第3回「水の中にいるようだ」SION
SIONさんは私にとって、はじめて「個」を歌ってもいいんだ、と意識させてくれたアーティストでした。
はじめてSIONさんの音楽に触れたのは17歳くらいの頃。
当時よく出させてもらっていた長野市のライブハウスのスタッフさんから、SIONの曲のMVやライブ映像、インタビュー映像などが収録されたビデオを「SION、すごくいいから観てみて」と渡されました。
家で観てみると、衝撃を受けました。
独特なしゃがれ声、オーラ溢れる佇まい、まさしくロックスターです。
それからファンになり、他の音源も聴き漁りました。
個人的に、注目すべきはその歌詞でした。
「好きで生まれてきたわけじゃない
選んで暮らせてこれたわけじゃないけど
好きで生きていたい」(好きで生きていたい)
「俺は王様だと思ってた
俺の声で誰でも踊ると思ってた
だがしかし 俺の叫ぶ声は
ピンボールさ はねてるだけ」(俺の声)
「何処にも行きたくなくなったのは
何処にも行けなくなったからか
わがままな無いものねだりが
気まぐれに又瞬きをする 」(水の中にいるようだ)
「後ろ向きの想いは
後ろにしか行けない」(お前がいる)
私は、絶望から希望を逆算するような歌詞世界が好きなのですが、この頃にSIONに出会ったことが関係しているのかも知れません。
人生には希望しかないのかというと、そんなことはなくて絶望もたくさんあります。それなのに希望しか歌わないと、不親切なのではないかと思います。
SIONの歌詞世界では絶望も希望も異様にリアルです。
なぜリアルなのか。それは、彼自身が感じたことを歌っているから。
万人に当てはまるような歌詞を書くことはもちろん素晴らしく得難い技術です。それまで私はどちらかというと、解釈がたくさん生まれるような、ふわっとした歌詞の曲を聴いていましたが、SIONに出会って「個人的な感情を歌ってもいいんだ!」と啓蒙されたのでした。
「水の中にいるようだ」は、高校生の時に聴いた時は「なんか物悲しいなあ」ぐらいにしか思いませんでしたが、上京して、音楽活動が全くうまくいかないという辛酸を舐めた後に改めて聴くと、ものすごく心にフィットしました。
私の東京体験は挫折からはじまったので、
件の曲で描かれた、キラキラしていない、どこまでもドライで、疎外感と孤独感に溢れた東京は、私には共感しかありませんでした。
「水の中にいるようだ」という表現は個人的には鬱状態のことだと解釈しています。
この曲は、こんなふうに結ばれます。
「まるでどこか知らない国へ
まぎれこんだ感じだ
眠ってたなにかがふるえ出す
全部分かったつもりでいたこの街の入り口で」(水の中にいるようだ)
孤独の中、挫折し、絶望しても、結局はふりだしに戻るだけ。
また入り口に戻って、はじめからやり直せばいいだけのことなのかもしれません。
(文:センチメンタル岡田)