ゼルダに端を発した魂の旅路は続いている
──以前、さちほさんがゼルダのファンサイトに「ゼルダがもっともゼルダだったのはレコード・デビュー前」という一文を寄せていた記憶があるのですが、サヨコさんはそのことについてどう思われますか。
サヨコ:ヨーコさんとマルちゃんがやめてメンバーが変わって、ポップになりましたよね。その後にまたメンバーが変わってさらに音楽性が変化したし、やっぱりメンバーの交替がバンドに変化をもたらしたんだと思います。チホさんはデビュー前のことを「前世」と呼ばれているようです(笑)。
──後年、ファンクやブラック・ミュージックに傾倒した頃からすれば「前世」でしょうね。
サヨコ:だけどロックのルーツはブルースやソウルといったブラック・ミュージックだし、ブラック・ミュージックのルーツを辿ると西アフリカのマリで発祥した民族音楽だと言われていますよね。アリー・ファルカ・トゥーレやサリフ・ケイタがやっていたようなアフリカの伝統音楽に影響を受けていると。植民地支配していたイギリスやフランスはそういうネイティブな国からの影響があって、クラッシュがレゲエやダブをやってみたり、ストーンズが「Cherry Oh Baby」(ジャマイカ出身のエリック・ドナルドソン作)をカバーしてみたり、ロックのルーツを辿るといろんなことが繋がっていくんです。だからルーツ・ミュージックに向かっていったゼルダの音楽性の変化はとても自然なことだったと思いますね。若い頃は社会に対する怒りや不満を覚えたり、もっと豊かで新しい世界を築いていこうとする気概がありますが、実社会に出てみるといろんな人たちがいて、十人十色の考え方があることを知りますよね。一口にマイノリティと言ってもいろんな形のマイノリティがあるわけで。そういう人たちと出会うと、自分の不平不満をすべて他人や社会のせいにすることが幼稚に思えてしまうんです。何をやろうがすべて自分自身の在り方次第だし、ひとりひとりの意識が社会を変えていくことを知ると言うか。そうなると、一方的に体制側だけを批判するような攻撃的な表現が自分にはしっくりこなくなるんですよ。
──だから十代で書いたゼルダの歌詞でも今はそのままの形では受け入れられないものが出てくるわけですね。
サヨコ:誰がどうこうとか人のことを言っているわけじゃないんです。みんな独自の美学があっていろんな価値観があるし、私の場合はそういう道筋だったということです。
──サヨコさんは今も変わらないために変わり続けているんでしょうね。パンクやニューウェイヴの表面をただなぞるのではなく、表面的にはパンクやニューウェイヴに見えないようなことをパンクやニューウェイヴの精神性をもって体現し続けていると言いますか。
サヨコ:そういうことなんでしょうね。今回のライナーノーツにも自分なりのメッセージを書いたんですけど、若い頃に抱いていた生きている不満だけでは今は決して生きられないんです。生きている感動を実感する場面を何度も経験しましたからね。これまで人に助けられたり、人に感謝する場面もたくさんあって、この世界もまんざらじゃないなと思えたこともたくさんありました。闇と光、生と死、正気と狂気といった相反するものが表裏一体で、それらが時に反転しながら共存していることも知りました。そういったこの世の真理を知る旅を、私だけではなくみなさんも続けていると思うんです。私はゼルダ時代の自分を否定しているのではなく、黒づくめの服を着た時期があって、色とりどりの服を着た解放の時期があって、白い服を着て自分の内面を見つめ直す時期があって、それらすべてがあった上で今の自分がいるわけです。そういう魂の旅路をずっと続けているんですよ。その旅路の始まりに時代と呼応したピュアな初期衝動としてゼルダというバンドがありました。その最初期の片鱗を今回のCDから感じ取ってもらえたら嬉しいし、みなさんの内なる初期衝動をもう一度感じ取ってもられたらいいなと思いますね。