いまのライブでも現役で生き残っている曲たち
──ベスト・アルバムは過去にも何作か発表されてきましたが、今回の2枚組ベスト・アルバム『魂のクロニクル 〜DEBUT 30 YEARS BEST〜』はどんな趣旨で編纂されたんですか。
OKI:デビューからの歴史が年代順に追えて、いまに至る流れを見せつつ、ビーツの本質的なものをきっちり伝えられるアルバムにしたかった、というのがありましたね。各アルバムから最低限1曲以上は入れるようにしようというのもありました。
──構成としては、2004年に発表された結成20周年記念の2枚組ベスト・アルバム『REBEL SONGS』のアップデート版のような印象を受けました。
OKI:そうですね。あれ以来14年ぶりの2枚組ベスト・アルバムなので、当然14年分の楽曲が増えてるわけですからね。『REBEL SONGS』の時よりさらに選曲が狭き門でしたね(笑)。ビーツの歴史を語る上で絶対に外せない曲というのが当然いくつもあるし。まぁ、でも選曲は大変だけど、すごく楽しい作業でしたよ。
──インディーズ期のミニLP『BEATNIK ROCKER』(1988年4月)とメジャーデビュー・アルバム『NAKED HEART』(1988年11月)の収録曲が多いのも必然の帰結なんでしょうね。
OKI:そうですね、「BOYS BE A HERO」とか「約束できない」、「NAKED HEART」とか、初期の曲のどれもいまのライブでも現役で生き残ってる曲ばかりですしね。あの時代の曲たちにはすごく生命力がある。あの黎明期の頃の曲たちがあって、すべてのその後につながっていくわけで、ビーツの原点といえる曲たちですからね。
──「DON'T BE COOL」をあえてライブ・バージョンで収録するという変化球も小気味良いアクセントになっていますね。
OKI:1988年の1月に広島でやったライブ音源ですね。デビューする年の最初の月、まだギリギリ広島に住んでいた頃で、今回のベスト・アルバムのなかではいちばん古い音源ということになりますね。ライブ・バージョンはもう1曲、「GOD BLESS YOU」を入れていて、これは2017年12月の音源なんです。30年前のライブと30年後の直近でやったライブの音源を対照的に入れてみたんですよ、ボーナストラックとしてね。
──「DON'T BE COOL」のライブ音源は当時のOKIさん以外のメンバーはみなさんまだ10代なのに、演奏のスキルが異常に高いことに驚かされますね。
OKI:ホント、SEIZIと市川(勝也)と(小川)昌司は驚異的に上手でしたね(笑)。
──ビーツは『遥か繋がる未来』(2013年4月)以降の三部作など近年のオリジナル・アルバムにも名曲がたくさんあるし、選曲に関しては本当に苦労された部分が多々あるでしょうね。
OKI:3枚組で60曲収録とかだったら随分と楽だったんでしょうけどね(笑)。ただ、仮に3枚組にしたところで冗長なつくりになるのもどうかと思うし、2枚組という形が散漫にならずにちょうどいいサイズかなと思いますね。
──たしかに。ここ数年で新しくファンになった人たちにとっては道標のような役割を果たす作品になるでしょうね。
OKI:そうですね、2枚組としては低価格だし、お得感があると思いますよ。
──2枚組で税込3,240円とは破格の値段設定ですよね。
OKI:2枚組42曲入りのボリュームで1枚分の値段に設定してもらえたのはありがたかったですね。俺はパンク世代だし、ジョー・ストラマーが自分たちと同じワーキング・クラスのお客さんに少しでも安い値段で作品を届けるためにレコード会社と闘かった、というような姿勢にはグッときてましたからね。俺も可能な限りはなるべく低価格で抑えたいというのはありましたね。
──今回のベスト・アルバムの音源づくりに関する作業の段階で、OKIさんいわく「実に難しい選択を迫られる局面があった」そうですね。
OKI:マスタリングの段階で音質をブラッシュアップしていくなかで、自分のなかでちょっと疑問符が残りつつもエンジニアの方にOKを出してしまった場面があったんです。改めて聴き直してみると、その疑問符がどんどん大きくなっていって、これはいかんなと。すごく感覚的なことなので言葉では言い表せないんだけど、ちょっとトゥー・マッチな部分があったんですよ。でもそれを言い出すのは非常に申し訳ないことだし、一度はOKを出したわけだから恥ずべきことでもあった。エンジニアの方だって気分の良い話じゃないですしね。そういう葛藤がすごくあったんだけど、作品として残るものに対しては100%責任を持ちたいし、無理を通させてもらって後日マスタリングのやり直しをしたんです。結果的には間違いなく、より良い形で着地できました。それも実際にやってみないとモアベターになるかどうかわからない話で、全部が台なしになる可能性もあったし、ある種の賭けなんですよ。
──そういった微に入り細を穿つ作業にも労を惜しまないのがとてもOKIさんらしいですね。
OKI:そこはやっぱり自分たちの作品なわけだから、アーティストが責任を持って選曲と監修をして、リマスターまで責任を持つのは当然のことですから。それに俺はベスト・アルバムって好きなんですよ。何年かに一度、こうして過去のまとめ作業ができるのはとてもありがたいことだし、そういう需要があるのもありがたいことですからね。
──再現ライブの開催やベスト・アルバムの監修作業を通じて自身の来し方を顧みることは時に重要な意味を持ちますよね。
OKI:そうですね。今年はメモリアル・イヤーということでオフィシャルサイトの「OKI'S DIARY」のなかでもビーツのヒストリーを追ってみたりもしてますけど、ここまで大括りで過去をきっちり振り返って検証してみるという作業を自分はいままで全然してこなかったなぁと思って。ずっと全力で駆け抜けたままここまで来た感があるし、この30年はまさに光陰矢の如しでしたね。
東京初ワンマンのアンコールで唄った「約束できない」
──今回は「ビーツのターニング・ポイントとなった5曲」をテーマに怒涛の30年間を振り返ってみたいのですが、まず1曲目を挙げるとすれば何になるでしょう?
OKI:最初期で言えば「約束できない」(1988年4月)ですね。自分が19歳から21歳までの3年間に書いた広島時代の曲、そしてファースト・アルバム『NAKED HEART』(1988年11月)というデビュー初期に関しては「約束できない」に集約される部分が大きいと思います。というのも、「約束できない」には「わかるさ 俺ももう22だもんな」という歌詞がありますけど、あれは1987年の2月、俺がまだ21歳のときに書いた曲なんですよね。当時は周りが就活の時期で、ついこの間までバンドをやっていた奴も髪を短く切って、リクルート・スーツを着るようになって。そういう連中から「OKIはいつまでバンドを続けるの? この先の人生どうするの?」とか言われてた時期で。俺はビーツをやめる気は全然なくて、プロになって音楽で食っていくことしか考えてなくてね。
──「わかってる わかってるけど/もう少し夢を見ていたい」という歌詞ですね。
OKI:広島でやっていた頃の「約束できない」は、ちょっとアコースティック扱いみたいなところがあったんですよ。ライブの中盤でアコギに持ち替えて唄うミドルの曲という感じの。それがだんだんと東京でライブをやるようになって、特に大人の人たち…たとえばレコード会社の人なんかの評価は「約束できない」が断トツで良かったんです。つまり就活で髪を短く切った側の人たちからの評価がすごく良かった。ビクターでビーツのディレクターだった村木さんもそうでした。「OKIはこれだよ、『約束できない』みたいな歌詞を書ける奴は他にいない」と言ってくれた。アマチュアの頃は自分の書く歌詞に関してそれほど意識的じゃなくて、歌詞に対する評価の高さを実感したのは東京でやるようになってからなんですよね。そんなこともあって、1988年2月25日、新宿ロフトでの東京初ワンマンのときはアンコール用に「約束できない」を置いといたんですよ。そこでアンコールがかからなければやる機会がなかったんだけど、アンコールすらかからないようなライブをやっているようじゃダメだろ、と自らに課すところがあって。それが結局、アンコールがかかって、最後のMCでこう言ったんですよ。「これからこの街で生きていきます。大切な曲です。『約束できない』!」って。その場面を最も強烈に記憶しているし、実際にその瞬間から「約束できない」がそれまでとは格段に違う、本当の意味で大切な曲に昇華したんですよね。ビーツを世に送り出してくれた曲だと思います。
──「約束できない」はのちにバラッド・バージョンがシングルにもなりましたね(1994年10月)。
OKI:ビーツ結成10周年の時の記念シングルでした。デビュー最初のPVも「約束できない」だったし、そもそも俺はデビューの時点でシングル・カットしてほしかったんですけどね(笑)。「約束できない」をデビュー・シングルにして、B面が「少年の日」とかだったら最高じゃないですか。でもビーツのデビュー当時のビクターはまず最初にアルバムを出すっていうのが方針でね。
──たしかにファースト・シングルの「サンクチュアリ」が出たのは1年後(1989年11月)でした。
OKI:デビュー・アルバム『NAKED HEART』からちょうど1年後でしたね。でもまぁ、デビュー当時からビーツはざらついた歌詞のメッセージ性が評価された部分はやっぱり大きかったと思うし、バンド・ブームの中では異質な存在ではあったけど、それはそれでまぁ良かったのかなと。当時、村木さんからよく「OKIは明治男だ」と言われてたんですよ。OKIの書く歌詞のなかには幕末の志士のような反逆の精神があると。ビーツはただ飛んだり跳ねたりするだけのビート・バンドとは違う、メッセージ性の強い歌が評価されて世に出たところはあったと思います。だから異質な存在でしたね。まぁ、いまもずっと異質といえば異質なままですけど(笑)。