世界初のトークライブハウス、ロフトプラスワンが2025年7月にオープン30周年を迎えた。
1995年7月6日にオープンした同店は、音楽、映画、文学、マンガ、アニメ、お笑い、アイドル、エロ、政治経済、社会問題など、ありとあらゆるテーマのトークイベントを30年にわたり開催し続け、トークライブの文化を日本に定着させてきたサブカルチャーの殿堂、総本山として知られる。
戦後80年、阪神・淡路大震災とオウム真理教事件から30年となる2025年、ロフトプラスワンは年間を通じてオープン30周年記念公演を開催中。同店で日夜行なわれているトークライブに加え、11月3日(月・祝)=文化の日にはZepp Shinjuku (TOKYO)で『ロフトプラスワン30周年記念公演「歌舞伎町プラスワンまつり in Zepp新宿」』と題した特別興行を開催する。
出演は、大槻ケンヂ、大森靖子、純烈、太陽とシスコムーン、チャラン・ポ・ランタン、ニューロティカ、メロン記念日、ロマンポルシェ。の全8組。ロフトプラスワンでの数々のトークライブに出演してきた面々が、この日はトークではなく渾身のライブ・パフォーマンスを各自披露する。
開催を目前に控えるなか、ヘッドライナー8組を代表してニューロティカのアツシ、太陽とシスコムーンの稲葉貴子、メロン記念日の村田めぐみにそれぞれが出演したロフトプラスワンでのトークライブのこと、一つのバンドやグループを長く続ける秘訣、Zepp Shinjuku公演へ向けた意気込みなど多岐にわたる話を聞いた。(Interview:椎名宗之 / Photo:宮原塁)
ニューロティカ×メロン記念日 “ピンバカ”の尋常ならざる破壊力
──あっちゃんは太陽とシスコムーンのことをご存知でしたか。
アツシ:名前はもちろん知ってましたけど、ライブとかで交わったことはなかったですよね?
稲葉:はい。今日が初めましてですね。
アツシ:じゃあ、初めての共同作業ということで。
──それじゃ結婚式ですよ(笑)。
稲葉:お会いできて嬉しいです。私も同じ“あっちゃん”ですし(笑)。
──ああ、そうでしたね。逆に、稲葉さんはニューロティカをご存知でした?
稲葉:メロン記念日とのコラボレーションを通じて知りました。『ピンチはチャンス バカになろうぜ!』(メロン記念日×ニューロティカのシングル、2009年7月発表)は凄くメロンらしい良い部分が凝縮していて、ライブで必ず盛り上がる曲でしたよね。
村田:“ピンバカ”のおかげでメロンのライブがどんどん自由になっていったし、本当に素晴らしい楽曲を提供していただいて感謝しています。
──ライブで“ピンバカ”といえば村田さんの“ほっかむり”が強く印象に残っていますし、“ピンバカ”が人気曲になったのは村田さんの感受性や適応力の賜物という気もしますが。
村田:いやいや、私以外にも柴田(あゆみ)がサポーターみたいに楽しく踊ったり、最近では斉藤(瞳)がゴールテープを決めたり、各メンバーがステージでより自由になれたのは楽曲のおかげです。
──去年の12月11日に新宿ロフトで行なわれたニューロティカの主催ライブ『帰ってきたビッグ・ウェンズデー ~あっちゃん還暦スペシャル~』に村田さんがゲスト出演した際も“ピンバカ”が披露されて、変わらぬ爆発力と破壊力を実感しました。
アツシ:一人で4役をこなして、あれは凄いとうちのメンバーも言ってましたよ。僕は客席の後ろのほう、PAの前に座って見ていたんですけど。
村田:まるで王様のような椅子に座られて(笑)。あの日は私も凄く楽しませていただきました。
アツシ:あのライブは一生の思い出ですよ。村田さんを始めたくさんの豪華ゲストがニューロティカの曲を代わる代わる唄ってくれて。だけど“ピンバカ”を一人で唄うのは大変だったでしょ?
村田:あの経験が今やっているメロンの再結成ツアーに活かされています。今回は歌が3分割されていますけど、歌詞が全部頭に入っている強みがあるんです。
──“ピンバカ”でほっかむり姿になったのはどんなタイミングでしたっけ?
村田:最初は阿波踊りだったんですけど、タオルの置き場所がないから被っちゃえ! みたいな感じだったと思います。それからほっかむりスタイルが定着して(笑)。
──メロン記念日の解散後にリリースされたニューロティカのアルバム『俺達が歩く道』(2011年5月発表)には“ピンバカ”のセルフカバーが収録されて、そこでは村田さんと大谷雅恵さんがコーラスで参加していましたね。
村田:そうですね。セリフも新たに入れさせていただいて。
アツシ:その節も大変お世話になりましたし、仕事をご一緒してからもう何年経つのかな?
村田:初めてお会いしたのが2009年だから、今年で16年ですね。当時のあっちゃんは40代前半だったと思うんですけど、今の私と同じくらいの年齢だったのを思うと何だか感慨深いです。
──稲葉さんと村田さんにご説明しますと、ニューロティカはわが新宿ロフトの最多出演バンドなんです。2021年12月の時点で出演回数300回でしたから、今は……。
アツシ:330回くらいは行ってるね。
稲葉:エーッ、それは凄い!
村田:それはもう誰も追い抜かせない大記録ですね。
アツシ:でもね、うちらの記録を追い抜くくらいロフトを好きなバンドに出てきてほしいんですよ、本当は。
「困ったときのニューロティカ」はロック界の定説
──今日はお三方のロフトプラスワンを始めとするロフトのトークライブハウス出演履歴を調べてきたので、それぞれ振り返ってみたいんです。まずあっちゃんは、去年の11月17日にプラスワンでニューロティカの歴代メンバーが集結した『ニューロティカ40th 〜ニューロティカ全部盛り オールロティカde記録ノートを再確認〜』が記憶に新しいですが、古くは『穴をふさげ!』(2002年9月発表)の発売を記念して『「ニューロティカと愉快な仲間達!!」~井上アツシ27歳(!?)バースデーパーティー!!~』と題してトークライブを行なっていただいておりました(2002年10月20日)。
アツシ:やりましたね。POLYSICSのハヤシ(ヒロユキ)くんやPEALOUTの高橋浩司くんが来てくれたんじゃなかったかな。
──近年は『僕たち、プロ野球大好きミュージシャンです!』の常連ですよね(同イベントの初回は2017年3月8日)。あっちゃんは横浜DeNAベイスターズファンの代表ということで。
アツシ:はい。年に2回、出させていただいてますね。僕は他の出演者(ウエノコウジ、オカモト“MOBY”タクヤ、グレートマエカワ、樋口豊ら)に隠れて大人しくしてるつもりなんだけど、ここ数年のベイスターズが強いので目立っちゃって(笑)。去年の日本シリーズでは26年ぶりに日本一を達成しましたし。
──稲葉さんと村田さんはプロ野球に関心はありますか。
稲葉:私は関西人なので(大阪府吹田市出身)、やっぱり阪神タイガースを応援しちゃうところがありますね。
アツシ:オリックス・バファローズは?
稲葉:なぜか昔から阪神派なんですよね。なぜでしょう? 寅年生まれだからかな?(笑)
村田:私は東北楽天ゴールデンイーグルスの球場がまず好きで(村田は宮城県仙台市出身)、フードが充実しているんですよ。ピザ、ラーメン、カレー、丼類、たこ焼き、おつまみといろいろあって、がっちり胃袋を掴まれています。そのプロ野球好きイベントは、全球団のファンがお揃いなんですか?
アツシ:全部ではないですね。阪神ファンが多いのかな。ユータくん(樋口豊)と、司会の『音楽と人』の金光(裕史)編集長。ウエノコウジが広島東洋カープでグレートマエカワが中日ドラゴンズだから、セ・リーグが多いね。
──あっちゃんは大槻ケンヂさん主催のイベントに呼ばれることも多いですね(『オーケンのほほん学校』『名曲喫茶オーケン!!』)。あと、ロフトの新店舗のオープン当日に駆けつけてくださる恩人でもあります。2014年4月4日のロフトプラスワンウエスト然り、2016年7月1日のLOFT9 Shibuya然り。
アツシ:そもそも新宿厚生年金会館の先にあったロフトプラスワンの柿落としにも出てるからね(1995年7月6日)。ARBのKEITH、G.D.FLICKERSのJOE兄ぃと一緒に。今やってる朝ドラ(『あんぱん』)のモデルになったやなせたかし先生は「困ったときのやなせさん」と言われてたみたいだけど、「困ったときのニューロティカ」はロック界の定説ですから(笑)。
村田:私、あっちゃんはミッキーマウスのような人だなといつも思っていたんですけど……。
──困った人を助けるアンパンマンみたいなヒーローだったと(笑)。
アツシ:ミッキーマウスなんて畏れ多いですよ。まがいもののネズミーマンくらいでちょうどいいです(笑)。