二〇一八年八月十八日に発売される
八十八ヶ所巡礼のNEW ALBUM『凍狂』(トウキョウ)の全貌を明らかにする
行川和彦氏による 6,000字ロング・レビュー
行川和彦
Hard as a Rockを座右の銘とする、 音楽文士&パンクの弁護人。 『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本) 『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年) 『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年) を発表<いずれもリットーミュージック刊>。 ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、CDジャーナル、プレイヤー、ギター・マガジン、ベース・マガジン、クロスビート、EL ZINEなどで執筆中。
一度見たり聞いたりしたら一生忘れないバンド・ネームである。バンド名だけでタダ者じゃないと思わせるが、音楽の方もハッタリキワモノとは一線を画す得体のしれない本格派だ。弘法大師だった空海ゆかりの四国・八十八ヶ所の札所寺院の遍路をイメージし、様々な音楽の巡礼をしていく覚悟も滲む。
2006年に東京で結成。メンバーは、マーガレット廣井(ベースと歌と主犯格)、Katzuya Shimizu(ギターと参謀と演技指導)、Kenzoooooo(ドラムと極道と含み笑い)である。10年以上活動を続けていてメンバー・チェンジ無しのバンドは古今東西珍しいが、それほど結束の固い不動のスリー・ピースだ。
廣井は愛媛県の吉田町(注:現在は宇和島市に合併)出身。四国生まれでバンド名とつながり、Kenzooooooも同い年の同郷だ。上京してプロのミュージシャンを目指して専門学校に在学していた一つ年上のKatzuyaと二人が出会い、八十八ヶ所巡礼が始まる。
2009年の4月に4曲入りの『1st E.P』で"レコード・デビュー"。ライヴ活動と並行してコンスタントに作品を出し、フル・アルバムは『八+八』(2009年)、『SYG88』(2011年)、『○△□』(2012年)、『0088』(2013年)、『攻撃的国民的音楽』(2014年)、『日本』(2015年)という6タイトルを発表してきた。
フル・アルバムはどれも本編は8曲入り。やはり"八"にこだわりがあるのだろう。リリース日もほとんどが"八月八日"か"八月十八日"。新作『凍狂(トウキョウ)』も八月十八日発売で、しかも今年は二千"十八"年だから"暦"の上でもパワー五割り増し。そういったトータル・イメージすべてが八十八ヶ所巡礼の表現である。
メンバー3人ともほぼ弾きまくり叩きまくりで自分自身の音を出す個性派だ。
マーガレット廣井は高校時代までにおおよその演奏技術を身に着け、機材にもこだわる。ベース・マガジン誌の2014年9月号掲載の記事によれば、昔から廣井が好きな楽器のメーカーであるアトランシアの長野県松本市の工房に足を運び、自らオーダーして作ってもらったベースを弾いているという。「八十八ヶ所巡礼では、ベースの音域が真ん中にあるんですよ。ドラムが下にいて、ギターが上にいて、真ん中にベースがあって、ベースの合間をぬってヴォーカルがいるっていう感じ。本当はもっと恐ろしいくらい強力なローが出てほしいんですけど、そうじゃないからこそ、ああいうフレーズができてるんだろうなと思います」と、廣井は自己分析。八十八ヶ所巡礼のユニークな音空間の魅力を的確に表している。ハイ・ポジションの位置で構えたベースをフィンガー・ピッキングで弾き出す廣井の音は、歌と共振して飄々とハジけている。
Katzuya Shimizuは幼い頃にクラシック・ピアノを学んで基礎的な音楽理論を身に付けている。八十八ヶ所巡礼の音楽の主要素の一つである緻密な作りの源泉が見て取れる生い立ちだ。その後、Katzuyaは15歳でギターを始めてヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ヴァイなどに影響を受け、プロを目指すことを決意して専門学校に入学。土方隆行や北島健二らに師事し、メタル系に留まらずにブルースやフュージョン、ファンクも含めて様々なジャンルに精通することで演奏テクニックと音楽センスを磨き、八十八ヶ所巡礼の音楽に活かしていく。メンバー以外のミュージシャンとセッションでライヴ活動も行ない、コロイデア音楽塾でギターの講師もしている。
八十八ヶ所巡礼のテクニカルなイメージはギター・プレイによるところが大きいが、それと遂になってバンドの両輪を担っているのがKenzooooooのドラムだ。親戚の家にあったドラムを譲り受けて小学校五年生の時から家の近くの倉庫で叩き始め、高校に入ってから本格的に演奏を始めたという。プログレっぽい曲でもドラムの変拍子は意外と多くない。2011年のインタヴューで語っている「グチャグチャっとした音楽やってるじゃないですか、訳わからん音楽を。でもノリは伝わるように心地良いナイスグルーヴなドラムは叩きたいなと思ってます」という言葉が、今もなおキープされている。いや、さらなるグルーヴの深みに突き進んでいる。Kenzooooooのドラムの基本はブラック・ミュージックで、八十八ヶ所巡礼がプログレに行き過ぎないように反復ビートのグルーヴで持っていくのであった。
そんな3人別々のグルーヴがひとつになって八十八ヶ所巡礼サウンドが生まれる。曲作りは、廣井が全部作っていく時もあり、セッションで作る時もあり、たまたまKatzuyaが弾いているフレーズやKenzooooooが叩いてるフレーズに廣井が合わせて曲にしていく時もあるという。別のセッションでやってたフレーズを持ってきたり、ぐちゃぐちゃにして混ぜたりもしてきた。彼らのアルバムには"Produced,composed,arranged and performed by八十八ヶ所巡礼"というクレジットがあるが、その中でも"compose"に注目したい。歌ものポピュラー・ミュージックの作曲クレジットでよく使われる"written"ではなく、クラシック方面の音楽家の作曲でよく使われる"compose"という表記なのだが、それも納得の楽曲テクスチャーだ。
「70年代のハード・ロックとか、3ピースでやるにはそのへんがいちばん格好いいんだろうなと思ってるんです」と廣井が言っていたように、八十八ヶ所巡礼には70年代のハード・ロックからの影響も大きい。ハード・ロックといっても当時のハード・ロックは、60年代からの流れでファンクやジャズ、クラシックなどの雑種サウンドで、ブログレッシヴ・ロックともニアミスしていた。
廣井は2017年にこうも言っている。「ただ、僕らとは圧倒的にパワーが違うっていうか。昔のハード・ロックの人って、たとえばピッキングとかでも強いじゃないですか。僕らはちょこまかやってるからパワーがないんですよ。ギターのカッちゃん(Katzuya Shimizu)は特に。彼のピッキングはすごく柔らかくて。ウチのドラムはいちばんパワーがなくて、ちょこちょこちょこちょこやってるんですよ。パワーがないと僕は思ってるし、音もそこまででかくないと思ってますけどね。一発、一発の音が」
さすが鋭い。客観視できているからこそ自分たちの良さも引き出せている。ギターは多くのハード・ロックと違ってリフで進めるところが少ないし、音も太くはない。確かなテクニックに裏打ちされたアイデアの比重が高く、既成概念にとらわれることなく行方知らずの"鉄砲玉"みたいなフレーズを弾き出してくる。ドラムもロック・バンド理想のダイナミックな演奏ながら、ビートの一つ一つの強度という点では廣井の話も納得できる。だからこそ逆にそれを強みにし、世のハード・ロック・バンドと一味違うドラミングで八十八ヶ所巡礼の確かな個性になっている。要は全体的にブルース臭くないのだが、その代わりに中性的なヴォーカル含めてもポスト・パンクのシャープな感覚とポップ感、フットワークの軽さが息づいている。
八十八ヶ所巡礼はテクニカルな演奏で押しまくるバンドができそうなのにそこに向かわない。歌のパートでもバッキング演奏に徹することはないギターをはじめとして、あちこちで飛び出すキテレツな演奏もトリッキーで終わらず、曲に命を吹き込む"仕掛け"と"罠"になる。しかも自然な流れで滑らかに展開するのが八十八ヶ所巡礼。取って付けたツギハギの音に陥らないのは、彼らのミュージシャンシップとセンスによる。いい意味でドライ。センチメンタルにはならない。メンバー全員がスタジオ・ミュージシャンなどの"裏方志向"だったからかもしれないが、ロック・バンドを含む多くのアーティストに目立つ過剰な自意識を制御し、熱いプレイの中で聴き手も自分自身もクールに突き放しているかのようでもある。それがまた気持ちいいのだ。
これまでほぼ1年間隔でアルバムを出してきた八十八ヶ所巡礼だが、新作『凍狂』は初めて3年のインターバルが空いた。というわけでまさに満を持したアルバムである。基本は変わってない。聴いて10秒で八十八ヶ所巡礼!とわかる。またまたヴァラエティに富んでいるが、複雑怪奇なようでプリミティヴな音がダイレクトに迫る。まったりしたパートでも加速が止まらないから音が澱まず弛緩もない。音はもっとシンプルに、曲はさりげなくディープ。どこもかしこも一皮剥けている。
本作のレコーディングに向かっていた時期である2017年11月号のRooftop誌の記事で、廣井は「ポピュラー・ミュージックをやってるつもりなんですけどね(笑)」と言っているが、実際そうだ。あくまでも歌を軸にしていてサビのある曲が多いところにも、ポピュラリティを意識していることが表れており、その色が強まっている。ハード&エネルギッシュな音をキープしつつ、よりキャッチー。『凍狂』の音は贅肉を削ぎ落して核のみが発熱と発光を繰り返し、発射されている。
もちろん一筋縄ではいかない曲の連続だ。
1曲目の「虚夢虚夢」は祝祭みたいなノリで始まり、何気にユニゾンの音が跳ねながら各パートがピッタリのミッド・テンポで走る。続く「金土日」はポップな歌に抗うかの如くギターが攻め、日本のフリクションを思い出すソリッド&タイトなサウンドが反復していくうちに終盤加速。3曲目の「脳の王国」はグルーヴィながらギターはメロディアスで躍り疾走し、ラストでは語りも聴こえてくる。4曲目の「幽楽町線」は、東京の地下鉄の有楽町線に引っ掛けたタイトルだろうか。ストレートに前のめりで走るパンク・ロックかと思いきやギターがデス・メタルにギア・チェンジし、かと思えばロマンチックなメロディに転換するなど展開激しいシアトリカルな曲だ。ホラー映画のような空気感に包まれて、昔ながらの電車の音と踏切の音っぽいオープニングとエンディングも怖い。
後半に進んで5曲目のアルバム・タイトル曲「凍狂」は、ドゥーム・メタルの変形で始まるもキャッチーな展開に進んだかと思えば加速し、目まぐるしい"八十八ヶ所巡礼節"に磨きをかけている。続く「月斗」はハード・ロック・グルーヴの前のめりの曲。7曲目の「紫光」はテクニカルなギターに導かれ、ラップというよりトーキング・スタイルと呼びたいヴォーカルで、他の曲以上に声がリズミカルである。ちょいメロウな曲で反復基本に6分半を越え、R&Bの女性コーラスみたいなバッキング・ヴォーカルも聞こえてくるなどソウル・ミュージック風だ。オープニングとエンディングにちょっとしたポエトリー・リーディングみたいな声が漏れ聴こえてくるのも新鮮な驚きである。ラストの「永・凹・阿阿瑠」も8分近くのロング・ナンバーながら一気に聴かせる。イギリスのニュー・オーダーが頭をよぎるフレーズをエレクトロニカみたいな音で奏で、リズム隊がダブっぽいオープニングにまたまたビックリ。繊細な歌メロと研ぎ澄まされて流麗なギター・ソロが切ないが、ファンクにも転換するサウンドは肯定的な響きなのであった。
最後の最後にボーナス・トラックの「怪感旅行」が放たれる。アルバム全体の流れを損なうがゆえに本編から外されたと思われるが、四つ打ちドラムで始まったと思ったらスラッシュ・メタルとメロディック・スピード・パンクが交互に飛び出してきて、ライヴのアンコールにでもやったら盛り上がり必至のユーモラスな曲だ。
「見てくれは、僕らそれぞれが好きな見てくれでいいと思うんですよ。ぼくら楽器が好きなだけですからね。だから音だけでいいんです。正直なところ」と、2011年のインタヴューで廣井が言っている。そういった音への確信や音への信頼は聴いてのとおりである。
でも今回は全曲歌入りだ。ある意味、『凍狂』のヴォーカルも音として聴ける。歌詞は韻も踏んでいて語呂も大切にし、日本語のリズムや響きへの気遣いが見え隠れする並びの歌詞は、意味だけでなく音としても楽しめるのだ。とはいえ日本独特の言葉を使った歌詞とそれを活かす歌メロに和の心が弾み、『凍狂』は歌もさらに重要視した作りに聴こえる。アルバム・タイトルも曲名もこれまで以上に珍妙意味深であり、より練りに練られている。今回も絶好調の造語は言葉遊びにも映るが、歌詞全体と同様に幾重もの意味を込めていてイマジネーションを無限大にふくらませる。サウンドも含めて、アクション、コメディ、ファンタジー、ホラー、ミステリー、ロマンス、SF、サスペンスのジャンルがブレンドし、白黒の結論をつけない映画みたいだ。
毎度おなじみの谷口崇のジャケットは、前作で"お休み"していた謎のキャラクターのオヤジが今回復活。これまで以上に意味深長かつシリアスな画で、イエスのアルバムで知られるロジャー・ディーンの画をはじめとする往年のプログレッシヴ・ロック・バンドのジャケットを思わせるが、もちろん舞台は東京だ。八十八ヶ所巡礼の歌詞の世界と共振して幻想的なだけでは終わらずリアリスティックなテイストで迫り、アルバム・タイトルの『凍狂』のイメージとピッタリだ。
2011年のインタヴューで廣井は「僕、いまだに地獄みたいなところからしか音楽作れないんですよね。(地獄とは)酒飲み過ぎて頭超痛ぇとかそうゆうとこです。日々の色んな地獄とか。その地獄から抜け出すために音楽やっている感じですね」と言っていた。今も地獄が音楽を作るモチーフになっているのかわからない。確かにオフィシャル・サイトなどではドクロが躍っている。2015年のアルバム『日本』のCD盤面のアートワークのデザインは、スラッシュ・メタルやデス・メタル、ブラック・メタルのルーツ・バンドである英国のヴェノムが81年に出したファーストの『Welcome To Hell』のジャケットを思い出す。そういうネガティヴ・フィーリングは歌詞からもサウンドからも漂ってはくる。
と同時にポジティヴなフィーリングを『凍狂』から感じるのは僕だけではないだろう。特に本編終盤の流れは胸がすくほどだ。音もひっくるめてすべてが突き抜けている。とりわけ挑発的な冷めたトーンも聴かせてきたヴォーカルの歌唱が、以前にも増して思い切りが良くて気持ちの針が振り切れ、ナチュラルな発声で歌心もあふれているのだ。
ツイッターのつぶやきも必要最小限。今のバンド/ミュージシャンには珍しくfacebookもやってない。深い意味はないのかもしれないが、馴れ合いのコミュニケーションに興味がないような意志を感じるし、音だけで十分の意思も感じる。そんなストロング・スタイルの八十八ヶ所巡礼の渾身作である。
行川和彦