団地団が団地に対する偏愛をリレー形式で掲載していくコラムです。
団地団とは:大山顕、佐藤大、速水健朗、今井哲也、久保寺健彦の団地好きによるプロジェクト
今月の団員:速水健朗
桐野夏生は、同時代の社会問題の芽をかぎ取り、取材を重ねて小説にするという、切れ味の鋭さで知られた作家です。彼女の傑作『OUT』は、団地に住む女が死体解体を請け負う団地小説でもありました。ですが今回紹介する作品は、団地ではありません。
桐野の『ハピネス』という小説は、タワーマンションに住むママ友コミュニティーを描いています。魅力的な題材ながらも、切れ味は桐野の他の小説には及びません。なんとも昼のメロドラマの域を超えないという印象です。でも僕は、むしろ切れ味がぼけた桐野作品のファンなのです。
主人公は、夫に逃げられたぼやっとした主婦で、有紗という名の幼稚園に通う前の年齢の娘を育てています。だから通称“有紗ママ”です。彼女は、東京の湾岸地域に建つタワーマンション、いわゆる“タワマン”に住んでいます。タワマンのママ友の世界では、高い階数に住む人のほうがヒエラルキーが上です。さらに賃貸よりも分譲のほうがヒエラルキーが上です。
中位の階の賃貸の物件に住んでいる有紗ママは、ヒエラルキーが最も下です。ヒエラルキー最上位の主婦=“いぶママ”は、最高層階の分譲物件に住んでいます。彼女の夫はマスコミ勤務のイケメンで、メルセデスのゲレンデ(でかいSUV)に乗っています。
人生の達成レベルが、住んでいる階によって明示されてしまうタワマンは、団地以上に恐ろしい世界です。
しかし、この明確なヒエラルキーは、ある1人の主婦によって破壊されてしまいます。それが、この小説のプロットです。破壊するのは、通称、“江東区の土屋アンナ”と呼ばれる女です。なんと素敵なニックネーム。このフレーズだけで、この小説の素晴らしさは保証されたも同然でしょう。
“江東区の土屋アンナ”は、ユニクロのダウンベストにニットキャップ姿が板に付いたスタイルの良い女です。彼女は、いぶきママのイケメンの夫と不倫関係に発展します。
“いぶママ”のプライドは、ただの駅前の普通のマンションに住み、ユニクロ程度の服を着た女に夫を奪われることで、すべて崩れ落ちてしまいます。また、それを機に、港区出身、良家のお嬢様といった彼女の最強のプロフィールが、実は半ば捏造されたものだった事実もさらけ出されていきます。痛快であり恐ろしくもあります。
団地が小説や映画の舞台として描かれ、プラットフォームとなったように、これからタワマンも、ホラーやミステリーのプラットフォームになっていくのでしょう。『ハピネス』は、そんなタワマン小説の発端の一冊として記憶されていくのでしょう。上戸彩主演で昼ドラ化しないかな。“江東区の土屋アンナ”は、本人がやるしかないでしょうけど。
▲桐野夏生の『ハピネス』(2013年2月、光文社 刊)。結婚は打算から始まり、見栄の衣をまとった。憧れのタワーマンションに暮らす主人公の若い母親。おしゃれなママたちのグループに入るが、隠していることがいくつもあった──。雑誌『VERY』での連載に、新たな衝撃の結末が大幅に加筆されている。
団地団〜ベランダから見渡す映画論〜
著者:大山顕、佐藤大、速水健朗
定価:1,995円(税込)
判型:A5判
ページ数:208
発行元:キネマ旬報社
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