1980年にシングル「ロージー」でデビューし、その後の日本のロック史に大きな影響と数々の伝説を残した屈指のロックンロール・バンド、ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS→Z)。昨年11月に全アルバム13作118曲を一斉配信し、今年5月には貴重なシングル11作22曲まで配信され、サブスク解禁を長らく待ち望んでいたファンを中心に大きな盛り上がりを見せたことは記憶に新しい。バンドの解散から16年を経てオリジナルフォー(大江慎也、花田裕之、井上富雄、池畑潤二)が『FUJI ROCK FESTIVAL』でラストライブ(実質的再結成)を行なった年に生まれた暴動クラブのベーシストである城戸"ROSIE"ヒナコは、ルースターズのプレイリスト企画『MY BEST OF THE ROOSTERS to THE ROOSTERZ』に参加し、一斉配信曲の中から思い入れのある楽曲をセレクト。"ルースターズフリーク"を自称する狂信的ファンとして知られる。そのROSIEが熱望していた、ルースターズの初代ベーシストである井上富雄との対談がこのたび実現。共にベーシストとしてバンドの屋台骨を支える存在であること、バンド内最年少のメンバーであること、英米の音楽のみならずフレンチ・ポップにも精通していることなど、43歳もの年齢差がありながら共通項が意外と多い二人。8月にリリースされる暴動クラブ待望のファースト・アルバムにルースターズの代表曲「C.M.C.」の秀逸なカバーが収録されているトピックも含め、音楽とバンドに対する愛とリスペクトが通奏低音となっている両者の機知に富んだ対話を堪能していただきたい。(interview:椎名宗之)
今でも一番聴いているバンドはルースターズ
──まず、ROSIEさんのミドルネームですが、これは言うまでもなく……。
ROSIE:はい。勝手に名乗ってしまってすみません(笑)。
──高校の頃は毎日10時間、ルースターズを聴いていたそうですね。
ROSIE:今でも一番聴いているバンドはルースターズなんです。
井上:ROSIEの世代では珍しいケースだよね。
ROSIE:高校2年生の16歳だったある日、YouTubeでたまたま流れてきたルースターズの「LET'S ROCK(Dan Dan)」の動画を見て、衝撃が走って。それからずっと好きなんです。
井上:昔のライブビデオみたいなものかな。僕がまだいた頃?
ROSIE:はい、もちろん。
井上:ルースターズは僕が脱退して以降のほうが長いから。僕はデビューして3、4年しかいなかったので。
──ROSIEさんがそれだけルースターズに惹かれたのはなぜだったのでしょう。古今東西のバンドとどんなところが違ったのでしょうか。
ROSIE:わかんないです。感覚的なものと言うか、聴いたときの衝撃があまりに凄すぎて椅子から落ちたみたいな(笑)。とにかく言葉にできない衝撃を受けたんです。
井上:ルースターズがお勧め動画として流れてきたということは、それに近い音楽を好んで聴いていたということだよね。古い日本のロックが好きだった?
ROSIE:そうですね。高校の頃からシーナ&ロケッツとかを好きで聴いていて。
──ルースターズの音楽と出会ったときはすでにベースを弾いていたんですか。
ROSIE:まだ弾いてなかったです。高校の頃はドラムを叩いていたんですけど、向いてないなと感じてやめちゃって。子どもの頃から弾いていたピアノもギターも上手くならないし、残されたベースを弾いてみたら一番しっくりきたんです。
井上:ドラムを叩いていたのはバンドとして?
ROSIE:軽音部に入っていて、そこで叩いてました。
──自身でベースを弾くようになって、井上さんのスキルの凄さを実感したのでは?
ROSIE:実感しましたし、ベースを弾く前からルースターズのオリジナル・メンバー4人全員の演奏技術の凄さに打ちのめされました。初めて聴いたときもその衝撃が凄くて。
──井上さんも当初はギターを弾いていたところを大江(慎也)さんにベースに転向させられたんですよね。大江さんが当時4万円くらいのトーカイのベースを買ってきて、それを「はい」と渡されたという(笑)。
井上:そうですね。いきさつとしてはいろいろあるんですけど。
ROSIE:その話、詳しく聞きたいです。
井上:中学1年生のときに友達の家に遊びに行ったら、そこのお父さんがオーディオ・マニアで立派な音響機器を持っていたんです。友達の兄貴のレコード・コレクションの中にグランド・ファンク・レイルロードのライブ盤があって、それを聴いてびっくりしてね。極上のオーディオで聴く音がとにかく凄まじくて。その音に衝撃を受けて、毎日友達の家に通ってた。レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、T・レックスとかが流行っていた頃でね。そのうちその友達とバンドをやろうという話になったんだけど、当時のバンドの花形と言えばギターだった。僕もギターを弾きたくてフォーク・ギターくらいは小学生の頃から持っていたけど、その友達もやりたいのは当然ギターで。僕にいろんなロックを教えてくれた恩人だし、そこは自分が引かないといけない(笑)。近所にドラムを叩ける友達もいたので、しょうがなく僕はベースを弾くことになった。だから中1のときに最初に作ったバンドで僕はベースだったんです。ベーシスト的資質と言うか、よく「ベーシストだからそういう性格なんですか?」って訊かれるじゃないですか。ベースって縁の下の力持ち的な役割が多いし、「俺が俺が」と自我を貫き通すスタイルは取りにくい。ただ僕の場合、最初にバンドを作ろうとして「それなら自分がベースを弾くよ」と譲歩する性格自体がベーシストっぽいなと思ったんです(笑)。ちなみにその後、中学の終わりから高校に入った頃は自分がギターを弾くバンドをやっていたんですけどね。
ROSIE:バッキングではなく、メインのリード・ギターだったんですか。
井上:うん。シーナ&ロケッツの鮎川(誠)さんがやっていたサンハウスの曲とかを一生懸命コピーしたりしていた。それからいろいろあってルースターズの前身バンドである人間クラブに誘われて、「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と大江に言われて。ベースを持っていないことを伝えたら、大江は当時楽器屋でアルバイトしていたので「何か借りてくるから」と言ってトーカイのベースを持ってきた。
──ROSIEさんは、井上さんの言うベーシスト的資質を自身で感じたりしますか。
ROSIE:どうなんでしょう。でも確かに、うちのギター(マツシマライズ)のほうが「俺が俺が」のタイプだとは思います。