僕自身は「リズムは、その曲を演奏する際のバンドの『共有物』である」という考え方である。「この曲こういうノリね」となったら、そのノリで全員でノリノリで楽しくやりゃヨロシイ。それで全然構わない。前にも書いたが本来「バンド」というのは、テンポとノリの解釈さえ共通していれば、ま、フツーにやれば各楽器の音が自然と助け合って「音楽」になるように出来ているシステムである。キックがベースにアタック感を供給したり、といった具合に自動的に有機化が起きてグルーヴしていく、というまことに楽しいもの。
…の、はずなのだが、近年なかなかこれが上手く機能しているバンドを見かけない。元々ロック界隈は個性尊重であるし、昨今はテレビを見ても何を見ても「個性」「自分らしさ」「斬新さ」を称揚する文句ばかりである。先輩ドラマーも口を開けば「味だ、個性だ」。
ひょっとすると、若者にとってこれは「個性的じゃなきゃいけない」という強迫観念になってしまっていないか? 他と共通してなきゃいけないノリまで「何か変えなきゃ、違わなきゃ」と、ヘンにタメたり突っ込んだり「個性的」にしていないか?
僕は曲がスクエアな16なら16をフツーに叩いて、ゴーストも16裏とかにスクエアにフツーに入れる。他のパートも自然とノってくる。コンビネーションが良いと、タイムキープも楽だ。上手くいかない場合は「ちょっとハネてる?」とか再確認して、確認できたらそれを叩く。勝手に変えない。ノリの問題は起きないし、「音楽化」も起きる。メリハリに対応するアレンジや「めっちゃパワフル!」といった部分ではどんどん個性的で斬新で良い。
が、リズムの基本構造は勝手に変えない方が良い。ドラムから出る音はどんな些細な音でも他のパートに対して「休符」として機能してしまう。なのでドラムが、誤差の範囲は良いとしても、不用意に「個性的」な位置に音を出すと混乱がでかい。
ま、だまされたと思って「個性!」を忘れて、フツウにその曲のリズムを演奏してみ? 「あ、なんかやりやすい」って絶対言われるから。
▲オマー・ハキム。どんなに手数を出しても、曲の基本のビートがブレない。
ま、それがない奴ぁただの「スティックが早く振れる人」である。
三原重夫
1976年、セットドラミングを始める / 1986年、ローザ・ルクセンブルグ『ぷりぷり』でデビュー。ローザ解散後、メトロファルス・ルースターズ・スターリンに参加。その後フリードラマーとし て、様々なレコーディングやツアーに参加 /1997年、ドラムチューナーとしても活動開始。ドラマー、ドラムチューナー、エンジニアなど、25年ものキャリアを誇る。
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