クリミアのパートは別の映画としてまとめてほしい
──竜次さん、岳さん、素之助さん、おおくぼさんはこの映画で改めて頭脳警察を俯瞰できたところもあったのでは?
澤:史実的に知っていた学生運動の映像と共に加藤登紀子さんの証言があったり、いろんな角度から捉えた頭脳警察の姿を見られて新鮮でした。テンポ良くわかりやすく時代背景が映し出されていて勉強にもなったし、改めてすごく格好いいバンドだなと思いましたね。
宮田:過去の映像も盛り込まれていて楽しめましたけど、やっぱりTOSHIさんが一番面白かったですね。パワステでのライブは楽屋に戻ってきてからもやんちゃなままで(笑)。今もあんな感じでいてほしいです。
樋口:僕がいいなと思ったのは、昔の映像と今の映像が切り替わる「万物流転」の演奏シーンですね。PANTAさんとTOSHIさんがストレッチしていたり、二人の関係が垣間見られると言うか。ストレッチは今もやってほしいですね。
TOSHI:今やったら腰が折れるよ(笑)。
樋口:二人がじっくり話し合っているところはあまり見たことがないんですけど、要所要所でコミュニケーションを取っている場面が僕は好きですね。
TOSHI:昔の自分の映像を見ると、ホントにただの酔っ払いだもんなあ…。
PANTA:親父さんが亡くなるまでは飲まなかったのにね。TOSHIの親父さんはジャイアンツが負けるとダルマ(サントリーオールド)が半分くらい減るような人だったんだけど。
TOSHI:70年代の頭脳警察の打ち上げはジュースを飲んでいたしね。
PANTA:それが1990年の再結成ではスタジオにウイスキーの水割りとクリームソーダを持ち込んでさ。水割りとクリームソーダの両方を飲む奴なんて初めて知ったよ(笑)。
おおくぼ:クリームソーダがチェーサーだったんですね(笑)。
樋口:よくPANTAさんが頭脳警察のことを「本来なら真っ先に社会に抹殺されないといけなかったバンド」と言うじゃないですか。確かに映画を見ると抹殺されて然るべきバンドだったことがわかりますよね(笑)。だってライブは暴動そのものだし。
PANTA:パワステのライブが終わった後の客も血走っていたしね。「オイ!出てこいよッ!!」って。70年代のライブだって瓶や石が平気で客席から飛んでくるんだから。それを避けながらライブをやっていたし、映像には出てこないけどナイフを隠し持ってもいた。今日のライブは殴り込みがありそうだと聞くと、ベースの(石井)まさおに「これ持ってろ」ってナイフを渡してさ。
TOSHI:昔の学園祭が怖かったよな。
PANTA:うん。客席が乱闘になって、まさおはどうした!? って探すわけ。そうするとPA卓のそばで逃げ遅れた右翼に「ぶっ殺してやる!」とか叫んでるんだよ、ナイフを持ちながら(笑)。それを必死になってスタッフが止めてね。俺はその様子を笑って見ていたけど(笑)。もう毎日が事件だったよ。
樋口:その時、TOSHIさんは何をしていたんですか?
TOSHI:学園祭ではそんなに暴れてないよ。
──「学園祭では」(笑)。
TOSHI:俺たちが乱闘することはなかったけど、まわりは血だらけの人が多かったよ。学生同士の喧嘩もあるし。
PANTA:体育会系と反体育会系もあるし、組織のぶつかり合いもあるし、同じ学校でも実行委員会と反実行委員会があるしね。
──おおくぼさんは映画をご覧になっていかがでしたか。
おおくぼ:1年間ずっとカメラクルーの方々がついて回って、カメラの前でいろいろ喋ったりしたんですけど、完成した映画を観ると意外と演奏シーンが多くて。思っていた以上に音楽映画になっているなと思いました。さっきPANTAさんがおっしゃっていたように、ちゃんと頭脳警察の音楽的側面に焦点を当てているんだなと。
PANTA:たとえばあの水族館劇場のシチュエーションでライブをやるなんて、やろうと思ってもなかなかできることじゃないからね。花園神社の境内に特設された小屋の中のステージ、あれはどんな舞台よりも素晴らしい。ただ、あれでもし客席が崩れようものなら大惨事になっていたけど(笑)。
おおくぼ:実際、ちょっと揺れてましたからね(笑)。
──映画の見所のひとつは日本の外務省が渡航中止勧告を呼びかけているクリミアへの渡航、ヤルタ国際音楽祭での「7月のムスターファ」の演奏シーンで、日本語がわからないはずのヤルタ市民がPANTAさんの歌に深く感銘を受けていたのがとりわけ印象に残りました。
PANTA:末永(賢)監督はあのクリミアのパートをもっと長く見せたかったみたいなんだけどね。「戦争と戦争の間に俺たちはいる」(「時代はサーカスの象にのって」)という歌と共にクリミアの紛争が映し出されるような感じの導入で、最初はだいぶ長かった。ただ確かに内容はすごく面白いんだけど、頭脳警察の50周年に焦点を当てるという趣旨とずれてしまうから短くしてもらって、後々その部分だけで一本の映画にしてほしいとリクエストしたんだよ。その代わり、本来伝えたかったことのすべてを「7月のムスターファ」に集約してもらったわけ。あれはあれで見せ方としては大正解だったと思う。
TOSHI:あれ、歌詞を訳してくれた人がいたの?
PANTA:唄う前にニコライという通訳の人が俺のMCをロシア語で伝えてくれたよ。サダム・フセインやその孫であるムスターファのこと、200人の米兵を相手に銃撃戦を繰り広げたことなどを忠実に訳してくれて、イラク戦争の内実もちゃんと理解していたんだよね。