聴き手の人生を浄化させる魂の音
──今の外道はそうる透さんと松本さんに固定することなく、何パターンかの編成があるんですよね。
K:気がついたらそんなふうになっちゃったんですよね。あまり深くは考えていなかったつもりだけど、きっとどこかで不安があって、もし万が一何かがあった時のためにと育てていったんだね。俺だっていつまで生きていられるか判らないし、生きている間に音楽をやるためにはバックがいないと外道はできないじゃない? そのためにちゃんと育ててやっているところがある。実に不思議に思うし、やっておいて良かったなと思いますよ。
──加納さん自身にとっても、得も言われぬ昂揚感を味わえるのはソロではなく外道なんでしょうか。
K:あのね、俺の入り方なんですよね。儀式じゃないけど、そういうのがあるんです。外道にはソロとは違う特別な感じがある。加納秀人の時は、もう好き勝手にやるだけ(笑)。ウケようがウケまいがお構いなし。でも、外道の場合は何かをやらなくちゃいけない使命感とかいろんなものが付いてきちゃうわけですよ。
──外道の歌は今聴いても古びたところが一切ないですよね。際限まで削ぎ落としたシンプルの極みを行く言葉は直感的で、普遍性も高い。これだけ肉感的で真に迫る歌と演奏も今は他にないし、若いリスナーには凄く新鮮に映ると思うんですよ。
K:今もいろいろイヴェントに出ると、もの凄く若い人たちが見に来てくれてびっくりするんですよ。6月に下北沢のガーデンでやった時も、何でこんなに若いヤツらばかりなんだ!? っていうくらい盛り上がっていたし。
──未だに若いリスナーを惹き付ける外道の魅力とはどんなところにあるとご自身では捉えていますか。
K:基本的に自分が他のミュージシャンとは違うなと思うことがあるんですよ。大抵のミュージシャンは、有名になりたい、金持ちになりたい、女にモテたい、これしかできない、ギターを弾くのが好きだとか、そんな理由でミュージシャンを志すけど、俺は違うんです。何て言うのかな、超能力現象じゃないけど、俺はいろいろと不思議な経験をしてきて、「これをやらなくちゃいけない」って言われちゃったんですよ。それでしょうがなくやっている。しょうがなく、っていうのもアレだけど(笑)。
──神のお告げということでしょうか?
K:一回死んじゃったと思えば話は判りやすいですよ。俺はホントに一度死んだ体験をしたって言うか、神様っているのかなっていう体験をして、いろんなことを言われちゃった。自分はちゃんといるのに、自分の中にそれとはまた違う魂の自分がいるのが判っちゃったんです。何者かと魂が会話しているのを聞いちゃったりしてね。…こんな話をすると、“この人、頭がおかしいのかな?”って思われるかもしれないけど、そういう不思議な体験をしてから変わっちゃったんですよね。まぁとにかく、俺はどうやら音楽をやり続けなくちゃいけないらしくて(笑)、それも本物の音楽をやるしかない。以前、俺がギターを弾いたら凄い嵐を晴らしたこともあったし、俺の音で病気の人を治せる音も出したいと思っている。仮に俺の音楽が嫌いでも、俺のギターを通してその人の人生を少しでも浄化できるような魂の音を出すこと…それが俺の仕事だって言われちゃったんだよね。だからやるしかない。いつ迎えが来るか判らないけど、それまでこれを続けるしかないんですよ。そんな状態でいると、たとえばジェフ・ベックと対面しても「あんたはあんた、俺は俺」…そんな感じですよね。
──ある種、超越した感じと言うか。
K:テクニックがどうとか、売れてるとか売れてないとか、そういうのはもう全く関係ない。今まで名だたるミュージシャンたちとセッションをしてきても物怖じせずに平気だったのは、そういうのが基礎にあったからなんですよ。
──そういった音楽をやる使命感もあるでしょうけど、純粋に音を紡ぎ出す歓びもありますよね?
K:それはもちろん、半端じゃなくありますよ。いつ迎えが来るか判らないし、“これが最後かもしれない”っていう音の出し方をするからね。またヘンなふうに捉えられるかもしれないけど、向こうの音を聴いちゃったっていうのもあるし。聴かせてもらった向こうの音が半端じゃなかったので。ビートルズもベートーヴェンもバッハもみんなブッ飛んじゃうだろうなっていう音を聴かせられると、まだまだ頑張らなきゃいけないなと思いますよ。だから“世界最高峰のギタリスト”とか何とか言われても、俺は「ああ、こんなものなの?」って言えちゃうんです。ひとつの音が、人間の精神状態や心を全部変えてしまう…それくらい素晴らしい音を聴いてしまったわけだから。
生きることにはきっと何か意味がある
──向こうの音を未だに具現化できない、あるいはそれに比肩し得る音を出せていないからこそ加納さんの音楽人生は続いているという言い方もできるかもしれませんね。
K:ただ、人生は無限じゃないからね。自分なりに節目節目に目標を掲げてやってきたけど、200年も生きられるわけじゃないし(笑)。“もっと何かできるはずだ”って思いながらも、志半ばで死んでいくミュージシャンも多いじゃないですか。“まだ何か違うことがやれるはずだ”っていう気持ちは凄くよく判りますよ。
──これまで何度か再結成を繰り返している外道ですが、今はまた外道をやるべき時が来たということなんでしょうか。
K:自分が生きている中で、こんな時代だからこそ外道をやってメッセージを発していかなければならない、今はこういう世の中だからやる必要がない…今までの流れはずっとそんな感じだったんですよ。今は外道として言いたいことをしっかりと言っていかなければマズいだろうという思いが強いですね。だって、今ロック・アーティストと呼ばれている人たちは本物のロック・アーティストじゃないんだから。もはや歌謡曲のアーティストしかいなくなっちゃった。今やロックなんてやっている人はいないし、単純にロックって言葉を使っているだけ。別にいくら使ったっていいけど、それはロックと呼べるものではない。ギターを掻き鳴らしてわめき散らせばそれがロックだと思っている人がほとんどでしょうけど、違うよなと俺は思いますね。
──目下、外道として新曲を書き溜めていたりとかは?
K:全く作っていませんけど、曲自体は出てきますよ。作り出すといっぱい作っちゃうんです。でも、今は新曲を作るとかCDを出すとかそういうことよりも、外道対世の中のほうが大事って言うか。商業的なことは二の次なんですよね。
──震災や原発事故で悲観的にならざるを得ないこの世の中だからこそ、今の加納さんの言葉でメッセージを伝えたいという気持ちはありませんか。
K:今は相当大変な時期だけど、何とかしなきゃいけない。じゃあ具体的にどうすればいいのか、みんな悩んでいると思うんです。日本だけじゃなくて、世界も結構ヤバい状況でしょう? そういう時に怖いのは、よく戦争が起こることなんです。それが一番ダメなパターンなんですよ。人間って歴史からいろんなことを学べるはずなのに、あまり学ばないですよね? 決まってバカなことを繰り返すから。人間が3000年とか5000年くらい生きられれば過去に学びながら今を良く変えていくチャンスがあるかもしれないけど、長く生きてもせいぜい100年だし、4、50年で死んでいく人もいっぱいいる。学ぶ前に死んでしまうと言うか、それほど人生は短い。だけど、こうして人間が生まれてきたことには何かしらの理由があるはずなんです。何の理由もないことはないと思うんですよね。もっと大きな目で見ると、人間の存在とか家族とか世の中とかにはきっと深い意味があるんですよ。それを探し出すことだけでも生きる時間が足りない。自分の音楽を追究するだけでも人生は足りないわけですからね。家族と円満に過ごすことだけでも足りないっていうのに(笑)。とにかく大変なことだらけでしょう? 病気になったり、友達が次々と逝っちゃうような世の中で、やるべきことがいっぱいある。そんな状況で大切なのは、一日一日をもの凄く大切に、精一杯前向きに生きることなんですよね。“こうして生きていることにはきっと何か意味があるぞ”って思いながらやっていくしかない。やっぱり、人生は闘いなんですよ。のんびりしていられないっていうのが俺の人生なんですね。