カメラマンのシギー吉田が、映画『ドライブ・マイ・カー』のDVDを送ってくれた。おっ、これを観ろということか。以前から話題になっていた作品でもあるし、いつか観なけりゃと思っていたところだったので、こういう突然の強制がないとなかなか観る機会にも恵まれず、結局、見過ごす羽目になるようなことは多々あることだ。
そして、いや素晴らしかった。映画は最初の数分が大事なのだが、なかなかたるい始まりの画面を観させられながら、途中からぐいぐいと物語に引き込まれていき、観終わった後の心の置き場所の見つからないなんとも言えぬ気持ちを引きずりながら、ドライバーの三浦透子さんのシートバックに隠れた存在の陰影にためいきをついていた。
劇中劇(?)だけにしておくのは勿体ないくらいのチェーホフ芝居との絡みも役者さんたちの内容の濃さに圧倒されるが、強いてわがままを言わせてもらえば、やはりあのバブル時代の末期にもてはやされ、六本木あたりをやたら走りまくっていたサーブ900。もともと戦闘機メーカーとしてボルボと並んで、スウェーデンの名門のサーブであるが、ハルキストになるわけではなく、ここは原作通り、黄色いサーブのカブリオレであってほしかったかな。
監督らの考えもいろいろあるのだろうが、赤いサーブ、そしてサンルーフから突き出すタバコ、広島から離れて遠距離ドライブとなっても、黄色いオープンのサーブ900カブリオレ。
いろいろ事情があったのだろうが、もし黄色いサーブのコンバーチブルだったらと妄想をたどりながら物語を遡ってみたい。
本作はアカデミー賞では長編映画賞というものに落ち着いたらしいが、当日、ウィル・スミスの張り手事件も起こり、興味深く観させてもらった。
ウィル・スミスの暴力をうんぬん言うよりあのくそコメディアンをアカデミーは処分したらいい。綺麗ごとを並べ連ねる良識派を前にして、ウィル・スミスと奥様の心の痛みはこれからもずっと続くのだから。