ストーリー、キャストから劇伴まで、『おしん』マニアが魅力と面白さを語り尽くすトークイベント「おしんナイト 2019」が、2019年11月1日(金)に開催された。当日は立ち見が出るほどの盛況となり、「おしんナイト 2020」の開催も決定(2020年6月28日(土)に延期して開催予定)しました。しかしチケットは即完売! 買えなかった方、申し訳ねぇっす……
前回参加出来なかった方、次回チケットが買えなかった方、遠方で参加が難しい方……そんなすべての『おしん』ファンのため、開催当日までに再放送されていた第185回までの内容でトークを展開した「おしんナイト 2019」のレポートを特別にお届けします!
後半はおしんの兄・庄治役を演じた吉岡祐一さんが登場します!
庄治兄ちゃんがクレープを焼いている!?
エスムラルダ(以下エスム):ではいよいよ後半戦参りたいと思います。さて皆様お待ちかねのスペシャルゲスト、ご登場いただきたいと思います。おしんの兄・谷村庄治役の吉岡祐一さんです、どうぞお入りください!
(吉岡祐一さん入場)
エスム:まさかの庄治さん登場ということで。これでおしんナイトも一気にヒートアップです。吉岡さんは、普段お酒って飲まれますか?
吉岡:あ、すごく飲みます。……ちょっとお酒入った方が気分も楽になりますし。
成田:吉岡さん今日、とっても緊張されてるんで。
吉岡:人前に出るのが20年ぶりくらいなので、すごく上がっております。よろしくお願いします。
エスム:今回、なぜ吉岡さんにお越しいただけることになったかというと、成田さんの調査能力が発揮されました(笑)。
成田:出演者のどなたかに「おしんナイト」に出ていただけたらいいね、とエスムさんと話していたのですが、なかなか難しいかなと。そんな時、吉岡さんのお名前をネット検索で見つけて。今は役者さんではなく、西新宿5丁目駅近くにある「クレープリー・シェルズレイ」というお店をやっている、という情報を掴みまして。それで翌日に行って、クレープを食べ、帰りがけにキッチンカーの小さい窓から覗いて、「間違っていたら申し訳ないんですが、谷村庄治役の吉岡さんではありませんか?」と……
会場:(悲鳴と笑い声)
成田:ごめんなさい、本当に怪しいですよね(笑)。一人で来てクレープをその場で食べたおじさんが「吉岡さんですか?」と言うとか……いないですよね?
吉岡:いや、初めてです!
成田:それで出演をお願いをして、ご快諾いただきました。では吉岡さん、乾杯の音頭を!
吉岡:(緊張のため息)ありがとうございます。よろしくお願いします。乾杯!
成田:ちょっと落ち着かれました?(笑) 今日は吉岡さんのお店で焼いてきていただいたクレープがあります。ソースなども手作りされて、粉もとってもいいものをお使いなんですよね!
吉岡:粉は、小麦粉で特Aっていうもののもっと上の小麦粉を使っております。これは業者の人が「とんでもない良い粉ですよ」と言ってました。
エスム:本当に美味しいので、皆さんも是非お店で召し上がっていただければと思います。
庄治は“クソ”ではありません!
エスム:吉岡さんの簡単なプロフィールをお話しいただければと思うのですけど……1955年に熊本県でお生まれになって。最初は劇団に所属されたんでしょうか?
吉岡:僕は桐朋学園の演劇科を2年で中退いたしまして、そのときの講師の、竹内敏晴という方を尊敬しておりまして、そこで小劇場の劇団に入って、何本かやってました。
成田:その学校に入られたのは、「役者になろう!」と思って熊本から?
吉岡:そうですね。僕は高校の時から熊本のNHKがやってる劇団に入っておりまして、そのときからライブハウスでお芝居をやっておりました。それで家出同然で東京に。「桐朋に入るんだったら……」と親も許してくれて。
成田:でも学校は辞められてしまったんですよね。
吉岡:ものすごい一所懸命やったんですよ。先輩たちの舞台に呼ばれるくらい頑張ったんですよ。それで、一人芝居をやりまして、『時の崖』っていう安部公房の戯曲で、35分くらい一人でシャドー・ボクシングをやったんですよ。ボクシングジムにも通いまして。でもそれをやり終わった後に燃え尽きちゃいまして。一週間くらい天井見上げて、「どうしようかな」って。
エスム:それは、おいくつの時ですか?
吉岡:20歳くらい……それで、ほとんど何も食べずに天井見て「辞めよう」と決めて、それから小劇場でやっていました。
エスム:テレビドラマは『おしん』の前にもいくつか出演されて。
吉岡:そうですね。僕、遅かったんですよね。25、6歳からテレビ関係をやりはじめまして。でも結構、運が良かった。ドラマのゲストで出させてもらって、そのあと何本かやらせてもらって……良いんですか? こんな感じで続けて(笑)。
成田:大丈夫です!
吉岡:NHKの『御宿かわせみ』のオーディションで良い役に選ばれて、萩尾みどりさんと夫婦役をやったんです。それが評判が良くて。次に大河ドラマ『峠の群像』で一年間レギュラーでやらせてもらって。そのときのディレクターから「今度『おしん』というドラマがあるから、受けてみないか?」と言われて。すごかったんですよ、全国から書類がいっぱい来て。それで最終的に残ったのが、7、80人くらいだったんですかね。その中には既に売れっ子の人とかもいっぱいいたんです。でも僕は「絶対負けたくないな」って思って、台詞を全部覚えて、オーディションを思いっ切りやったんですね。自分が一番良い、と思えたくらい。そしたら後日バイト先に電話がかかってきて、「君が一番良かったとみんな言ってる。ただ、どうしても事業に失敗して自殺するような感じではない……」と言われて。
エスム:じゃあ竜三さんのオーディションを受けられたんですね! へえ~~~~~~!
吉岡:なんか僕、変なこと言っちゃいました?
成田:いえ、あの……今のことは、忘れてください!(※この日はまだ竜三の運命はネタバレになる内容だった)
会場:(爆笑)
成田:……じゃあ竜三の役は、違う人がなると?
吉岡:そのときは、落ちたんだと思いました。あんなに頑張ったのになと思って、すごい落ち込んで。でも一週間くらい経って「役を決めたから」って電話があって。「兄の役を用意したから」と。それで僕は「わかりました、やらせてください」って。
成田:じゃあ庄治兄ちゃんはオーディションではなく、ご指名だったんですね。吉岡さんの演技がいいから、どうしても使いたいって……
吉岡:と、思いたいですね!
エスム:当時の吉岡さんからの風貌からすると、確かに兄ちゃんぴったり。
成田:本当に、吉岡さんがすごいハンサムだって盛り上がってるんですよ。ツイッターでも「庄治兄ちゃんクソだけど、顔はハンサムだ」って(笑)。
会場:(爆笑)
エスム:今日の直前の放送で、兄ちゃんがクズっぷりを炸裂させていたので、ツイッターを見ると「庄治、早く挽回しないと『おしんナイト』来づらいんじゃないか?」っていう書き込みがあって、すっごい爆笑しました。
成田:そんなことがあって、おしんに出ることが決まったわけですね。それで、庄治がクソだっていうのはどの段階で……?
吉岡:やってる時はクソだなんて思ってないですから(笑)。
会場:(爆笑)
成田:申し訳ありません!
吉岡:最初から、ただただ一所懸命やっただけですね。横で病人役が寝てるのに大っきな声でやってたんです。そしたら伊東四朗さんから「そんなデカい声だったらお前、起きてしまうだろ」って言われて。
成田:発声が舞台的だったんですね。
吉岡:ディレクターの方に「こんなこと言われたんですけど」と言ったら、「吉岡、お前はそのままでいけ!」って。
地元の人に「よくやってくれた!」と喜んでもらえた
エスム:ご自身が出られない「少女時代編」とかは現場に入られる前にご覧になってたりしたんでしょうか?
吉岡:撮影中で、見れなかったんですよ。自分が出ているシーンもリアルタイムで見られなかった。その当時は、役者が自分の出来をモニターで確認したりせず、スタッフの方がチェックしてOKという時代なんで。だから本当に良かったのかわからなくて。でもだんだん慣れてくると「これは自分の思うようにやれたんじゃないかな?」と思える時があって。それでOKが出ると嬉しかったですね。
成田:吉岡さんは一度クランクアップされて、その後また復活されたんですよね。
エスム:もしかしたらシーンが書き足されたのかもしれないですね。
成田:なので、クランクアップの花束を2度渡されたそうで。
吉岡:17から42歳の役をやって、僕と渡辺えりさんはスタジオで花束をもらったのですが、その後、橋田さんが演技を見て「この二人は……」と思ってくれたんじゃないでしょうか。
エスム:ちなみに、ちょっとだけネタバレになるけど、おしんの中で一番幅広い年齢(17歳~晩年まで)やられてるのって、意外に他にいないんですよね。あとは浩太(渡瀬恒彦)くらいかな? このあと何度か庄治さん登場しますけども、最後の登場シーンは皆さん、是非楽しみにしてくださいね。それで橋田先生の書かれた台本を最初にご覧になった時に、何か印象とかありましたか? 「台詞長いな」とか。
吉岡:台詞は長いですよね。
成田:長台詞は苦労されたんですか?
吉岡:皆さんびっくりしてましたよ、「こんなに台詞長いんだ」って。スタジオドラマだからカット割りで撮ってるんじゃなくて、長回しで撮ってるんですよ。僕が長台詞をしゃべってるところに竜三さん(並樹史朗)が入ってくるというようなシーンがあるんですけど、待機している並樹くんなんかは緊張しちゃって緊張しちゃって。でも見て欲しいですね、あそこは。
エスム:自分がもしそこにいたら、ちょっとビビりますよね。
吉岡:『おしん』はすごい緊張の中で進められていて、それが全員に伝わるんですよね。やり直しがきかないっていうか。僕の回は1カットで撮ってるのが多かったんですけど、一人で2ページくらいしゃべってるところがあるんです。そのときは本当に緊張しました。でも一発本番でOKだったと思います。そのときはさすがに褒めてもらえましたね。で、飲みに行きました(笑)。
成田:吉岡さんは台本をもらった時に、庄治という役柄をどう感じたんですか? さっき「クソじゃない」っておっしゃってましたけど……
吉岡:僕は熊本市で生まれて、幼少期は大津町っていう田舎で育ちました。農家の長男っていうのは相当な抑圧があるんです。だから庄治が言ってることは、決して過大ではないと思うんですよ。本当、昔の農家の長男は行き場がない。背負わされてるものがものすごく重いんです。そうした農家のイメージを思い出しました。
成田:じゃあ、ちょっと実体験なものがおありになったんですね?
吉岡:田んぼの真ん中にある家で、周りがみんな百姓してました。だから『おしん』が終わって大津町に帰った時、すごい喜んでもらえて。農家の長男のおじさんに「よくやってくれた!」と一番喜んでもらえて。知らない親戚とかも出てきて……まあ向こうは僕のこと知ってるんですよね(笑)。
成田:テレビで見てますからね(笑)。
吉岡:車に乗せられて、親戚に会いに行くんですよ。で、おばちゃんとかが抱きついて喜んでくれるんですけど……
成田:知らない親戚なんですよね(笑)。
吉岡:知らない(笑)。まあでもそのくらい喜ばれましたね。
成田:農家の窮状みたいなのをよくやってくれた!みたいなことだったんですかね。
エスム:『おしん』の姑のお清さん役の高森和子さんや、おしんの父役の伊東四朗さんはきつい役柄だったので、ファンの方から色々言われることがあったとおっしゃってるんですけど、吉岡さんの場合はそれはあんまりなく? 視聴者の方から「もうちょっとおしんに優しくしてあげなよ」みたいなことを言われることは当時なかったんですか?
吉岡:僕はこんな感じなんで、僕がやってるとか誰も思わないんでしょうね(笑)。
成田:そっか、ご本人よりもかなりキツい役ですもんね。
吉岡:だから成田さんだけですよ、僕に気が付いたの……
成田:いやもうネット時代のおかげです、これは本当に(笑)。
吉岡:結構、人前に出る仕事やってきたんですけど、一度も言われたことないです。
成田:たぶんこれから「吉岡さんですか?」と言われることが毎日になるかもしれない(笑)。お手を煩わせることになって申し訳ないんですけど。
吉岡:でも僕は役者としてのオーラがないんで……
成田:じゃあ普段は庄治の仮面を外していたんで、周りからそんなに何も言われなかったと。
吉岡:全然ないですね。一回だけ中国の留学生の子が、親に「おしんのお兄さん役の人と一緒に働いてる」と言ったら「いじめられてないか?」と言われた、と聞いたことはあります。
エスム:あはは(笑)。
成田:中国で見られてたんですね! 『おしん』はワールドワイドですから。
吉岡:世界の70カ国くらいでやってるんですね。イランとかはすごいですね。
成田:放映時間になると町から人がいなくなるとか。
吉岡:僕の大学の同級生がイランに行った時に、「この役の人は同級生だ」って言ったらものすごく歓迎されて、服まで買ってもらったって言ってました。
成田:でも、吉岡さんのお友達ですよね、本人じゃなくて。吉岡さんは別に何かしてもらったわけではなく、お友達が得をしたと……(笑)。橋田先生も船旅がお好きで、海外でおしんの脚本家だというとすごい歓待されて、チップすごい弾まなきゃいけないって(笑)。
吉岡:橋田先生、打ち上げの時しかお会いできなかったんですけど、すごく優しい方で、本当に素敵な方ですね。チーフプロデューサーの岡本由紀子さんも本当に素敵な人で、今でも大好きですね。チーフからフロアディレクターまで全て、本当に素敵な人が集まってたなと。『御宿かわせみ』の時のディレクターが引き上げてくれて、今でも感謝しています。
成田:すごいいい現場だったんですね。
吉岡:そうですね。だから、良い時代のNHKだったと思いますね。撮影が終わると、良いお酒いっぱい飲んで。
成田:相当いかれるクチですね?
吉岡:だって熊本出身ですもん(笑)。
クレープ屋を始めたきっかけは?
エスム:クレープ屋さんということは甘党でもあるんでしょうか?
吉岡:いや……試食するのが苦痛なんですよね。
成田:ちょっと苦手でらっしゃるんですか?
吉岡:ほとんど食べないですね。ただ、作るのが好きなんですよ。
成田:クレープ屋さんを始めたきっかけはなんだったんですか?
吉岡:ずっと原宿の「マリオンクレープ」でバイトしてたんです。今は有名になった俳優とか歌手とか、そういう芸術を目指した人間が交代交代でバイトしてたんですね。社長がそういうことが大好きな人で、理解がものすごくあって。「撮影で抜けます」と言うと「頑張って!」と。当時、僕はマリオンクレープの車で渋谷のNHKまでおしんの台本を取りに行ってたんですよ。
会場:(驚き)
成田:そうなんですか! その当時はアルバイトされてたんですね。……そこには僕みたいな人は来なかったんですね。「庄治さんですか?」って(笑)。それでクレープを作るのがお好きだったんでやってみようか、みたいな?
吉岡:自分でお店をやるようになったきっかけは、22年前(1997年)に父のすい臓がんが発覚して、余命3ヶ月と突然言われまして。それで思い残すことがないように45日間、熊本に帰ったんです。でもそれだけ現場から離れると、復帰は難しかったんですね。役者の方も、バイトの方も。それで突然無職になったんですよ。それで、ハローワークに行ったんですけども「失業保険は出ません」と言われて。それで渋谷区役所の前をたまたま通りかかったら「中小企業基金」みたいのがありまして、そこでお金を借りて、スペイン坂でなんとかお店を開くことができて。とにかく長蛇の列が途切れることのない店で、世界で一番人気のある店に突然なったんですよ。雑誌とか、ラジオとか紹介されて、世界中の人が来てくれて。「このお店は世界中ですごく人気のある店なんだ!」とか言われて。やってる方は全然知らないんですね、ただただ働いてる(笑)。
成田:焼くので必死ですもんね!
吉岡:だから僕の中では、芝居っていうのがもぎ取られていたんですよね。オープンしてすぐに『おしん』のディレクターから電話をもらって『加賀百万石〜母と子の戦国サバイバル』というドラマに出させてもらって、それが僕の役者としての最後の仕事になりました。僕の中の情熱が、普段の生活に全部押し流されて……なんていうか、喜びと悔しさっていうか、完全一体なものはありましたね。
エスム:お店が繁盛するのは嬉しいけど、その反面、お芝居する時間がどんどんなくなってしまう……
吉岡:全くなかった。だから、今日ここにくる時も、そういう想いがすごくありました。人前に立つのは本当に20年ぶりくらい。だから本当に、ありがとうございます。
エスム:こちらこそ、本当にありがとうございます!
後半PART2へ続く……