Text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
オリンピックの高揚感と戦時中の日本の高揚感は紙一重のものじゃないか?
普段はテレビを全く見ないのだが、正月あたりに少しだけ見たときに、2024年にフランスのパリで開催されたオリンピックのメダリストたちが出ていた。オリンピックを観ていないので、誰が誰だかよくわからない。そしてやはり全く面白くないので、すぐにテレビを消した。
国際大会になってしまえば、どんなスポーツでも同じようなものだが、国家や資本家、企業の思惑があからさまに見えるオリンピックは嫌いだ。しかし、他のスポーツはよく観てしまう。結局、企業の金儲けの手段である場合が多いプロスポーツだが、子どもの頃から野球はよく観ていて、たまに球場にも行っていた。他にはプロレスやボクシングなど、格闘技系の会場へもよく行った。
息子がサッカーを好きになったので、2023年から一緒にJリーグを観戦しに行くようになったのだが、それが高じて昨年末には高校サッカーの全国大会を観に行くまでになってしまい、今ではサッカーにハマっている始末だ。
しかしスポーツで恐ろしいのは、贔屓のチームができると、その敵対するチームを嫌いになり、攻撃的になってしまう部分だ。団体競技のスポーツになると、各チームのファンの間には対立が顕著に現れる。中には対立などという言葉を超えてしまい、差別や暴力などの行為まで平気でやってしまうほど盲目になる場合も多い。
俺も子どもの頃から野球を観ていて、嫌いなチームがあったり、観戦に行ってヤジを飛ばすこともあるので偉そうなことは言えないのだが、サッカーでは同じ地域のチーム同士の対戦になるとかなりひどいものがある。初めて同地域のチーム同士の試合を観戦しに行ったときには、何千人もの人間が大声で声を合わせて憎しみや嫌味をあからさまに歌っているのを目の当たりにし、個人的には「そこまで言うか?」と、かなり気分の悪くなるショッキングな光景だった。
全てのチームのファンがそうではないが、海外サッカーなどでも罵詈雑言は当たり前で、怪我人や死者が出るのも珍しくないという。
団体競技では自分の出身地域によって贔屓のチームを選ぶことが多いために、憎しみのくくりが大きなものになるのかもしれない。その上、昨今のSNSで見られるように、顔の見えない相手へ対する憎しみや嫌味、罵詈雑言が当たり前になっている世界観も相まって、相手チームやファンに対して非道な発言を平気で行なっているように感じられてしまう。
もちろんユーモア溢れる応援でかなり面白いものもあり、そんなときは思わず笑ってしまう場合も多いのだが。
贔屓のチームを本気で応援する気持ちはよくわかるが、スポーツ観戦はあくまでも娯楽であり遊びだ。憎しみを相手にぶつけるのが娯楽や遊びなのか? それともお互いにわかっていて、罵り合い憎しみ合うのがデフォルトで楽しんでいるのなら面白いが、特にサッカーにおいては、そこまでの余裕で遊びながら楽しんでいるようには思えないファンも多いように感じてしまう。
とは言え、嫌いなチームがあるのもわかるし、嫌いなチームに負けるのが非常に悔しく腹立たしいのもよくわかる。ただ、あまりにも憎しみの感情だけになるのは、非常に危険だと理解したいものだ。
オリンピックやワールドカップ、ボクシングのタイトルマッチなどの国際的な試合では、国歌を歌い国旗を掲揚する。国際大会での応援も、プロスポーツでの贔屓チームの応援も、基本的にはナショナリズムの感覚だ。ナショナリズムに憎しみが加わり、その上、暴力的になり死人まで出るならば、戦争と何も変わらない。
よく「サッカーは戦争だ」というが、スポーツ観戦のような完全な娯楽で、大人になっても遊べる余裕すらない人間ばかりになってしまったのだろうか?
貧困地域の国などで、スポーツにかける思いがあるのも理解はできる。スポーツ以外に希望が見出せない人間もいるだろうが、憎しみを育むナショナリズムは危険だ。
ナショナリズムを煽り、対立を促すのは戦争の常套手段ではないか。
陰謀論と言われる3S政策【スポーツ(プロスポーツ観戦)、セックス(性欲)、スクリーン(映像鑑賞)という3つのSで始まるもので、国家や体制が大衆を洗脳し、重要な事柄から目を逸らすように仕組むこと】というのがあるが、スポーツでの憎しみや対立、暴力や差別を見ると、あながち陰謀論ではないと思えてしまう。
スポーツという娯楽で、ここまで憎悪を育み対立して暴力も辞さずに死人まで出すなら、戦争がなくならないのも頷ける。
オリンピックのメダリストをメディアで露出し、サッカーでも野球でも、自国の良い部分だけを取り上げ、対立する国の反則行為や負の部分だけに注目し、日本は凄いと刷り込む。ただ、スポーツで感動して好きになっただけなのに、余裕もユーモアもなくなるほど対立して遊びがなくなり、ナショナリズム高揚のダシに使われる。
国を挙げてナショナリズムを煽るオリンピックや、サッカーワールドカップ、野球の国際大会で日本が勝ったときの騒ぎにうんざりする人間は多いだろう。あの高揚感と戦時中の日本の高揚感は紙一重のものじゃないか?
Jリーグのサッカースタジアムで、チームカラーに染められた日章旗が掲げられるのは通常の光景だ。俺には違和感しかない。幸い応援しているチームに日章旗の旗はないのだが、日章旗を掲げるのは長年のサッカーファンなら当たり前なのだろうか。政治的にも国際的にもデリケートな問題で、反対意見や悲しい思いがある象徴的なものを、わざわざ掲げて応援するような行為は、娯楽でも遊びでもないと思うのだが。
プロレスやボクシングなどの格闘技でも、タイトルマッチになると国旗が掲揚され、観客が起立して国家を歌うのも当たり前の光景だ。
俺は観戦に行っても、国旗掲揚と国歌斉唱で決して立つことも歌うこともしない。ナショナリズムの悪用がどうしても拭い切れないからだ。
ナショナリズムは一般的に多くの人間が持つ感覚であると思うし、全面的に否定はしない。自分の生まれた土地や国、自然などを愛する気持ちは俺にだってある。しかしそれを逆手にとって悪用する輩がいるのも事実だ。俺は国土への愛はあっても、国家への愛はない。
ナショナリズムを悪用して作られた国家に従順に従い、子どもの頃から刷り込まれてきた常識は、本当に正しいと言えるものか?
現代はお手軽に憎しみを発信できてしまう。何も考えずに一時の感情でスマホ片手に憎しみを発信し、ユーモアも遊びもない自己満足で完結する世界が常識になっている。
自分の常識を疑うのは難しいと思うが、現実を見てくれ。今、世界は、憎しみ、差別、偏見、搾取、暴力によって悲しみと苦しみと痛みに溢れているじゃないか。
ナショナリズムを悪用して形成された、憎しみ、差別、搾取、暴力を肯定し、対立を煽る常識に盲目的に従った結果、死んでいくのは誰だ?
ナショナリズムを悪用して形成された常識に従って、他者の痛みを感じない人間が出来上がり、生命が奪われる。
今のこの国にその事実が現れていないか? 自分はその一端を担っていないか?
利用され騙され、搾取され差別されて、殺されるため生まれてきたわけじゃないだろう?
そんな世界から解放されるにはどうすれば良いんだ? そんな世界でどうすれば権利は守られるんだ?
解放せずに解放されようなんて都合のいい事実はない。権利を守らずに、権利を求めるなんて虫の良い話はない。
たまには動物の権利に関しての話はしないようにしてみたが、結局全ては同じだ。そこに違いを見出すならば、それこそが差別であり、憎悪や対立を生む元凶だ。
昔はテレビが大衆の洗脳装置の役割を果たし、常識を作り上げた。人々がテレビ画面で見たことを演じるようになった結果、今のような世界が出来上がった。
現代の人々は、インターネットで見たことが常識となり、演じるようになっている。
憎しみや憎悪、誹謗中傷や罵詈雑言が溢れ、自己満足だけで完結する世界が創り出す未来は、いったいどうなるのだろう。
平和を当たり前にするためにみんなで協力するにはどうすれば良いのだろう。
今のままで、この世界は良くなるのだろうか。責任は俺たち一人ひとりの中にある。
FLUX OF PINK INDIANS『T.V. Dinners(T.V.ディナー)』
テレビの暴力、ニュースの暴力
現実とフィクション、どちらもきれいに盛り付けられ
俺たちを楽しませるために出される
現実とフィクションは同じものになってしまった
事実に向き合う代わりに
新しいスケープゴート(責任転嫁の対象)を探し続ける
今こそ、黙って見ているのをやめるときだ
「もうたくさんだ、こんなクソにはうんざりだ」と言おう
暴力はどんな形であれ許されない
だからみんなで協力して、平和を当たり前にしよう
責任はシステムの中にあるんじゃない
責任は国家にあるんじゃない
責任は宗教にあるんじゃない
俺たちは皆、憎むことを学んでしまった
それは俺たち一人ひとりの中にある
今こそ、黙って見ているのをやめるときだ
「もうたくさんだ、こんなクソにはうんざりだ」と言おう
暴力はどんな形であれ許されない
だからみんなで協力して、平和を当たり前にしよう
暴力的なクソを食わされ続けた社会は
街へ出ていき
見たものを再現し始める
喧嘩、強盗、性的暴行
それが日常の光景になっていく
人々はテレビ画面で見たことを演じるようになる
Chat GPTで翻訳しました。
FLUX OF PINK INDIANS『T.V. Dinners』
Violence on t.v., violence on the news
Reality and fiction both served up neatly to keep us all amused
Reality and fiction have both become the same
Instead of facing the facts we search for new scapegoats to blame
The time has come to stop sitting back
To say “no, we've taken enough of this crap
Violence isn't acceptable in any form
So let's work together to make peace the norm”
The blame lies not within the system
The blame lies not with the state
The blame lies not within religion
We've all learned to love to hate
It lies within each and every one of us
The time has come to stop sitting back
To say “no, we've taken enough of this crap
Violence isn't acceptable in any form
So let's work together to make peace the norm”
A society fed on violent shit
Will go out on the streets
And start to re-enact
Fighting, muggings, sexual assaults
Become part of the everyday scene
People acting out what they have seen on the t.v. screen
◉FLUX OF PINK INDIANS(フラックス・オブ・ピンク・インディアンズ)はEpilepticsを前身に持つ英国ハートフォードシャー出身のアナルコ・パンク・バンド。「T.V. Dinners」は、1982年に自身のレーベル“Spiderleg”からリリースしたファースト・アルバム『Strive To Survive Causing Least Suffering Possible』に収録。
【ISHIYA プロフィール】ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。