ロックに対する深い憧憬があるがゆえに既存のロックの在り方を解体せんとする2人のイノヴェーターたちによる世代を超えた共演が実現する。森重樹一と中島卓偉。これまでも何度かコラボレーションを果たしてきた彼らががっぷり四つに組んだ渾身のアコースティック・ライヴが間もなく東名阪で敢行されるのだ。アコースティックと言えど、両者が体現するのはエモーショナルなロック以上にロックのダイナミズムを感じさせる激情の奔流だ。非ロック的と思われがちなミニマムな手法でマキシマムなロックを咆吼するそのスタンスはまさに彼らの真骨頂と言えるだろう。理屈抜きに聴き手を昂揚させるグラマラスなロックの訴求力、陰影に富んだ歌声で魅了する2人の傑出したヴォーカリストの底力、そして、世代間のリレーによって文化の地層が育まれてきた日本のロックの成熟。あなたはそれらを来たる25日の新宿ロフトで否応なく体感するはずだ。(interview:椎名宗之)
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森重樹一がいなければヴォーカリストにはならなかった
──お2人が最初に接点を持ったのは?
卓偉:僕がデビューしてすぐの頃なので、ZIGGYが『Goliath Birdeater』を出した年(1999年)ですね。当時、自分がやっていたbayfmの番組に森重さんがゲストとして出演して下さったんですよ。中学生の頃から大ファンだったし、ダメ元でお願いしたら出て頂けることになって。それ以降、森重さんのライヴに何度か出させて頂いたり、『HELLO MY FRIENDS』(2005年6月発表)というシングルで森重さんにコーラスで参加して頂いたり、僕のカウントダウン・ライヴに出て頂いたり、折にふれて交流を持たせてもらっています。
──卓偉さんのファースト・アルバム『NUCLEAR SONIC PUNK』(2000年10月発表)に森重さんがコメントを寄せたこともありましたよね。「彼みたいな若くて、いいミュージシャンの曲を聴くとね、すごくやっぱり燃えるよね」と。
森重:そのアルバムを聴かせてもらって、ちゃんと耳に残るいい歌を書くなと思ってびっくりしてね。それから卓偉のライヴに行かせてもらって、彼も俺のライヴを見に来てくれるようになって。仕事絡みではなく、純粋にお互いのステージを楽しむ仲になった。
──「音楽を好きになったのはビートルズ、ギターを持ったのはセックス・ピストルズ、歌を唄おうと思ったのはZIGGY」という発言からも、卓偉さんが如何に森重さんから影響を受けているのかが窺えます。
卓偉:ご本人を目の前にして言うのも照れくさいですけど、森重さんがいなければヴォーカリストにはならなかったですからね。
森重:最初はギターだったんだよね?
卓偉:はい。中1の時に初めてバンドを組んだんですけど、僕はビートルズが好きだったからハーモニーをちゃんとやりたかったんです。でも、そのバンドのヴォーカルがすごく下手クソで(笑)、主旋律をちゃんと唄ってくれないからハモりようがないわけですよ。それで自分が唄うようになりまして。
森重:割とよく聞く話だよね(笑)。
卓偉:当時、学校でZIGGYのキーの高さを出せるのが自分しかいなくて、それで調子に乗って唄うようになったんですね(笑)。
──卓偉さんにとって、ZIGGYは他のバンドと何が決定的に違ったんでしょう?
卓偉:ウチの親父がとにかく歌にうるさい人だったんですよ。子供の頃にテレビの音楽番組を一緒に見ていて、下手な歌手が出てくると非難囂々でチャンネルを変えるんです(笑)。僕が今でもはっきりと覚えているのは、『ザ・ベストテン』の「GLORIA」と『ミュージックステーション』の「午前0時のMERRY-GO-ROUND」を見ていた親父がチャンネルを変えなかったことなんですよね。「コイツの歌はすごいな」と親父ははっきり言っていましたから。…ってスイマセン、森重さんを前にして「コイツ」なんて言ってしまって!
森重:いやいや(笑)。
卓偉:自分にとってZIGGYは洋楽のバンドみたいな感覚だったんです。洋楽のエッセンスがありつつ、日本人が好むメロディがポップに入ってくると言うか。その当時売れていた日本のバンドとは全然違うものを感じていたし、ZIGGYを好きな自分が誇らしかったですよね。他のバンドにはない格好いい音楽を聴いているんだという自信もあったし。
──森重さんは卓偉さんと最初に会った時の印象を覚えていますか。
森重:最初に会った頃の卓偉は「TAKUI」として活動していたでしょう? 俺は最初、それが苗字だと思っていたんだよね。「金井」とか「沢井」みたいな感じで、「タクイ○○」という人だと思っていた(笑)。音の響きから何となくね。で、その「TAKUI」さんがZIGGYを聴いてくれていたという話は事前に聞いていたんだけど、本人のルックスとやっている音楽のギャップに驚かされてさ。聴かせてもらったアルバムは当時の中性的なルックスを全く必要としないストロング・スタイルだったし、力ずくで音楽をやれる人なんだなという印象を持った。周りにそういうタイプのミュージシャンはいなかったし、そもそも俺は人のことをあまり認めないからね(笑)。だけど、卓偉は全然別格だった。
卓偉:そんなことを言って頂けるなんて…ありがとうございます!
森重:俺は若い頃から自分のことを天才だと思っていたし、それくらいのうぬぼれと言うか自信がなければ人前で唄えないところがあったんだよ。でも、卓偉にはそういう驕りがまるでないし、彼の歌は別格だと思ったな。
──「人のことをあまり認めない」森重さんが卓偉さんを「自慢の後輩」と公言しているわけですから、それが決してお世辞ではないのが分かりますよね。
森重:俺はずっと先輩の背中ばかりを追いかけてきたんだよね。もちろん洋楽からの影響もあったけど、邦楽の人たちがロックという売れない音楽をどうやって日本語でやっていくのかを学生時代から熱心に見てきたから。当時のライヴハウスはPAのしょぼいところが多かったし、歌と演奏の上手い、下手が見分けられたんだよ。レコードじゃそれは分からなかったから、ライヴハウスへ通うことが本物にふれる近道だったよね。そうやって諸先輩方からいろんなものを吸収してきたんだけど、自分よりも若い世代がどういうことをやっているのかはあまり関心が持てなかった。卓偉と出会えた1999年と言えば、自分のキャリアがすでに15年くらいあったから余計にそうだったのかもしれない。でもだからこそ、彼の才能に初めてふれた時にはすごく驚いたことを覚えている。