今だから話せるレコーディング秘話
── では今回収録された19曲で、今だから話せる当時のレコーディング秘話ってありますか?
弐:『Break Down』もそうでしたけど、3枚目のアルバム『MUSIC』を作っている時に、Яyoが当時のエンジニアとめっちゃ喧嘩してたんです。こういう音にしたいって言ってるんだけど、向こうは「いやぁ…」みたいな感じでバチバチになってて。しかもこの時のレコーディングはずっとスタジオに寝泊まりしていて。あれどこだっけ?
Яyo:東中野。
左迅:家からだと遠いんだよね。
弐:遠いから、行って帰る時間がもったいないって泊まり込みになって。二週間ぐらい風呂も入らないで。
左迅:臭かったよなー(笑)。
── 夏だったんですか?
左迅:夏だったね。半袖だったもん。
弐:で、ステジオで寝泊まりして、起きて曲やって終わって酒飲んで寝ての繰り返しで。Яyoはエンジニアと上手くいかねぇってふてくされた顔しながら作業を始めてという感じで、あのレコーディングは濃かった記憶がありますね。
Яyo:家に帰ってなくて、髪の毛が脂でどんどん光っていくんですよ。湿気が多いレコーディングスタジオだったから、朝起きると顔に水滴が付いてて(笑)。
弐:布団は湿気を吸って重くなっていくし。ギターの録りが終わって、ベースの録りの時は愁さんが泊まり込みでやるという方式で。さらに事件があって、レコーディングスタジオがオートロック式だったんです。それで、俺が中で寝ちゃってた時にЯyoがそのまま外に出て行っちゃって。3〜4時間外に放置されたらしく(笑)。
Яyo:入り口の前でぶるぶる震えながら。
弐:そんな感じの珍事件もありながらのハードで面白いレコーディングでしたね。
Яyo:他にもセカンドアルバムの『Girugamesh』をリリースした時かな? MUCCのミヤさんに初めてプロデュースしてもらったアルバムなんですけど。プロデューサーってディレクションもしながら進めるじゃないですか。その時俺らはペーペーでレコーディングをどうやるのかもわかんなかったので、ミヤさんの仕事を見て俺も真似しよう、勉強しようって思ってたんです。そしたら、ミヤさんは5時間遅刻は当たり前で、「作業進まないんですけど」って電話したら、「先にやっといて」って。案外適当でいいんだなって、すごく勉強になりましたけど(笑)。
── いろいろな方から、いろいろなことを学んできているんですね。でも、そうやって勉強したおかげで、セルフプロデュースが出来るようになったというのもありますよね。
Яyo:そうですね、いろんなことを学べて、それは経験になっていると思います。その中でも『MUSIC』の時のエンジニアとのケンカは一番大きいですけどね。俺はオーディオマニアの気質があるんで、こういう風にしたいっていうのが明確にあるんです。でも昔はどうしたら思い通りの音になるかもわからなくて、言葉だけでは伝えきれず、自分がイメージしているものと真逆になってしまうことにすごくストレスを感じていて。それで、自分でやるようになったんです。アーティスト自身がプロデュースするのは今後スタンダードなスタイルになっていくと思うし、その先駆者になりたかったっていうのもありますね。