富久町時代のプラスワンには近づこうとしなかった豪さん&掟さん
豪:全然関係ない話を今思い出したよ。プラスワンの深夜にアニメDJのイベントがやってて、そこへ酔っ払った『BURST』編集長のピスケンさんが乱入してきて、「なんでオタクがこんなにはしゃいでるんだ?!」ってDJの機材を薙ぎ倒して大問題になったっていう(笑)。
掟:尖った人からするとオタクってだけで許せない感じなのかね。
豪:「俺たちのプラスワンにオタクが来るなんて許せない!」みたいな感じだったのかな? 『BURST』もよくプラスワンでイベントをやってたから。
掟:まあ、ピスケンさんは自分の会社のデスクの紙の山を面白半分で着火するような人ですから。「ちょっと火ぃつけちゃったりして~」とか言って。狂ってますよ!(笑)
豪:そもそもロフトプラスワン自体はオタク側のものだったはずだけどね。オタクアミーゴス(岡田斗司夫、唐沢俊一、眠田直)というユニットが人気だったわけで。
掟:俺は移転前のプラスワンのこと、富久町時代を全然知らないんですよ。
豪:タモリのジャズバーが入っていたことでお馴染みのビルね。今はブックオフがある辺り。
掟:当初、平野さんが構想していたのは文壇バーみたいな、常に誰かと誰かが喧々諤々としているような場を目指していたんでしょ?
豪:ざっくり言うと、長年海外放浪していた平野さんが海外で怪しいことをやった後、なぜか大阪花博のドミニカ館館長として凱旋帰国したんだけど、バンドの世界が全然面白くなくて自分がやることもないと。そこで刺激的なことを求めて、いろんな人が人前で喋って討論したり揉めたりするような場所を作ろうみたいなことだったんだろうね。
掟:豪ちゃんは富久町時代のプラスワンに近づかないようにしてたんでしょ?
豪:うん。まずハコ自体のイメージが暗かったよね。歌舞伎町へ移転して、リリー(・フランキー)さんのイラストがステージの壁画になってだいぶポップになったけど、それ以前、移転した頃もまだ暗いイメージがあったよ。平野さんのレリーフが飾られてた時代。掟さんは富久町時代は行ってないんだ?
掟:行ってないですね。昔のゴールデン街と同じで、めんどくさいおじさんたちが殴り合って仲良くなる場所みたいなイメージで苦手だった。攻撃性を持て余してる人、いつも揉め事を期待するような人しか行かない場所っていう認識で、興味のあるテーマがあっても行かなかったね。
豪:当時のシステムが今や全く受け継がれてないわけでしょ? 当初は「一日店長」制で、店長には気に入らない客を退場させてもいい権限があって、最後は必ずディスカッションの場を設けるという。
掟:飲食代は別として、ノーチャージのイベントも多かったんでしょ? 平野さんが「今のイベントは前売りで2,000円とか取りやがって」なんて言ってたけど、それが普通だから(笑)。
豪:何も悪くないよ(笑)。掟さんは最初にプラスワンへ来たのはいつなの?
掟:何だろう。『WWF(ワールド・レスリング・古本)』?
豪:ボクが大西祥平君とかとやってたイベントね。最初から出る側だったんだ。
掟:客で来てるとしたら、金井覚さん、青木孝司さん、ブレーメン大島さんがやってた『IDOL Nu-SCHOOL』くらい。金井さんがまだ“ミスター・プラスワン”だった時代。
豪:ボクも客で行ったことはないと思う。リリーさんが出るから遊びに行ったくらい。あと、『フィギュア王』がイベントやったときになんでボクらは呼ばれないんだ?! ってことで秦野(邦彦)君と二人で乗り込んだり(笑)。富久町時代に出たのは2回くらいかな。
掟:当時の客層は今と違う?
豪:演者も客も若かったとは思うけどね。
掟:自分たちのイベントに関して言えば、われわれが夢中だった頃のプロレス・格闘技の客層に近かった気がする。もともとはUWFや新日の会場へ通い詰めてた人たちみたいな。
豪:(配信のコメント欄を見ながら)「『ターザン山本と吉田豪の格闘二人祭』でお客で来ていた掟さんが隣の席だったことがありますよ」という人がいるね。
掟:ああ、行ったね。でもそれも出る側になった後だよ。借金取りに追われてる頃のジョージ高野さんと一緒に記念写真を撮ってもらって、「素顔だとバレるけどコブラのマスクを被ってれば大丈夫なんだ」って言ってた(笑)。















