音楽を始めたきっかけ.2
——seekさんが音楽を始めたきっかけは?
seek:僕はずっとサッカー少年やったんですけど。小学校から中3まではずっとサッカーをやっていて。中2くらいの時ですかね、『はいすくーる落書』っていうドラマがやってて、THE BLUE HEARTSがテーマ曲で『TRAIN-TRAIN』や挿入歌で『リンダリンダ』をやってて、音楽にハマったって感じです。だから入りはヴィジュアル系ではなくて、パンクでしたね。時を同じくして、UCHUSENTAI:NOIZのMASATO(Gt)が家の近所に住んでたんですけど、あいつが、X JAPANとかLUNA SEAが好きで、さっきのってぃが言ってたみたいに、家に行ったらLUNA SEAがかかってたり、「今度、L’Arc〜en〜Cielってバンドが『Tierra』っていうアルバムを出すらしいで」みたいので新譜で買ってきたりっていうので聴いてたんで。パンクとかヴィジュアルとかってところに、そない垣根をまだ感じてなかったですね。そういうので入ってからですかね。中学生やったんで、高校になったらバンドやろうぜみたいなことを言ってたくらいの時で、高校になって、すぐくらいの時かな。姫路にもそういうバンドをやってる人たちがもういる、みたいな。それがMASCHERAさんやったんですけど、そのライブを観に行った時に、Sさんが黒のガウンに安全ピンを付けて、薄らメイクみたいのをしてたのかな。その辺から急激にみんなの輪ができ始めたというか。始めは中学校の輪やったのが、同じ中学校のやつが別の高校に行って出会った奴とみんなでくっついてみたいな。そこで、S、keiji、AYAとも出会って、じゃあライブやろうかみたいな感じで、Betaではなく初めてがレンタルホールみたいなとこやったよね?
S:マッシュルーム?
seek:そうそう。あっ、Sさんはその前に、もうライブハウスでやってたんだよね。俺はその時が初めてで、たまたまそこら辺の面子が一緒になってやるライブみたいのがあって。今考えると結構ませてるなって。高1くらいで、どちらかと言うとパンク系の方がよく出てはった、今はもうなくなっちゃったんですけどマッシュルームっていうライブハウスを借りに行って。ただやり方が分からへんから、3バンドの各リーダーが前説で出て1人ずつ今日の意気込みをしゃべるっていう、よく分からんコーナーはありましたけど(笑)。結構お客さんも入ってて。まぁ、友達ばっかりですけどね。その時はSさんはもうオリジナルの曲をやってた?
S:うん。マーボー(UCHUSENTAI:NOIZのMASATO)と一緒にやってました。
seek:あいつがすごい、その辺は早かったんで。オリジナル曲をもう作ってて。中学生くらいの時にはもうMTRを使って曲を作って。
靖乃:すごい細かく作り込む人やんね。
seek:そうっすね。若い頃からそういうタイプやったんで、それがそのまま成長していって今の形になったんやなっていうのは、すごく思うんすけど。よく家にカセットテープを持って来てましたね。
景夕:カセットの4トラのMTRとか使うてたもんね。
seek:途中からQYっていう、ちょっとした音楽を作る機材なんやけど。一応鍵盤みたいなのもちゃんとあって、音も入れれてみたいな、ちょっとおもちゃから毛が生えたようなやつなんですけど、あいつはピアノは弾かれへんねんけど、QYはめっちゃ弾けるんす。
一同:(笑)
靖乃:NOIZでも、同期のトラックとか作ってるのに、QYで音をいっぱい入れててみたいな感じだもんね。
S:あいつは、初ライブの時に同期でライブするって言って、クリックなしで同期を聴きながらドラムを合わせろって感じで、俺はやらされてて。そんな高校生の毛が生えたやつができるわけがないじゃないですか。「こいつ、無茶苦茶や」ってなって、「その曲は俺は叩けへんから無理」って言って、その曲はドラム不参加でってなって。QYでドラムを流しながらライブやって。
seek:そのドラムが流れてる曲の時に、何でか知らんけど『ジャンプ』(週間少年漫画雑誌)を読んでるんですよ。
S:頭がおかしかったんですよ。
一同:(笑)
靖乃:尖ってるな〜(笑)。
S:ドラムの所で、漫画読んでましたね(笑)。
seek:何か分からんですけど、ちょっとした反抗で読んでたんでしょうね(笑)。
景夕:今やったら、もう革命ですよ!
seek:ステージ・パフォーマンスとしては、斬新ですよね(笑)。
景夕:今度2マンやった時に、「この曲はドラムをあんまりやりたくないから、ちょっと読んでるわ」って(笑)。
靖乃:今のKraでいうと、『エクリプス』の前半の俺がドラムを叩けへんところで、俺が雑誌を読んでるようなことでしょ。
景夕:そういうことだね。
seek:普通ならね、それをパフォーマンスで何かやるっていう前向きな感じなら分かりますけどね。同じ空間にはおるけど、みたいなね。
S:何なんでしょうね、本当。メンバーが格好つけてステージングやってるよって(笑)。
一同:(笑)
靖乃:尖ってるやん(笑)。
S:(笑)でも、マーボーは厳しかったんですよ。「QYのドラムと全く一緒じゃないとダメ」みたいな感じで、「そんなん、叩けへん」ってなって、「下手くそ」みたいなんを言われまくって。めっちゃ嫌いでしたもん。
seek:よくマーボーは、バンドメンバーとはモメてたっすよ。
靖乃:結構理想像をブチ上げて、それに対して自分も頑張ってんねんから、お前らも頑張れよみたいな感じの…。
seek:ちょっとあいつもいちびってるからな。
S:いちびってるから、それで「もう、お前嫌」ってなって、そのバンド辞めて、絶賛嫌いですもん。
一同:(笑)
seek:不思議な縁で、LOFTさんでもやらして頂きましたけど、いまだにお互い続けてたりはするんで。そう思うと、同級生界隈にしても地元から続けてる人が多いんで、比較的恵まれてる環境なのか、どうなのか…。
靖乃:やっぱり育つ環境はあるんじゃないって気はするけど。同級生でっていうのが、一回別の道になってもまた一緒にやって、ここにきてるのもそうやし、そもそもやり始めようっていうきっかけとか動き始めるのって、ハードルがでかいっていうか。例えば俺は淡路島から出えへんかったら、多分音楽をやってないと思うし。環境に育てられることって、多分すごいでかいから。
S:逆に思うのは、もしも僕が大阪出身やったら、ここまで続いてなかった気がするんですよね。その当時は、大阪はMatina文化があって、みんなMatinaさんみたいなバンドが多かったんですけど、あの中でバンドをやってたら、俺は続いてなかったかもって。だから姫路でよかったなとは思うんですよね。
靖乃:ちょっと完成されてる感みたいなのはあったよね。
S:あの当時は、姫路は姫路ブランドみたいのがあったんで。
seek:僕ら地元は、出来上がってるんですけど、流行の外にいてる感じがあるんですよ。だから大阪の文化とか東京の文化を距離的にも、比較的冷静に見れてるところがあるから、「そこと同じことをやったらあかんのちゃうかな」みたいな感覚が多分あったんやろなって。そこの渦の中に入って行かずに、他の方向に行った方がいいんじゃないかなみたいな感覚を持ってバンドをやり始めてたのかもなって。
靖乃:Kraの始まりの時と、考え方的に結構近いかもね。
景夕:そうだね。うちらも「周りにこういうバンドが多いから、同じことをやってもしょうがない」って、そういう風な道を選んでいってたら、どんどんひねくれていってて。なんだかんだずっとやってったら、「やっぱりみんながいいって思うやつがいいよね」って(笑)。
靖乃:タイミング的にめちゃめちゃ濃いやつがバーンってあって、血糊の人たちがいて、密室系がいて、「さっ、次どうする?」みたいな感じのとこでKraが始まってたから。おしゃれなバンドとかもいっぱい増え始めたタイミングとかもあって。毎週のようにAREAとか横浜とかで同じような面子でやってたから。そういう中でやと、「あいつらがこの間こんなことをやってたから、あれとは違う何かないかな」っていうので、リハに入ってたよね。
景夕:そうだね。
seek:最近Kraさんとよく一緒にやらして頂くようになったり、景夕さんのバースデーとかで結構なKraの歴代の曲を聴いてると、「結成何年目でこの曲をやってたんすか!?」みたいな曲があったりするんです。あれが目の付けどころというか、マニアックなのかもしれないですけど、面白いことやろうとしてたんやなっていうのは、思うんすよね。
靖乃:昔の方がイメージがすごい先行してたかもね。
景夕:だし、アルバムを一番最初に出すってなった時に、何曲もある中から選んでたんですけど、2枚目のアルバムでキラーチューンというか、今でもやってる『ブリキの旗』とか『例え』とか『ショータイム』だとか、そういう曲も候補にあったんですよ。それを1枚目に持ってきたら、他と変わらない気がするっていうので、今では全くやってないような曲たちばっかりが1枚目だったんですね。その1枚目を聴いたZEAL LINKの田中さんに、「Kraってさ、マニアックだよね」って言われて。こっちはこれがうちらの攻めたい個性なんですよって思ってやってたから、「えっ、マニアックなの?」って思って。まあ、今考えたらマニアックですけどね(笑)。