最終的にはギュッと“歌”に集約されていく
──こうしたアートワークひとつを取って見ても、バンドの著しい変化を感じさせますね。
MORO:これまでリリースしてきたアルバムの流れも大切にはするんですけど、その作品ごとに凄いこだわりがあったりするから、「このアルバムのこの曲だったらこれだろ!?」みたいなところでアートワークの方向性をその都度決めてるんですよ。次にまたこのテイストで行くかどうかまだ全然決めてないし、次の作品で自分達がどういう感じかってところで決めるでしょうしね。ただ、今度のジャケットに対しても凄く愛着があるんですよ。
SOTA:毒のあるポップ感っていうか。
MORO:そうだね、ホント。言うなれば“ポイズン・ポップ”かな(笑)。
SHITTY:略して“P.P.”ですかね(笑)。
──ははは。でも、そもそもURCHIN FARMの音楽性自体が凄く中毒性の高いものですよね。一見敷居が低くて親しみやすいんだけど、実は凄まじい猛毒を孕んでいるというか。
MORO:そうですね。自分達では猛毒バンドだと思ってますよ(笑)。ただ、今まではそれが喰らってみて初めて毒だと判るようなやり方だったんですけど、今は完全に「これ、猛毒ですから!」ってあらかじめ提示してるようなやり方に変わってきたと思ってるんです。
──グリコ・森永事件の「どくいり きけん たべたら しぬで」的な? …って古いか(笑)。
MORO:ははは。でも、そんな感じですよ。「冗談だろ?」と思って飲んでみたらホントに毒だった、っていうくらいの猛毒を発してると思ってます。この『オレマニア』をきっかけとしてバンドがまた変わって、僕達の中で作品の影響力も凄く大きくて。最初は「On SHOWTIME」という曲に対して“判りづらい”っていうイメージが自分達の中でも正直あったし、だから“ちょっとマニアックなんだよ”とか“判りづらいんだよ”っていうアプローチでライヴにも臨んでいたんですよ。でも、それだとやっぱりお客さんとの距離感が生じてしまって、それは違うな、と思って。「判りづらいだろうけど凄くいいんだから、これが理解できないヤツは置いていくよ」みたいに独善に陥るのではなく、正面から判り合ってコミュニケーションしていくのがバンド本来のコンセプトだったはずなんです。「これ、実はウンとポップな曲なんだよ!」とか「楽しい曲だからみんなで盛り上がろうよ!」とか、そういうライヴにしていこうよ、っていう話をみんなでして、アクションやアプローチの仕方だったりを考え直して改めてライヴに臨んだら、全ッ然お客さんの反応が変わってきたんですよね。
──あからさまに良くなってきたわけですね。
MORO:ええ。今までのライヴは内に篭るものだったと思うんです。自分達の曲をただ演奏することでコミュニケーションは成立すると傲慢にも思ってたし、ライヴってそういうもんじゃないよな、と考え始めたんですよね。そこから他の曲も練り直してみたり、繋ぎのリズムで手拍子して煽ってみたら反応が全然変わってきて、自ずとライヴのスタイルまで変わってきた。それが自分達にとっても凄く面白く思えてきたんですね。SOTAがボディ・アクションとかで煽ってみたりすれば、やったぶんだけ跳ね返りがちゃんとある。今までのアーチンを“静”か“動”かで言えば、“静の中の動”みたいな感じだったと思うんですよ。それが今は、ステージ上でガーッと激しく迸っているものが外側に向かって“動”になれている手応えがあるんです。だから最近、ライヴがもの凄く楽しいんですよね。
──SOTAさんは今年に入ってからソロでアコースティック・ライヴを精力的に敢行していて、歌と向き合う行為がより濃密になってきたんじゃないですか?
SOTA:そうですね。有り難いことにいつもメンバーがみんな観に来てくれて、毎回ハンパないダメ出しをしてくれますしね(笑)。自分の中の評価と対外的なそれとはやっぱり開きがあるし、それは徐々に埋めていけばいいと思って。バンドのほうが少しずつギターを弾かなくなるっていうアプローチで、ソロの場合はあくまで歌を主軸に置きつつも、ギター一本でどこまで何ができるのか、っていうのが自分の中で課題なんです。弾き語りライヴを何度も重ねて思ったのは、何をやろうと最終的にはやっぱり“歌”というものにギュッと集約されるってことですね。いい歌を伝えるという意味では、ソロもバンドも何ら変わることはないんだな、って。
──SOTAさんのソロ・ライヴを観ていつも思うのは、アコースティック・スタイルだとURCHIN FARMの楽曲の核が剥き出しになって、どの曲も凄まじくポップでスタンダード性の高いものばかりだということなんです。
SOTA:ええ。一人で練習してる時に“なんていい曲なんだろう”って自分でも改めてよく思うんですよ。ソロ・ライヴをやることによってそういうことも再確認できたし、メンバーからは自分がどう見えているのかもよく判ったし、いろんなことが明確になってきましたね。単に歌がうまいだけのお兄ちゃんっていうのは卒業して、ちゃんと伝わっていく歌を唄うという自分の目指すべきヴィジョンもはっきりしてきたし。
リスナーをグチャグチャにしながら耳を肥えさせるバンドになりたい
──そう考えると、1stミニ・アルバムの『RainbowL』(後に『RainbowL+1』として再リリース)から3年、急激なスピードでバンドが進化しているのを感じますね。
MORO:僕達としては、スピード感みたいなものは余り感じてないんですよね。かなり自由にやっているし、やらせてもらえる状況をレーベルに作ってもらってもいるし。とにかく、この『オレマニア』が自分達にとって相当大きなきっかけではあるんですよ、何もかもに対して。
──後々、URCHIN FARMの軌跡を振り返った時に大きな分岐点となる作品でしょうね。
MORO:そうですね。ライヴも変わったし、音作りも曲作りも変わったし…。
──ヴィジュアル的にも変わったし、今度のMOROさんの個人ショットはちょっとジャパメタなテイストもあり(笑)。
MORO:ははは。自分ではあの写真、結構気に入ってるんですけどね(笑)。
──URCHIN FARMは今後も、大衆性と前衛性のせめぎ合いギリギリのところで極上のメロディを紡ぎ出す姿勢に変わりはありませんか?
MORO:その大前提は踏まえつつ、これからはもっと切り口を鋭くしていこうかな、と思ってるんですよ。今までは間口を狭めることなく幅広くやってきて、『オレマニア』で最強に幅広いレンジ感を出すことができたし、「いろんなことができるんだぜ!」っていうのは聴いた人なら判ってくれると思うんです。でも、そこをもっと直球勝負で、レンジをギュッと狭めて「Sympathy」や「ベイリービーズ」みたいな曲やバラード、SOTAがやってる弾き語りスタイルの曲まで含めて、本気で聴く人の心を突き刺すような感じの曲を作りたいんです。
──でもそれは、『I.D.[Illustrators' Decoration]』発表の時点ですでに完成型を見たんじゃないですか?
MORO:いや、それも僕達の中ではある程度の迷いがあるんですよ。バラードはバラードでも、自分達が持たれているイメージの延長線上にあるバラードだった、っていうか。『オレマニア』でここまでレンジの広い部分を出し切れたからこそ、「自分達のバラードってまだまだこんなもんじゃないだろ!?」っていう意識が凄く強くなって、感覚的に全然変わってきちゃったんですよ。ライヴで「On SHOWTIME」みたいな曲をやった後に極上のバラードをやったとしても、そこに何かしらの共通点を見出せるようなバンドになりたいんです。いわゆる普通のバラードを今の僕達がやったとしても、他の曲とは恐らく噛み合わないんですよ。だからこそ、僕達なりのバラードを奏でることで整合性を持たせたいんです。
──そういう話を聞くと、悪い意味ではなく懐が深いバンドゆえの苦悶みたいなものを感じますが。
MORO:でも、だからこそ自分達なりのバラードを作ろうと思うし、メロディに対しては絶対的な自信があるから、どうとでもできると思ってるんですよ。
──URCHIN FARMの場合、ビートルズの“ホワイト・アルバム”みたいにありとあらゆるタイプの楽曲をこれでもか! とばかりに詰め込んだ、オモチャ箱をひっくり返したような2枚組大作を出せたらいいのかもしれないですね。
MORO:そうですねぇ。ビートルズみたいになりたいんですよ、ホントに。リスナーをグチャグチャにして、でもちゃんとリスナーの耳を肥えさせるバンド、っていうか。訳判んないことやってるんだけど、よくよく聴いてみたら「良くねェ?」っていう。そんなバンドになりたいですね。