鮎川誠の尋常ならざるコレクター気質
──こうして“鮎川誠 Play The SONHOUSE”が始まったのを見届けるように松本康さんが亡くなってしまったのが返す返すも残念ですね。
鮎川:そう、“Play The SONHOUSE”と重なったから余計にね。奈良が「もう一回『頑張って!』っち言うてほしかった」っちLINEで悔やんどったけど、ほんとそういう気分やった。康ちゃんは凄く音楽に詳しいし、博識やし、言うことも実に的を得とった。だから康ちゃんに褒められるともの凄く嬉しいんよ。
奈良:褒められると凄い力になるんです。それに康ちゃんは凄い優しいんですよ。
──福岡には60年代から今日に至るまでロックの地層が積み重なっていて、鮎川さんや松本さんのような水先案内人、ナビゲーターの役目を果たす方が下の世代に普遍的な音楽を伝承する文化がずっと続いてきましたよね。他の地域ではありそうでない文化ですし、なぜ福岡だけそうした文化伝承が可能だったのでしょう?
奈良:そういうディープな音楽好きがたまたま集まっていたんでしょうけど、おそらくあの時代だけですよ。鮎川さんと篠山さんがやってたアタック、柴山さんのキースが同じ時代に始まって、他にも浜田(卓)さんのバイキングやスマッシャーズといったバンドもいて…とにかく刺激を受けまくりましたもん。
鮎川:僕らがダンスホールに出始めたときはまだGSの名残があったけど、狂うとっても狂うふりをするだけで型にはまったことをやるだけちゅうかさ。でもウッドストック時代が始まってロックの垣根がぶっ壊れて、何十万もの人たちが同時にジミヘンのプレイを聴くなんてことはロックの世界にしかないことやった。それが1969年。その映画を見てリアルな疑似体験をしてから僕はロックに夢を持ったんよね。そしたらダンスホールが潰れて時代に取り残されて、自分たちの居場所を開拓するしかなかった。それで村八分が京都大学の西部講堂でライブをやったようにサンハウスは九州大学でライブをやろうと思い立って、そのとき康ちゃんが裏方になって大学に根回ししてくれた。ジャズ喫茶に押しかけてライブをやらせてもらったりもした。その後、“ぱわあはうす”という博多にできた最古のロック喫茶が僕らのお気に入りの場所になって、スタッフとも意気投合して、そこを1973年から2年間くらいサンハウスの練習場所として使わせてもらった。鍵を渡されて、朝の8時から昼の12時までみっちり練習してね。そうやってみんなで集まって演奏するのがただただ好きで、それがサンハウスというバンドやった。別にデビューしたいとも思わんかったし、自分たちがレコードを出すなんてエーッ?! ちなったもんね。
──その時代の福岡の話を聞いて、LUCYさんはどう感じますか。
LUCY:凄い格好いいですよね。当時はフォークソングやプロダクションにお膳立てされた歌謡曲が主流だったけど、自分らでバンドを始めて活動場所を開拓するなんてそれ自体がパンクだと思うし、格好いいなと純粋に思います。
鮎川:本人たちはなんも考えてなかったけどね。でも、自分たちと集まってくれた有志が大きいホールを借りてライブをやるのがずっと続けられたし、ファンの応援は本当に有り難かった。
──ロケッツのオフィシャルショップサイトで『ASAP』を購入すると付いてくる『月刊 鮎川誠 STAY ROCK No.02』はサンハウスの特集で、当時の貴重な写真やデータがぎっちり詰まっていますが、こうした冊子を作成できるのはひとえに鮎川さんの物持ちの良さ、収集癖の賜物ですよね。
LUCY:写真でも映像でも音源でもあらゆるものをアーカイブしてあるんですよ。シーナのソロで「BON TEMPS ROULER」(ボン・トン・ルーレ)という曲があるんですけど、作詞をした康ちゃんが元歌を唄ってるデモ音源まであったりして。
鮎川:前に『ROCKJUKE』で流したことがあって、それを覚えていた人から「音源はありませんか?」と問い合わせがあったので探したらすぐ出てきたんよ。“ボン・トン”と検索したらいろんな時代の「BON TEMPS ROULER」が一気に出てきて。そのデモは最初に細野(晴臣)さんが作ったオケにシーナがラララと唄ったやつを康ちゃんに送って、康ちゃんがそれを再生しながら唄ったものでね。
LUCY:ああ、シーナが先ではあるんだ?
鮎川:うん。康ちゃんはロケッツの「恋のムーンライトダンス」や「ワンナイト・スタンド」とかの作詞もしてくれたし、チャンスがあればまた康ちゃんの歌を唄いたいと思ってる。
──鮎川さんのアーカイブ癖はレコードや楽器収集の延長なんでしょうか?
鮎川:スタジオでレコーディングすると、その日録った音をカセットで毎日くれるわけ。ラベルに日付や曲名をメモして、それを段ボールに入れると押し入れいっぱいになる。自分たちの記事が載った雑誌も溜まる一方でさ。そういうのをどうしようか? 処分しようかね? っちシーナと相談したことがあったけど、「取っとき! 捨てるのは最後に一気にすればいいけ」っち言われてね。「私たち以外に取っとってくれる人は誰もこの世におらんから私たちで取っとこう」とシーナが言うたんよ。僕らは上京して便宜上プロダクションに入ったけど、そうやって何かを取っといてくれるとか親身になってくれる付き合いではなかったし、つい取っておきたがるんは自分の性分やろね。レコードでもなんでも。レコードに通し番号を書きよったくらい所有欲があったから。44枚目でやっとジョン・リー・フッカーが手に入って、買った日付まで書いてたし(笑)。
LUCY:そういうコレクター気質も凄いけど、お父さんは記憶力も凄いんですよ。70年代のライブのことも鮮明に覚えてますからね。あのとき誰と一緒にいて何が起こって、何ひとつ忘れてないんです。
鮎川:シーナは人間関係のことや心の動きやらをずっと覚えとった。そのときは誰がいて、どういう話をしてとか記憶がはっきりしてた。僕はそっちのほうはさっぱりやけど、音楽にまつわることなら場所でもなんでもよう覚えとる。