暴動クラブというバンド名、ルックスや佇まいに驚かされた
──井上さんは暴動クラブのライブをご覧になったことは?
井上:二度観てます。昨年末に新宿ロフトのバーステージに出たライブも観ました。暴動クラブのライブ自体はおよそ予想通りと言うか、音源も聴いていたのであまり想像とかけ離れたところはなかった。ただバンド名に始まり、ルックスや佇まいには驚きましたね。なんて言うのかな、僕がロックを始めた70年代のロックのスタイルや雰囲気を暴動クラブは身に纏っている。長髪にベルボトムみたいなスタイルのロック好きはいつの時代でも一定数いるけど、暴動クラブはその中でも頭一つ抜きん出た佇まいがある。最初、ROSIEがband HANADAのライブを観に来てくれたんだよね。そのときに暴動クラブの音源や資料をスタッフにもらったんだけど、後日その資料にあるアー写を見て「ライブを観に来てくれたのはどの子だっけ?」と思った(笑)。それくらいステージ映えするインパクトがあると感じた。
──ROSIEさんがルースターズを好きという話は聞いていたんですか。
井上:その前情報があってライブに来てくれたんです。ルースターズが好きということは、もっとパンキッシュな感じの子かなと思ったんですよ。ミッシェルやブランキーの流れで好きになる人が多いから。だけど実際に会うROSIEのイメージは全然違った。自分の話をすると、パンクが出てきたのは僕が高校の頃なので、パンクの洗礼を受けた世代ではないんです。ルースターズでは僕が一番年下で、他のメンバーは2、3歳上だから4人ともパンクの世代じゃない。どちらかと言えばハードロックから派生した音楽のスタイルに影響を受けていた。でも70年代の終わり頃に既存の音楽が劇的に変化して、それまで長髪でオーソドックスなロックをやっていた人が突然テクノカットになってテクノロジーを取り入れた音楽をやるようになった。サンハウスや村八分みたいな音楽が急激に古いものに感じられるようになったり、それまで裸のラリーズや夕焼け楽団みたいなバンドをやっていた久保田麻琴さんがサンディーさんをメインボーカルに迎えてシンセポップをやるようになったり。洋の東西を問わず当時はどこもそんな感じで、たとえば暴動クラブと近い雰囲気のニューヨーク・ドールズでボーカルだったデヴィッド・ヨハンセンも70年代の終わりに急に短髪になって、真っ白のジャケットにパンツを着こなしてディスコティックな曲でソロ・デビューを果たした。僕はそんなふうに音楽もファッションも劇的に変化するのを目の当たりにした世代なので、余計に暴動クラブのルックスや佇まいに驚いたのかもしれない。ベルボトムは二度と穿かない、シャツをジーンズから出すなんてことは一生しないんだろうなと思った世代だから(笑)。
──それがルースターズのデビュー前夜の世相だったと。
井上:そうですね。音楽的コンセプトは大江のアイディアでローリング・ストーンズのファースト・アルバムを意識したものにして、それに伴いタイトなスーツを着てネクタイを締めて…という感じになった。
──同じベーシストとして、ROSIEさんのベースをどう見ていますか。
井上:凄くしっかりしてるなと思った。
ROSIE:えー、ホントですか?
井上:今の若い人たちは凄く上手だし、生まれてからずっとコンピュータが生み出すデジタル・ミュージックに接しているでしょう? そういうテンポが常に一定で揺れが一切ない音楽をずっと聴いていれば、良くも悪くもリズム感が安定するんだと思う。
ROSIE:私のリズム、現代的ですか?
井上:現代的と言うのか、スタイルとしては70年代のヒッピー的文化の音楽に近いと思うけど、音はかっちりしていると言うのかな。昔のヒッピーっぽい風貌のバンドは音もずるずるだったから(笑)。暴動クラブの音楽にはそういう間延びしたようなところは全然ないね。そういう部分が非常にポップだとも思うし。僕が暴動クラブのファースト・アルバムを聴いて感じたのは、雑味や粗っぽさがいいって言うか。曲も含めて70年代の雰囲気がよく出てるけど、今の若者が作るロックンロールはこんな解釈になるんだなと思った。
ROSIE:ここだけの話なんですが、「カルフォルニア・ガール」のベースラインは私がめっちゃ好きな「ALL NIGHT LONG」のベースラインをちょっと引用させてもらったんです(笑)。
井上:そうなんだ? 何曲か聴いたことのあるベースラインだなとは思ったけど(笑)。
──ROSIEさんが井上さんのベース・プレイに影響を受けたところはありますか。
ROSIE:具体的にこうとは言えないんですけど、ベースを始めた頃の練習はいつもルースターズの初期の曲ばかりをコピーしていました。だから凄く影響を受けていると思います。
井上:ルースターズを始めるにあたって、それまで4人それぞれいろんな音楽を聴いてきたけど「シンプルなものにしよう」という指針があったんです。余計なことをやるのは格好悪いみたいな共通認識があって、そういった音楽的コンセプトに忠実なところがあった。そのシンプルな姿勢を貫き通すのが初期ルースターズの特性でありサウンドだったと思う。ギターに関して言えば、実は花田(裕之)よりも大江のほうがソロを弾くのは上手でね。「どうしようもない恋の唄」の間奏は確か大江が弾いたんじゃないかな。
ROSIE:当時のライブ映像を見ても大江さんが弾いていますね。
井上:そうだよね。ただ、大江は極力ソロは弾かずに花田に任せていたけどね。僕が中学生だった頃、大江と池畑(潤二)は人間クラブの前に薔薇族というハードロックのバンドをやっていて、それが地元で凄く有名だった。メンバーはみんな上手な人たちばかりで。こっちで言うEastWestみたいな、L-MOTIONというヤマハが九州地区限定で開催していたアマチュア・バンドのコンテストで技術賞か何かを受賞するくらいテクニックのあるバンドだった。大江はその薔薇族のサイド・ギターでリード・ギターは別にいて、当時は全然目立つような存在じゃなかったんだよ。薔薇族はシルヴァーヘッドというバンドのカバーをたくさんやっていて、そこのボーカリストはマイケル・デ・バレスより歌が上手いんじゃないかってくらいの腕前でね。その薔薇族のメンバーが3人くらいバイトしていた楽器屋が小倉にあって、当時はバンドをやっている子たちが気軽に集える場所は楽器屋くらいしかなかった。だから楽器屋でたむろしていると薔薇族の人たちと知り合うようになって、僕はその流れで大江や池畑と出会ったわけ。