く面白い国だと思います。両極面あるからバランスがいいし、だから経済的にも世界のトップになれたんじゃないですかね。そのバランスが悪くなってヤバくなった時に、バランスを保つために俺が出ていかなくちゃいけないわけですよ。他のミュージシャンはヒット曲を狙いたいとか有名になりたいとかで音楽をやっているけど、俺は全然違うところで日本のバランスを取るためにやっている。もう40年以上やっていますから。日本のバランスを取ってきたミュージシャンなんて、俺以外にいないでしょうね(笑)。外道みたいなバンドがどこにいます? ストーンズを真似たバンドやジェフ・ベックを真似したギタリストはいっぱいいるけど、そういうのとは全然違うんですよ。その名の通り道を外れたようなことばかりをずっとやってきたけど、外道は今もこうしてしっかりと生き残っていますからね。
──何はともあれ、11月8日の新宿ロフトで今も変わらぬ外道の凄みを見せ付けて頂ければと思います。
K:久々のロフトだし、もちろんいいステージにしますよ。当時のロフトも、当時のロックの状況も凄く熱かったですよね。客も熱くて、相乗効果でいいライヴがやれた。キャロルのウッチャン(内海利勝)や頭脳警察のトシとかが遊びに来ていると、「おお、上がれよ!」って一緒にジャムをやったりもしたんですよ。あと、ロフトのステージが終わった後の打ち上げに女性の外国人が来ていたことがあって、話を聞くと世界中を旅しているって言う。日本へ来てたまたま外道のライヴを見たらしくて、「最高だった」と言われたこともありましたね。そういう面白い出会いがロフトにはたくさんあったんですよ。
最前線で生き残った人間の為すべきこと
──山岸潤史さんやジョニー吉長さんたちとロフトでバースデー・パーティーをやったら、その中にブレッカー・ブラザーズのメンバーがいたこともあったそうですね。
K:そういうこともありましたね。みんなでセッションをしていたら、耳元でラッパを吹いている外国人がいて、それがブレッカー・ブラザーズの人だったみたいで。カーマイン・アピスだろうとジェフ・ベックだろうと、俺は「ハーイ!」の挨拶ひとつで一緒にやれちゃうんで、相手が誰だろうと気にしないんですよ。10代の頃はジャズ系の事務所にいたからセッションはお手の物だし、当時はジャムって言えばブルースが基本だったんです。オリジナルをやらなくても、ブルースという3コードの中に自分の音楽性を表現して道場破りをしなくちゃいけなかった。16、7の時にはもう、相手のギターとバトルして勝ち続けようとしていましたね。今はバトルなんかしないで互いを褒め合うだけでしょうけど、あの当時は勝つか負けるかしかなかった。相手がどんなに有名でも勝って道場破りするしかなかったんです。ジョージ川口さんみたいな大先輩と一緒に全国を回っても、闘いの連続ですよ。負けたらそこで終わり。そういう経験って、今の若い人はできないでしょう? どんなにヘタでも「良かったねぇ」なんてお世辞を言われるからね、今の時代は。俺が若い頃は、演奏がヘタだと「引っ込め!」という怒号と共に客席からいろんな物が飛んできたし、時には客が上がってきて「こんなもの聴けるかよ!」って引きずり出されましたよ。そこでどれだけ対等に渡り歩けるかがすべてだから、今と違って精神も生き方も相当鍛えられますよね。当然、鳴らされる音は今と昔じゃ全然違ってくるわけですよ。
──端から覚悟が違いますからね。
K:おまけに俺は体育会系だったしね(笑)。俺は今も昔もずっと闘い続けているんですよ。人間って、生まれた時から闘いの連続なんです。まず、病気との闘いですよね。学者がどんなにいい薬を開発しても新しい病気は出てくるし、そこで勝ち残らなければ生きていけない。それに、自分の肉体や精神、周りの人間とも闘っていかなくちゃいけない。大変なんですよ、生きていくっていうことは。もともと大変なことなのに、みんな簡単なことだと考えているから簡単に自殺しちゃうんですよ。だから精神の鍛え方を変えなくちゃいけないんだけど、親がダメだから子供に教えられない。そういうことを教えられる人がいないんです。あと、日本人のほとんどがテレビの言うことを信じて真に受けるけど、テレビが今一番悪いんですよ。偏向報道ばかりで平気でウソをつくし、情報をコントロールしているからもの凄く危険なんです。福島の原発事故だって大変なことなのに、「原発を止めなきゃ」って言っただけで仕事を干されてしまうような世の中じゃないですか。それに気が付いて行動を起こせる若者がどれだけいるか、ロックの人間がどこまで異を唱えられるかが肝ですよね。誰も言わなければ俺たちが言っていくしかない。権力と闘う以上、命を懸けなくちゃいけないですけどね。
──この先、外道が進んでいく道というのは?
K:余生をハワイみたいな所で過ごす選択肢もあるんでしょうけど、ここまで来たら最期まで闘おうかなと思って。やっぱり、好きなんだろうね、闘うこと自体が。ある日突然全部新曲のライヴをやることもあるかもしれないし、今あいつと一緒に何かやらなくちゃいけないってこともあるでしょう。人との出会いにしろ何にしろ、そういうのは後から理由が判るんだと思います。若い頃からずっと一緒に頑張ってやってきたジョー山中もこの間亡くなって、葬式にも行ってきたけど、やっぱりああやって死んじゃうんだなと痛感したんですよね。だから、今の俺には残りの人生をどう生きていくかが凄く大事なんです。俺みたいなやり方で日本のロックの最前線で生き残っている人間は数少ないし、意志や誇りみたいなものを若い人たちに伝えなくちゃいけない。伝えられないのであれば、ライヴを見せて記憶に留めさせる。自分が元気な間に少しでも多くステージに立って見せていかなければと思いますね。それが俺の義務だし、やらなくちゃいけないことだと今は強く感じています。