Text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
選挙や政治じゃなきゃ世の中は変わらないのか? 支配されなければ生きていけないのが動物という生き物なのか?
2024年10月27日に、衆議院選挙が行なわれた。結果は自民公明の与党惨敗ということだが、個人的には今までとそう大差ないと感じている。
結局どこかの党や個人で当選した人間が自民党に組み込まれ、今までと同じようになるだけなのではないかと思う。
俺の子どもは今中学1年生なのだが、開票日に「どこに投票したの?」と、選挙の話をしてきて驚いた。
俺が中学生の頃など、政治には何も興味を持っていなかったし、友人同士の話題にも政治の話は皆無だった。最近の子どもたちは、政治についてとまでは言わなくても、選挙に関して興味を持っているのだろうか。
個人的には学生時代、と言っても高校中退だが、それまで選挙や政治には興味がなかった。ハードコアパンクという政治的なメッセージを発する音楽の虜になって、高校を中退してライブハウスに通うようになり、成人して選挙権を得てからでさえ、選挙には全く行かなかった。
住む家がなかったので投票用紙が届かなかったのも大きかったとは思うが、政治や選挙というものに全く期待していなかったし、興味もなかった。無知であるのは確かだが、政治に期待も希望もないというのは、今と大して変わらない。
立憲民主や国民民主、維新や参政、日本保守なんて、ひっくるめて自民党と同じだろ。共産党や社民党、れいわだって、政権を取ったら結局支配するんだろう? 政党や政治家なんて、どんぐりよりも背比べが難しい。もし希望を持って投票をした人がいるならば申し訳ないが、政治に希望を持ったり、政治家や政府を信じるなんて、俺にできる所業ではない。
選挙に関して関心を持ち始めたのはいつからだったのだろう。とは言っても、それほど昔ではなく、せいぜいここ20年かそこらの話だ。
政治に関する話を耳にするようになったのか、第一次湾岸戦争あたりで真剣に政治に興味を持ち「このままじゃマズイ」とでも思ったのか、SNSを頻繁にやり始めた影響か、馬鹿が馬鹿なりに危機感のようなものを感じ、選挙に関心を持ったように思う。
投票するようになってからは、いっぱし気取りで「投票に行こう!」「投票率をあげよう!」「白紙投票は意味がない」などといった、巷(ちまた)でよく見られる言動と同じような発信をしていたし、選挙に行くことが当たり前だと思うようになった。何なら「選挙に行かない奴はダメだ」くらいのことは本気で思っていた。
しかしここ最近、選挙制度というものに疑問を感じ始めた。以前のような無知ではなく、一応多少なりとも選挙に参加してみて自分なりに考え、経験した中で感じた、あくまでも個人的思いなので違うと思う人はいるだろう。それは重々承知なのだが、どうしても「投票っておかしくないか?」と感じるようになってしまった。
昔は女性に選挙権がないなど、多くの先人たちの努力により選挙権を勝ち取ったのはよくわかる。生まれてからすっとこの国に住みながら、投票できない人もいる。そうした人たちの思いのためにも、自分の子どもの将来や自分のためにもと思い、投票に行っていた。
しかし選挙という制度自体が「人生や生命、生活を支配されるための方法と、その支配者を選んでいるだけじゃないか。支配されるなんてまっぴらごめんじゃないのか?」と思うようになっている。
散々選挙に行け行けと言っていたのに誠に申し訳ないが、現時点ではどうしてもその思いが払拭できなくなってしまった。
家畜動物は、支配されて殺される日を待つだけの一生を送る。「広い牧場で放し飼いなのか、狭いゲージで身動き取れないか」程度の違いが支配者によって選ばれるだけで、殺されて肉にされて食われてしまう結果は同じだ。家畜動物は野生で自由に生きるよりも、管理され支配されて餌を与えられ、殺されるために育てられるほうが幸せなのだろうか。
ヒトという動物も、自由に生きる責任を背負うよりも、支配者と支配方法を選び、支配され管理され搾取されながら生きるほうが幸せなのだろうか。
誰が当選しようが、支配されるという事実に変わりはない。投票行為には、家畜動物が殺されるという現実を理解して、自ら肉屋や屠殺業者を選んでいるのと似たような違和感がある。
どのみち支配されて生きるのならば、少しは「マシ」な生き方をさせてくれる支配者を選ぶために、投票するのか?
「国民のために」「国民のことを考えて」というのは政治家や政党の常套句だが、「動物のために」「動物のことを考えて」と、ゲージ飼育から放し飼いにするのとあまり違いが感じられない。
それなりに本当に考えているのだろうが、結果は一緒だ。動物なら殺され、人間なら支配され搾取される。
耳障りのいいことや、それらしいことを言っても結局殺して食うんだ。支配する奴らが何を言おうが大差ない。
自ら支配のされ方を選ぶ行為への違和感が、どうしても払拭できない。
こんなふうに思う時間が、選挙があるたびに少しずつ増えてくるようになった。
選挙制度に対して、今までの俺は自分の考えや意見ではなく、どこかの誰かや巷(ちまた)の意見に流されて、あたかもそれが正しいと思い込んでいただけなのかもしれない。
北朝鮮だろうがアメリカだろうが、アフガニスタンだろうがスーダンだろうが、どの国家でも支配の方法が違うだけで、支配されて生きる事実は同じだ。ヒトは、支配者や支配される方法を選び生きていかなければならない動物なのだろうか。
何も考えず、自由を求めて社会からはみ出して生きていた若い頃が、一番アナーキーな生き方だったかもしれない。
一周(?)回って今、様々な経験をして元に還るのもそんなに悪くないかもしれない。
選挙に行くなと言っているわけではないし、アナーキーに生きろと言っているわけでもない。俺が個人的に拭いきれない疑問と違和感に苛(さいな)まれているだけだ。
選挙って、行かなくちゃダメなのか?
支配されなきゃダメなのか?
選挙や政治じゃなきゃ、世の中は変わらないのか?
それとも、支配されなければ生きていけないのが、動物という生き物なのか……。
とはいえ、みんな選挙には行くのだろうし、それについては構わない。俺だってこう言いながら、愛する我が子はまだ学校に通いながら人生を送らなければならないし、病気や怪我などのほかにも、様々な公的機関の世話になることはあるだろう。まだ成人まで時間がある子どものためには、現時点での政府の政策は重要だとは思っている。
しかし、愛する子どもだからこそ、管理されて支配され、搾取される生き方をしてほしくないとも思う。今後の選挙はどうしようかと、思い悩んでいるのが実情だ。さて、どうしたものか。
結局殺されるなら、放し飼いのほうがマシなのかね? 結局支配されるなら、選挙で投票したほうがいいのかね?
殺さない選択肢はないのかな? 支配されない生き方はないのかな?
理想を現実にしたいと踠(もが)きながら、SUBHUMANSの歌詞を胸に刻んで考えようと思う。
「自分の制約を変えない限り、システムを変えることはできない」
SUBHUMANS『WORK REST PLAY DIE』(仕事 休息 遊び 死ぬ)
国民が意見の対立を忘れたとき
国民経済は大丈夫だと言われている
給料をもらえば、忘れることができる
イデオロギーを守るのか、それともすべて捨てるのか?
システムに負けたとき
今でさえあなたは食べていない
食べる余裕も飲む余裕もなく、脳みそが生きていけないからだ
天候をシステムのせいにする
これまでどおり
8時半に仕事に行き5時に家に帰る
顔を真っ青にして
人類について語る
宇宙へ行ったって 戦争はなくならない
人類はすべて欲と虚栄に基づいている
決定するのは法を作る者だ
しかし、あなたはまだこの社会にいる
何を優先する?
気にも留めない多数派に留まるか?
それとも、国家を消滅させる憎しみを育むのか?
自分の信念のために死ぬ覚悟があるのか、それともただ髪を染める覚悟があるのか?
無政府主義者、虚無主義者......だが、その存在を証明できるか?
あなたたちはただの偽物だと主張する人々に!
自分の制約を変えない限り、システムを変えることはできない!
コミュニケーションと信念、壊れるまで蹴るんだ!
*DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
SUBHUMANS『WORK REST PLAY DIE』
When the people of the country have forgotten how to disagree
The national economy is said to be ok
The wages that you get, will help you to forget
Will you keep your ideologies or throw them all away?
When the system has you beaten
Even now you haven't eaten
Bevause you can't afford to eat or drink to keep your brain alive
Blame the system for the weather
Carry on as ever
You go to work at half past eight and come back home at five!
You can go blue in the face
Talking about the human race
How they got to outer space, but it never stopped the wars
The whole of this humanity is based on greed and vanity
The ones who make decisions are the ones who make the laws!
But you're still in this society
So what's your main priority
Remain in the majority who never really cared?
Or cultivate the hate to annihilate the state
Are you prepared to die for your beliefs or just to dye your hair?
The anarchist, the nihilist but can you prove that you exist?
To a population who insist you're just a bunch of fakes!
You cannot change the system until you change your own restrictions!
Communication and conviction, gotta kick until it breaks!
◉SUBHUMANS(サブヒューマンズ)はCRASSやCONFLICTと並び、80年代のイギリスのアナーコパンク・シーンで最も影響力のあるバンドの一つ。「WORK REST PLAY DIE」は1983年に発表された5作目のEP『Time Flies...but Aeroplanes Crash』に収録。
【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。