町田町蔵がいたバンドINUは、リアルタイムで聴くことはできなかったけれど、20代のころは、町田町蔵のライブに何度も通いました。町田町蔵とは、現在、作家、音楽活動を続けている町田康さんであります。
それにしても、町田町蔵って名前、いまこうやって文字にして考えてみると、やはり凄まじい名前ですね。凶悪さが漂う芸人のようでもあるし、浪曲師みたいでもある(読み音が広沢虎造とかぶるから)、でもスポーツ選手ではないだろうといった感じはする、一方でプロレスラーかな? と思ったりもする。また、山奥の村を壊滅させた殺人鬼が主人公の映画があったとして、その主人公の名前でも良い気がする。とにかくヤングなころの私は、雑誌などで、この名前を見るたびにドキッとしていたのです。そして、いつの日か、その人、町田町蔵のライブへ頻繁に通うようになっていたのです。
そんでもって、当時、新宿の厚生年金会館があったころ、その辺りにトーク専門のロフトがありました。これが、現在のトークをするロフトに繋がると思うのですが、どうなのでしょう? ロフトの冊子にロフトの質問するのもなんですが、とにかく、そのような店舗がありました。しかし現在のように、トーク専門ライブハウスなるものは、世間に浸透していなかったので、わたしは、町田町蔵の名前を見つけたとき、いつものように音楽ライブだと思っていたのです。しかし店に着いてみると、なんだか居酒屋みたいな場所なので、おかしいな? と思っていたら、町田さんが出てきてトーキングタイムが始まったのです。自分としては、音楽ライブに来たつもりなのに、トークだったので、肩透かしです。もちろん調べなかった自分が悪い、でも、トークが始まったら、町田さんの話がべらぼうに面白く、さらに質問タイムで、質問までさせてもらい、大変有意義な時間を過ごさせていただいたのです。で、そのとき、町田さんが、「いま小説を書いてまして」と話していたのを覚えてます。それが、最初の小説『くっすん大黒』だった。
そんなこんなで、当時の自分が、よく聴いていた町田さんのアルバムは、町田町蔵+北澤組の『腹ふり』、今回は、このアルバムを紹介します。北澤組の演奏が凄い、そこに町田さんの歌詞、声、叫びが、すべてがキレッキレだ。どれも名曲揃いですが、私は、「六尺八寸様」という曲が好きで、その歌詞に「フランク・シナトラが船頭になりすまし、イヒヒヒ、金を巻きあげた」というのがあって、自分がコレに、どんだけ影響を受けたことか! どのような影響なのか自分でもよくわかってないのだけど、とんでもないフレーズを脳みそにぶち込まれた感じがして、その余韻は今も残っています。とにかく、こんな感じのヤバいフレーズまみれ。また、アルバムの写真はアラーキーだったような、そうだ当時、『現代詩手帖』で町田町蔵特集をしていて、そのときの写真もアラーキーだった。そして、その中での、田口トモロヲさんの、町田さんに関するコメントも最高だった。
戌井昭人(いぬいあきと)
1971年東京生まれ。作家。パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」で脚本担当。2008年『鮒のためいき』で小説家としてデビュー。2009年『まずいスープ』、2011年『ぴんぞろ』、2012年『ひっ』、2013年『すっぽん心中』、2014年『どろにやいと』が芥川賞候補になるがいずれも落選。『すっぽん心中』は川端康成賞になる。2016年には『のろい男 俳優・亀岡拓次』が第38回野間文芸新人賞を受賞。