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6回「ヒトとゾンビとアイドルと」

第66回「ヒトとゾンビとアイドルと」

2025.04.09

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Text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

映画のゾンビたちは、今現在、世界中に蔓延っている無関心な「愛」の欠落した人間たちを写した鏡じゃないのか?

 ここ何年かハードコアパンク、特に俺がやっている、いわゆる「ジャパコア」界隈の客層と、アイドルのイベントに行っている客層が、被っているという話をよく聞く。
 正直、俺はその接点がさっぱり分からないし、どうやったら繋がるのかも分からなかった。しかし、FUCK ON THE BEACHのツヨッシーは、自分でアイドルグループを作ってしまうぐらいだし、俺にインタビューをしてくれ、トークショーにも出演してくれた吉田豪氏もアイドルに詳しく、なんとなくではあるが話は聞いていて、「へぇ〜! そうなんだ」と思うことが多くなってきた。
 自分の立場にして考えてみると、最近息子とハマっているJリーグの東京ヴェルディや、俺がガキの頃からファンのプロ野球・阪神タイガースと同じ感覚だと思えば理解できる。
 
 好きなチーム(アイドル)の試合(ライブ)へチケットを買って行くのだが、前売り発売時からその日のことを考え、なんなら地方遠征まで視野に入れて、普段の予定をなんとかできないかと悩んだりもする。
 実際に、試合(ライブ)に行く時には「推し」のユニフォーム(Tシャツ)を着て、グッズを買い、ゴール裏や外野スタンドのコアなファンが集まる場所(ライブハウス最前列)で、大声を出して応援歌を歌う。勝てば嬉しくて、負けたらクソほど悔しい。
 「推す」というのは、そんなふうに、時間も感情も金もかけて、全力で「好き」に向き合うことなんだと思う。合ってるよね?
 
 それが合っているという前提で話せば、他に俺の「推し」と言えるものには本や映画、もちろんバンドや音楽がある。中でも映画は毎日のようにNetflixで観ているのだが、ゾンビ映画だけがイマイチ理解ができない。しかし、それも視点を変えれば、俺でも面白く観られる映画になるとは思っている。
 ちょっと前に流行ったNetflixの『ウォーキング・デッド』も、最初は面白そうで何話かハマって観たのだが、どうもリアリティが感じられなさすぎて、途中で観るのをやめてしまった。ネタバレサイトや、好きな友人などから「あれはゾンビ映画であってゾンビ映画ではない」と力説されたりもしたが、どうにもピンとこない。
 
 しかし『ウォーキング・デッド』だけではなく、他にも有名な作品や大ヒットした作品など、様々なゾンビ映画がたくさんある。なぜここまでゾンビ映画は流行るのだろう? と、俺なりに考えた。
 ゾンビは、死体が生き返るという設定なので、死んでいるのに生きている存在だ。感情も言葉もない。ただ喰って動くだけ。
 それってひょっとして、現実に生きている無関心な一般社会の人間たちと、大した違いがないのではないか? とも感じた。
 
 アイドル「推し」についても、俺なりに考えてみた。正直、俺には分からない部分が多いし、ぶっちゃけ可愛いとか、見た目が好きとか、エロ目線とか、そういう気持ちから入っているのだと思っている。
 冒涜するなと怒られそうだが、恋愛に似た感情を抱くのは、よほどお互いに気心が分かり合えた関係でない限り、第一印象は大きいはずだ。その上、売り方やキャラもあるので、その作られた印象が気に入るかどうか? という要素が大きいと思う。
 しかし、それを超えて「推し」として選んだアイドルに「ただ存在してくれるだけでいい」というような境地に達しているという話も聞く。
 「今日も生きていてくれてありがとう」や「生まれてきてくれてありがとう」などと言われたりするというではないか。
 本気でそう言えるのは「存在そのもの」が力になっているのだろう。それが、家族や友人以外にいるのは、羨ましくもある。
 
 スポーツのチームや選手は、試合に勝てば評価されるし、負ければ叩かれる。ブーイングなんて当たり前で、辛口でコアなサポーターと、グラウンドからキッチリ話す選手までいる。
 何かを成し遂げたから、例えば試合に勝った、決勝ゴールを決めた、逆転ホームランを打ったというような、実際に目に見えて効果がある事実ではなく、「そこにいる」というだけで、全身全霊で愛されるアイドル。
 その「存在」のみを「無償の愛」で貫く姿勢。それはやはり「凄い」としか言いようがない。
 
 しかし「生きているだけでありがとう」と、生命そのものを、命の存在そのものを、しっかりと理解して、大切に思う心があるはずなのに、別の生命に関しては全く無関心で、その生命の存在そのものを「感じない」のであれば、ゾンビ映画に出てくる有象無象のゾンビたちと同じではないのか?
 もしかしたら、映画のゾンビと同じ「食べる」ことにしか反応できない「何も感じない存在」になってはいないか?
 
 誰かや何かを本気で「推す」という行為は、それだけで生きる糧のようなものだろう。それがアイドルでも、アーティストでも、スポーツチームでも、生きていく上で必要な力となっている。ヒトの「推す」という感情も、突き詰めれば、全ての動物にある本能の「愛」と、そんなに大差はないと思う。
 しかし「推す」というような複雑な感情表現や文化的な行動は、ヒト特有のものだ。しかし「愛」の本質は、ヒトもヒト以外の動物も、しっかりと持っている。
 それを知らないはずはないのに「動物には感情も、愛もない」とでも言うような無関心さで、殺し、搾取し、利用し、食べるのが当たり前と思ってしまうのは「都合のいい、見えないふり」だと思う。
 
 「愛」を本当に持っているのであれば、ほんの少しだけでも「見えないふりをしてきた命」にも、その「愛」を向けてみてほしい。
 「生きていてくれてありがとう」と思える心があるならば、同じように必死に生きようとしている存在にも、感じるものがあるはずだ。
 世界のあちこちで、今も生命が踏みにじられている。パレスチナの人々を、殺されて喰われるだけのために産まれさせられた動物たちを、差別されて、搾取されて、殺されていく存在を、その「愛」を持つ目で、心で、考え、感じてみることができるはずだ。
 無理に変われとは言わない。いや、本当は、変わってほしいと思っている。でも、その思いをいくら伝えようと話しても、届かないことばかりだと、痛感もしている。だからと言って、諦めるわけにはいかない。
 
 映画のゾンビたちは、今現在、世界中に蔓延っている無関心な「愛」の欠落した人間たちを写した鏡じゃないのか?
 自分が本当に、心の底から感じている「愛」を忘れてしまったら、俺たちはいつの間にか、映画の中のゾンビと何ひとつ変わらなくなってしまう。自分はそんな人間たちのひとりになっていないか?
 現状、SNSやネット上だけの世界の中が、現実世界でも幅を効かせる。何でもあるように見えて、心を蝕み合う。信頼してきた関係が、そんなもので壊れるはずがない。
 もう、うんざりだ。「愛」を忘れてしまいそうになる。本当にうんざりだ。
 争いも、分断も、無関心も、それぞれに言い分があるのだろう。しかし、そんなものは糞食らえだ。
 対立、中傷、憎しみ。そんなものは、目的を果たすための、何の助けにもならない。
 無関心をごまかす言い訳から「本物の愛」は決して生まれない。

DOOM『MEANS TO AN END』(目的を果たすための手段)

憎しみに満ちた視線、暴力的な踊り
悪意ある噂とゴシップを広める奴ら
すべての心理戦と
意味のない中傷は
俺たちが目指す目標や夢の達成には
何の助けにもならない
俺たちはひとつ、団結し、つながっている
みんな友達になろう
みんな友達になろう
それは目的を達成するための手段だ
みんな友達になろう
それは目的を達成するための手段だ
みんな友達になろう
みんな友達になろう
みんな友達になろう
みんな友達になろう
 
ChatGPTで翻訳しました。
 
DOOM『MEANS TO AN END』
Hateful glances, violent dances
Vicious rumors and gossip mongers
All the mind games
And pointless slander
Will not help us to achieve
Our goals and Dreams
We are one, united, bonded
Let's all be friends
 
Let's all be friends
A means to an end
Let's all be friends
A means to an end
Let's all be friends
A means to an end
Let's all be friends
A means to an end
Let's all be friends
Let's all be friends
Let's all be friends
Let's all be friends
 
 
◉DOOMはバーミンガム出身、1987年に結成されたUKクラストコアの代名詞的バンド。「MEANS TO AN END」は1989年にリリースされた名盤7インチ『POLICE BASTARD』に収録。
 
【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。
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