レコード&昭和プロレス愛好家のゴベと申します。
1995年12月はロフトに2回、シェルターに1回。
12月4日はシェルターで、NYハードコア・シーンの雄、WARZONEの来日公演。東京は3日と4日の2daysで、この日はサポートアクトとしてHALF LIFE、GMF、そしてenvyが出演しました。
メンバーチェンジを機にBLIND JUSTICEから改名したenvy。再始動した彼らがenvy名義でシェルターに出演したのは、この日が初めてだったように思います。個人的にも、11月24日の法政大学でのライブに続く2回目でした。
HALF LIFEとGMFもカッコよくて、ステージダイブを連発。国内3バンドのライブで体力を使い果たしたので、WARZONEが始まる前に帰りました。
この年に発売されたHALF LIFEのTシャツを掲載。
仙台から頻繁に東京に来てくれたHALF LIFEのライブには、ほぼ毎回足を運んでいました。
おそらく1995年に都内で行なわれた彼らのライブは、ソールドアウトで入場できなかったHi-STANDARDのレコ発(4月30日、新宿ロフト)以外、すべて観たのではないかと。
(仙台から来てくれるから優先しちゃうよね)
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12月16日はロフトで、H.G. Fact企画の『H.G.F.P.』。
ロフトのアーカイブには、VOLUME DEALERS、MULTIPLEX、BACKBONE、COCOBATの4バンドが記載されていますが、私のメモにはKARPというバンドも書かれていました。急遽出演することになったのかもしれませんね。
オープンフィンガーグローブを装着したデビルマンのマウントパンチ(パウンド)がカッコよすぎるCOCOBATのフライヤーをご覧ください。
格闘技に精通しているTAKE-SHIT氏率いるCOCOBATらしい、秀逸なデザインです。現在のようにMMA(総合格闘技)が一般的に知られている時代ではありませんからね。
この当時、マウントパンチといえば、ヒクソン・グレイシーの代名詞でした。
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1995年の国内格闘技界で最も注目された大会は、“400戦無敗の男”と称されたヒクソン・グレイシーが参戦した『VALE TUDO JAPAN OPEN 1995』。4月20日に日本武道館で行なわれた総合格闘技の無差別級トーナメントです。私も会場で観戦しました。
前年の『VALE TUDO JAPAN OPEN 1994』と同様に圧倒的な強さを見せつけて本大会を制したヒクソンと決勝で対戦したのは、修斗ウェルター級(-70kg・当時)王者の中井祐樹。
競技として成熟した現在のMMAとは異なり、ルールや階級が整備されていなかった黎明期の総合格闘技の無差別級トーナメントに出場した中井選手の体重は、最軽量の71kg。自分とほぼ同体格の中井選手が、ヘビー級のジェラルド・ゴルドーとクレイグ・ピットマンを関節技で倒し、あのヒクソンと戦う姿に感銘を受けました。
のちに、初戦で戦ったゴルドーの悪質なサミング(目潰し)によって、中井選手の右目が失明していたことが明らかになります。
総合格闘技を引退した中井選手は、ブラジリアン柔術に専念して黒帯を取得。1997年に設立した格闘技道場パラエストラから、多くの強豪選手を輩出しています。
五辺宏明(ごべひろあき)プロフィール
レコード&昭和プロレス愛好家。ロフトグループの加藤梅造社長との出会いは、ライブハウスのモッシュピット。https://note.com/gobe_vinyl