毎回「基礎!」だの「リズムとは?」だのと説教くさくなってしまうので、ちょっと目先を変えよう。
そもそも物事が上達したり習熟したりすると言うと、毎度書いているような理屈を学び、技術もひとつひとつ習得し。といったことになってしまうのだが、これは絵画的に言うとモザイク画に近い。断片を積み上げて全体像に近づく。物事をパーツに切り分けて、体系化して教えたりするには都合が良い。
しかし、僕自身がそういうふうに理屈と技術を積み上げるやり方で成長したか? と言うと、どうもそうでもない。正直、何だかやりたい感じのイメージは漠然とありつつ、何も知らないうちから遊び続けてきただけである。チューニングもそうである。面白いことに後年、教則本やら楽典やらを学び直してみると、書いてあるのはかなりの部分、遊びつつ発見していたことだった。奏法などは特にそうである。まぁ、スティッキングの基本的な動作なんてそんなにあるわけではないので、さんざん遊んでいれば自然とある程度発見するものである。
学び直したこと自体は、それらを定着させたり発展させるためには非常に役に立ったのでそれはそれで良いのだが、「ロック楽器の演奏」なんちゅうアーティスティックな作業には、「ま、とりあえず遊んじゃえ!」的な部分が多くあって良いのではないか。
遊ぶってのは、やりたいことやって楽しむわけだから、まさに自分が出る。で、むしろ自分自身の快感に忠実でいたほうが、むしろいろいろな形で人と繋がる確率が高いような気がする。と言うのは、音楽は「人」がやるものだからであろう。やる人も聴く人も一緒にやる人も「人」である。ある程度以上の境地であれば結局共通してしまう部分が出てくる。技術、知識以前から音楽はあった。まぁ最近、ミュージシャンもすっかりカタカナ職業のひとつになってしまった感もあり、若い人の就職が厳しい折、みなさん「ちゃんとやる」ことに必死に見えるが、「遊び」も思い切りやったほうが、多分長い目で見ると本質的に得である。好きなことって身に付くしねぇ。
▲幅広い演奏活動、プロデュースで知られるベーシスト、ビル・ラズウェル。
この人なんかも快感に忠実に遊び続けているだけな気がする。
彼の周囲には常に刺激的な人たちが集まる。
ジャンルにとらわれない。と言うかジャンル作っちゃうからね。
三原重夫
1976年、セットドラミングを始める / 1986年、ローザ・ルクセンブルグ『ぷりぷり』でデビュー。ローザ解散後、メトロファルス・ルースターズ・スターリンに参加。その後フリードラマーとし て、様々なレコーディングやツアーに参加 /1997年、ドラムチューナーとしても活動開始。ドラマー、ドラムチューナー、エンジニアなど、25年ものキャリアを誇る。
http://i.gmobb.jp/mihara/
https://twitter.com/mihasige
1976年、セットドラミングを始める / 1986年、ローザ・ルクセンブルグ『ぷりぷり』でデビュー。ローザ解散後、メトロファルス・ルースターズ・スターリンに参加。その後フリードラマーとし て、様々なレコーディングやツアーに参加 /1997年、ドラムチューナーとしても活動開始。ドラマー、ドラムチューナー、エンジニアなど、25年ものキャリアを誇る。
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