①と同じくビクター青山スタジオでのレコーディング中に、道を挟んだタイヤ屋さんで、念願のピレリを購入。まだ八分山のミシュランを捨ててまでどうしてもピレリにしたかったのだ。
トリノ-ベルトーネとエンブレムは付いているのだが、所詮クライスラーフランスがライセンス生産した代物。しかし自分の気持ちはサソリのマークの付いたアバルト-シムカであってほしかった。そんな思いが憧れのピレリのタイヤに履き替えさせてもらったということだ。
そしてピレリに履き替えて意気揚々と走らせていた数週間後、帰宅途中にいきなりガツンという衝撃とともに、エンジンは異常ないまま、うんともすんとも動けなくなり、友人にレッカーでレスキューに来てもらう羽目になってしまった。オヤジの代から懇意にしている車屋さんに入れさせてもらい、エンジンを下ろし、ミッションをバラしてみると、セカンドギアのシンクロリングが欠けてしまっていて、それは無残なものとなってしまっていた。
その車屋さんにはいまでも足を向けて寝られないくらい世話になりっぱなしだが、とりあえず奥に置かせておいてもらい(その後、2年間そこに放置されることになる)、ディーラーの国際興業へ行くと、そのパーツは2種類あり、いつ入荷するかわからないと冷たく返された。
それならとばかりどうせフィアットのライセンス生産をしているのだろうから、850のミッションと共通に違いないと踏み、ディーラーに見せてもらうと、そっくりなのに残念ながら若干大きさも小さく、仕方なく断念。ちょっと途方にくれていると、知り合いがフランスの日本大使館に友人がいると聞き、彼に打診し、細かいことは言わないから、この梱包されたパーツと同じものを買って送り届けてくれとお願いした。
それから半年経ち、そしてまた半年経ち、ひょっとして船便で送ったのかな、いまごろやっと喜望峰を廻っているのかな、などと悠長なことを思いながら、とうとうまだ着きませんがと打診したところ、あれからすぐ航空便で送り、とっくに着いているものだと思いましたがという呆気にとられるような言葉を返され、慌てて言われたその便名を探ってみると、なんと……。パリ発アムステルダム経由の日航機は大事な大事なシムカのパーツを乗せたまま、日本赤軍にハイジャックされ、ベンガジで爆破されていたのだった。
ブルジョアジーの権化のような車のパーツのことで赤軍派に文句も言えず、胸に穴が開いてしまったような喪失感。どうしようもない虚しさに天を仰ぐばかりの数カ月。
そんな自分の気持ちを編集長の山崎憲治くんらが、『Tipo』だったか『ロードスター』だったかで漫画にしてくれて、自分のザガートスパイダーを海岸に停め、海に向かって赤軍派のバカヤローと大声で叫んでいる中山蛙さんの絵だったかな、印象的に覚えているバカヤローなワンカットだったのだ。