小学生のころ、下宿していた空自隊員と一緒にオヤジに連れられて、在日米空海陸軍の三軍統合記念日に毎年といっていいほど連れていかれた。
1950年は昭和25年、朝鮮戦争の始まった年に生まれた自分。空を見上げれば、あの山本五十六の搭乗した一式陸攻を撃墜した双胴の悪魔ロッキードP-38などが編隊を組んで飛び回っている所沢の空模様。そんな空の下で育った少年が連れていかれたのは、米海軍の厚木基地、空軍の横田基地、そしていまは航空自衛隊の基地となっているジョンソン基地こと入間基地であり、おもに自分は横田基地、入間基地を中心に連れていかれたように記憶している。
格納庫などで開かれているバザーやふんだんに振る舞われる贅沢な料理の数々に目を丸くし、レモネードを抱えながら、子どもながらに最新鋭の航空機などを目の当たりにし、それはそれは興奮していたのだった。
そんななかで、まさかこんな至近距離で見ることはあるまいと思っていた、写真でしか見たことのない最後の有人戦闘機と言われたロッキードF-104スターファイターが目の前に現れ、足がすくむ思いでレモネードをおもわずこぼしそうになった。
マッハ2超の超音速戦闘機、20ミリバルカン砲を装備、翼端にはサイドワインダー空対空ミサイルがしっかりとセットされている。
そんな立ち尽くす自分を見て、下宿の空自隊員が梯子をのぼり、自分を抱え上げコックピットに座り込ませてくれた。興奮していたので単座か複座だったのかさえ記憶にないが、とにかく生まれて初めての戦闘機の操縦席。それも世界の最先端の超音速戦闘機、興奮しない小学生はいないだろう。
アメリカが総力をあげてシリーズ化していたセンチュリーシリーズ、F-100スーパーセイバー、F-101ブードゥー、F-102デルタダガー、103をとんで、F-104スターファイター、F-105サンダーチーフ、F-106デルタダート、F-107ウルトラセイバー(通称)F-108レイピア。どれもこれも胸躍らされるものばかり。
のちにスピルバーグが上海の租界の英国少年をモデルに描いた『太陽の帝国』という映画があるが、戦争に敗北した日本の自分のような少年が占領国のアメリカの戦闘機に夢中になっている図を思い描いて、敵なのにゼロ戦や隼に夢中になっているその英国少年に強い共感を覚え、いまもたびたび無性に観たくなってしまう映画のひとつになってしまっている。