2001年から2006年5月23日O-EASTでの活動休止ライブまでヴィジュアル系というシーンの中で活動していたdeadman。ボーカル眞呼(まこ)、ギターaieの2人が2019年9月9日に13年ぶりのライブを行なうことを発表したのは今年の3月。Twitterのトレンド入りに「まさかあのdeadman?」と驚いた人も多かったに違いない。
活動休止後、音楽活動のほとんどなかった眞呼と、その後、the studs、the god and death stars、gibkiy gibkiy gibkiyのメンバーとして活動し、ギタリストだけでなくボーカリストとしても表現の幅を広げ続けているaieの2人が、再びdeadmanとしての活動を行なう。9月のライブはゲストミュージシャンとしてベースにテツ(メリー)、ドラムスに晁直(lynch.)が発表されているが、この強力な面子で6月22日に名古屋BOTTOM LINEでのイベントで初ライブを行ない、熱い歓迎と歓声を浴びた。1年という期限付きの活動ということだが、「ハッピーな1年にしたい」と話す2人に話を聞いた。[interview&photo:荒川れいこ(zoisite)]
眞呼がやる気になったことで復活が実現
──まず、13年ぶりにdeadmanが復活することになった経緯から聞かせてください。
aie:俺がちょっと酔っ払ったタイミングでふと「またdeadmanをやりてぇ、そしてちょっとばかし儲けてぇ」と思って……。まぁこれ、ナンバーガール復活発表時のコメントなんですけど。
一同:(笑)
aie:真面目に話すと、眞呼さんとはライブとかで名古屋に行く時に連絡は取ってたんですよ。で、これまでも何度か復活の話はあったけど実現しなかったんです。だけど、今回は眞呼さんがやる気になってくれたから実現した。俺たち2人とサポートメンバーでの復活ってことで、いろいろ思うところはあるかもしれないけど、でも俺個人としては俺と眞呼さんがいればdeadmanとして成立するところもあるかな? と思ったから、眞呼さんがやる気になったところをキャッチしとかなくちゃって思って。
──どうしてサポートメンバーがメリーのテツさんとlynch.の晁直さん? って気になってる人も多いと思うんだけど。
aie:今年の頭くらいに「deadmanでイベントに出てくれませんか?」って話がイベンターから来た時に、一応きっさん(ドラマーToki)とKazuya(ベース)にも連絡はしたんですよ。でも返事は前向きな辞退でした。「俺たちは観に行くよ!」って(笑)。でも応援してくれるとは言ってたからね。
──それでメンバー以外の人と一緒にやることになったんですね。
aie:そう。ちょうどそのくらいのタイミングでメリーのテツくんと飲んでる時に、「眞呼さんと何かやりたいな」って言ってたんですよ。それを眞呼さんに伝えたら、ぜひやりたいって言ってくれてたから、じゃあまとめてdeadmanでやりましょう! ってことでタイミングが良かったんですよね。ドラマーについては、俺も眞呼さんもテツさんも全員名古屋出身だから、ドラマーも名古屋出身で固めたほうが面白いかなって思ったのと、あとはテツさんと晁直に一緒にやってほしいって気持ちもあったから。当時の界隈を考えても、やっぱり晁直がちょうどいいんですよ。俺たちとしても当時のdeadmanを知らない人よりは、知ってるドラマーがいいなって思ってたから。
──眞呼さんは活動休止後、ずっとステージに立つことを拒んでいましたけど、今回どんな心境の変化があったんですか?
眞呼:deadmanって歌詞をはじめ、いろいろな面で自分の内面を出しすぎていたバンドだったんです。それで当時精神的にけっこうキツい時もあったから、バンドを思い出すことに伴って、苦しい気持ちを思い出すのが嫌だったんですよね。解散後もそんな気持ちを消化しきれず、暗闇の中にいるような状態が続いていたから、復活はずっと拒絶していました。復活することで、まだ消化できていない自分を認識することになるのも嫌だったんでしょうね。だからどうして今回やる気になったのか……。何でなんでしょうね? 本当のところは僕もわかりません(笑)。
──眞呼さん、解散後に何度かゲストで立ったステージでも、以前やっていたkeinの曲メインで、deadmanの曲は避けてましたよね。
眞呼:そうですね。唄ってもそういう気持ちと直結するような曲は唄わないようにしてましたね。
──keinの曲は唄えるけど、deadmanは気持ちの上でまだ重たい?
眞呼:そうですね、実際まだ消化もされてないし、思い出したりもしたくない部分もあります。
──私としては、眞呼さんが当時唄っていたことからは、弱者救済的な意味合いを感じていたところもあったんだけど。
眞呼:うん、そうなんですけど、でも結局救えないんです。だから本当に一番弱いのは結局自分だった。でも弱いなりに声はかけられるから……実際、救われたって言ってくれてる人たちもいるけど、それは多分、僕の内面とその人たちの内面が共感しているだけだと思うんです。自分と同じだってことに安心感は抱くかもしれないけど、本質的には変わってないから、それを救いと言っていいのか? っていう思いはあります。もし僕が発した言葉の中で何か響くものがあって、それを救いだと思ったなら、その人を救ったのはその人自身なんですよね。
──なるほどね。
眞呼:僕、なぐさめっていう言葉は嫌なんです。なぐさめてもどうにもならない。救いとは別問題。